(1)邂逅
「さあ! 走者次々に第4コーナーを曲がりましたっ! 先頭を走っているのは……イチネノオークス! 続いて、センパブライアン!」
ヘルメットが激しく上下する。
額を流れる汗が、初夏のじわじわとした暑さを、観戦している者にも伝えている。
誰もが、我先へとゴールに向かう。
荒い息づかい。
ギャラリーが身を乗り出して応援している。
音楽……と言うにはとても単調で、ゆっくりとしたメロディーが空間を満たしていく。
……と、にわかに歓声が上がった。
集団の後ろの方から、常識はずれのスピードで追い上げてくるものがある。
「あーーっと! 先頭走者残り2ハロンのところで、最後尾から追い上げが来ましたっ! レースの流れが大きく変わっています! あれはっ! タクマバーミンガムだっ!」
「……ばっかみたい」
歓声を上げているギャラリーの脇で、結城千紗は、醒めた目で事の成り行きを見守っていた。
「速い速い! 何というスピード! 何というパワー!ただいま、5位…いや、4位、なおも追い上げ中! ここは、最初から本気出せよ、と言うべきでしょうかっ!」
「おおっ! 相変わらずやつの追い上げはすごいな。今日も大穴かな?」
千紗の横で、これまた事の成り行きを見守っているのは、山根晋である。
「最初から走ってこいって言うのよ。全く」
「まあ、そこが拓磨の良いところだから」
しかし、晋の冗談に取り合わず、再び千紗は醒めた目を外に向ける。
「タクマバーミンガム! 先頭に躍り出たっ! 続いてイチネのオークス、センパブライアン!」
ほとんど、先頭は横一列に近い状態で走っている。
「タクマバーミンガム速い! イチネのオークスも追い上げる! タクマバーミンガム! イチネのオークス! ……ゴールイン!! えー、こちらからは、タクマバーミンガムが逃げ切ったように見えましたが……あっ、審査員が出てきました」
「微妙だな」
レースに似つかわしくない、かなり間の抜けたメロディはいつの間にか終わっている。
晋は、腕時計をちらりと見た。
再び、ギャラリーにどよめきが起こる。
「あーーーっと! 判定結果が出ましたーーっ! 『遅刻』です! タクマバーミンガム本日もセーフなりませんでしたーーっ! と言うことは……本日で9回目! あと1回で便所掃除です! なお、タクマバーミンガムは、現在、手帳指導を受けている模様です。本日の実況は、山口がお送りしました」
「ほんと、ばっかみたい」
まだ余韻が残っているギャラリーを後目に、千紗は一言だけ漏らすと、すたすたと席に戻っていった。
◎
ここは、県立春日高校。創立10年。割合新しい高校である。
別に伝統校と言うわけでもないし、エリート校でもない。
ただ、教師の余りある情熱のおかげか、その何でもない高校から、毎年数百人が有名大学へ進学していく。まさに、学年の8割がその栄冠を勝ち取るのだ。
しかし、その学校には、そんなことよりも、他校にないユニークな特徴がある。
先ほどの、タクマバーミンガムこと櫻井拓磨が受けている『手帳指導』がそれである。
自動車運転免許には点数があり、違反をする毎に減点、切れれば免許停止、と言うルールは免許を持っていない人でも知っているであろう。
それに近い制度が、件の手帳指導である。
遅刻、ノーヘル、自転車の無灯火、信号無視……。
それぞれ1点ずつ減点され、10点目で便所掃除、その後、5点復活し、また使い果たしたら、校長の訓告、そして、次は保護者召還である。
まあ、とはいえ、ほとんどの生徒は、そんな羽目に会うことはまず無いであろう。
ごく普通の高校生活をしていれば、手帳指導のご厄介になることなど無いのだから。