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「なあ、エリス。母さんが何か……」
そこまで言うと、拓磨は身体がしびれる感覚を負う。
「『千紗』……千紗って、まさか!」
拓磨は、昨日エリスが説明したことを思い出す。
「もう……間に合わない。恐らく……既に」
エリスは拓磨から目をそらした。しかし、いつもの無表情ではなく、歯を食いしばり、何かに耐えるような表情。
「そんな……。何だよ、僕の母さんだよ! 何でそんなに冷静に割り切れるんだ? そうかい……、もういいよ!」
拓磨の顔が赤くなり、次の瞬間、勢いよく立ち上がると、叫び声を残してテントの外に走り出ていった。
「少尉っ!」
制止するべきであろう。上官として。
どうせ行っても間に合わないのだ、それよりも……。
しかし、エリスは言えなかった。『止まれ』とも『処分するぞ』とも。
立ち去る拓磨を見送り、虚空に手を差し伸べた状態で立ちつくすエリス。
「中将、私が」
テントの外に向かおうとするエミリを、エリスは引き留め、腰を下ろした。
「少佐、必要……ない。もう何もいない……はず。だ、第一、部隊を外れ単独行動をとる事など、許されることでは……な、無いのだ。それより、現在の状況……説明し……」
明らかに冷静でない様子のエリスに、タケトとエミリは顔を見合わせると、タケトが軽くため息をつき、説明を始める。
「現在、前線では、先ほど新たにレベルBの敵が出現。睨み合っております。つまり、強敵です」
「そ、そう……」
エリスの言葉が途切れる。その瞬間、外で青白い光が発生した。
「拓磨め、移送陣を……、なかなか賢いじゃないか」
タケトがテントの外に振り向き、おどけたポーズをとる。
「攻撃準備が整いました!」
「ご苦労! 少し待機せよ」
「了解!」
テントの外から聞こえる伝令兵の声に、タケトはエリスの方に向き直った。
レベルB以上、つまり、戦闘により部隊が負うリスクが大きいと予測される場合、戦闘開始には総責任者の許可が必要なのだ。そして……。
「中将、前線への移動準備は整っています。作戦では、中将が前線に到着と同時に開戦となります。本戦の勝率98.5%。攻撃開始の承認を。……中将?」
移送陣の光が収まるのをぼんやり眺めていたエリスは、タケトの声ではっと我に返る。
「……あ、ああ」
エリスは曖昧に頷き、視線を机に落とす。
命令待ちの伝令兵が、エリスの攻撃開始の言葉を待つべく、待機している。
しかし、エリスは机を睨んだまま動かない。
エミリが声をかけようとしたとき、エリスは、ぎゅっと目を閉じ、ドンと机を叩いた。
風圧で、先ほどエミリが拾い上げた書類が、再び机から落ちる。
「くそっ! 何でっ! ……私はっ!」
歯を食いしばり、落ちていく書類を睨み付けていたエリスは、エミリを見上げた。
「エミリ少佐、すまない、……わ、私と共に来てくれないか」
「中将、20秒で移送陣の準備は出来ます。半個小隊でよろしいですね?」
エミリはタケトを見、お互いに笑みを浮かべると、テントの外に走り出た。
エリスは小さく頷き、少しの間の後、タケトに視線を移す。
「タケト大佐、10分……いや、7分でいい、少尉を連れ戻す。持ちこたえられるか?」
タケトは白い歯を見せた。
「中将のシールド無しですか。まあ、その方が、『公平』に戦闘が出来ますかな」
『久しぶりに腕が鳴るぜ』と、楽しげに呟くタケトの顔を、エリスはしばらく凝視していたが、おもむろに立ち上がった。
「……すまない、すぐに戻る。もし、危険だと思ったら、すぐに連絡してくれ」
「中将、私を誰だとお思いですか? さあ、早く行かないと、拓磨の身も危険に曝されているかも知れません」
「絶対……無理をするな。撤退しても、次があるのだからな」
エリスはタケトに再び釘を刺すと、笑顔のタケトが促すままテントの外に出て行った。
程なくして、移送陣が発動するときの青白い光が空間を満たす。
移送陣の光が収まるのを確認すると、タケトはため息をつき、ぽつりと呟いた。
「無理をしなくても良い戦闘など、通常は存在しない、そして、撤退するためには、撤退出来るだけの余力を残した上で負けなくてはならないのですよ、中将」
それが、いかに困難なことか。何故、エリス率いる第十三科学系戦術師団以外の部隊は、戦場で悲惨な最期を遂げているのか。身を持って経験しているタケトの表情は、いつもの余裕に満ちた表情ではなく、何かを覚悟した人間がするそれであった。
タケトは大きく息を吸い込むと、テントの外に向かって声を張り上げた。
「伝令兵、一部作戦変更! 第一、第三部隊はシールドを展開、物理、科学両攻撃に備えよ、私が最前線に到着時点をもって開戦とする。各部隊に伝達!」
「はっ!」
タケトの声と共に、テントの外で兵士が走り去っていく音がする。
「中将のシールドが切れる前に何とか。……すまない、エミリ。Good Luckエリス中将」
タケトは左胸から階級章を外すと、エリスの座っていた机に置き、テントの外にゆっくりと出て行った。




