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○
ふわっとする感触に、拓磨は再び意識を混沌の泉から引っ張り出す。
続いて、頬が、ひんやりとした感じになり、なかなか心地よい。
「これでは、手当になっていないじゃないか」
――エリスの声?
薄目を開けると、エリスが、ぶつぶつと呟きながら、タオルを拓磨の顔に乗せようとしている。
(エリス)
拓磨は呼ぶが、口から出てきたのは空気のみ。
しかし、エリスは気づき、視線がこちらを捉える。
「気がついたか?」
拓磨は、視線をエリスに合わせる。
エリスは、少しため息をついた。
「少しは、懲りたか?」
(懲りた)
拓磨の声なき声が聞こえるのか、拓磨の答えなど、どうでも良いのか、エリスは続ける。
「もう、無茶をするな」
(……)
エリスは、テントの入り口の方を見る。
「それから、有事の時は、私の判断に従ってくれ」
(だって……)
「言わないでおこうと思ったが、言った方が良さそうだな」
(?)
拓磨は、エリスの意味深な言葉に、目を少し見開く。
エリスは、少し間をおき、拓磨をちらりと見下ろすと、口を開いた。
「あれは、……あの時の彼女は、本人ではない」
(!)
拓磨は、血の気が引いていくのを感じていた。
「何で判るんだ。と思っているであろうな」
エリスは、視線をテントの端に移す。
「確定するために先ほど確認したが、本物は原因不明の高熱で欠席していた」
拓磨は、がたがたと震え出す。
エリスは、拓磨を見た。
「だから、……リスクがあったのだ。〈力〉を使うにはな。私が、学校にいるということを、敵に知られてしまうからな。そうなると、私が学校に行けなくなる。それだけは、避ける必要があった」
(そうだったのか)
タケトが、いつか言っていた。
エリスの冷静な判断のおかげで、第十三科学系戦術師団は、今日まで無事なのだと。
通常、戦闘は、冷静に状況分析し、冷静に行動すれば、負けることは無いのだそうだ。
しかし、ほとんどの人間の場合、それを感情、特に私心が阻害する。
結果、感情の赴くままに動くことで、作戦に綻びが生じ、最悪、命を落とすのだと。
身体も、そして心も鉄壁である、エリスの判断は、未だかつて狂ったことがない。
その正しさを、そして、それが何より部隊の、自分達のためだと知っているから、部下は誰1人エリスを悪く言わない。
絶対的に信頼しているのだそうだ。
でも、拓磨は、あのときのエリスが、規則だ何だで、単に正論を述べているのだと思っていた。
一瞬でもエリスを憎んでしまい、その結果が、あの行動だった。
でも、そうではなかった。
エリスが学校にいることが、敵にばれて一番困る人物。
それは、他ならぬ拓磨なのだ。
そして、もちろん、色々言いたいことはあるが、拓磨の学校に行きたいと言う希望を受理し、そのために、エリスは学校に行く必要が出てきたのだ。
エリスが、学校に来られなくなると言うことは、拓磨が、常に敵の攻撃にさらされるリスクを負う羽目になると言うこと。
現に、千紗を含め、2回も危機に遭っているのだ。
そこまで計算し、一時的に拓磨に誤解を与え恨まれても仕方ない、と考えたのだろう。
――そうならそうと、言ってくれれば良かったのに
拓磨は自分を責めるが、もう時間は戻せない。
明日から、エリスは学校に来ないのであろうか。
急に不安になる。
ふと思考を現実に戻すと、眼前に迫るエリスの顔。
(え、エリス?)
いつまで経っても慣れず、鼓動が早くなる。
「それから、1つだけ、極秘事項を伝達する」
聞き取れるか聞き取れないかぐらいの声で、エリス。
(?)
「……あの時、私は『背筋が凍る』という体験を、初めてした」
(!)
拓磨は、エリスが、あそこまで怒った理由が何となく分かった気がした。
もちろん、想像であるが……。
「……2度も失いかけるとはな。未だ力が足りぬということか……」
「え?」
エリスは、答えず、一息つくと、何事かを呟き、拓磨の額にそっと手を当てる。
多分崖から落ちた時のことを言っているのだろうな、拓磨はそう解釈した。
(……)
拓磨は、複雑な心境を整理できずにいた。
「いいか、秘密だぞ?」
エリスは囁くと、そのまま目を閉じ、口の中で何かを唱えた。
少しの後、顔の痛みがすーっと引いていく。
最初の日と同じだ。
「エリス?」
喋れるようになっている。
エリスは、すっと立ち上がり、拓磨を見下ろした。
拓磨はエリスの方を向いた。首も、ちゃんと動く。目も、ちゃんと見えるようになっている。
「それから、……少尉は、明日から学校に行く必要が無くなった。だから、ここで過ごせばよい」
春日高校の制服を着たままのエリスが、少し疲れた様子で言った。
「何で?」
拓磨は疑問を口にする。
エリスは口の端を上げた。
「少尉の学校は、文字通り無くなった。先ほどの……あの学校『だけ』を襲った、しかも、耐震建築を凌駕する地震のせいでな」
「……そうか、残念だな」
「学校など、修復すれば、いつでも通えるであろう。合理的に考えてもテストとやらは延期だ。少尉が学校生活の継続において困ることはあるまい。とにかく、身体を休めておけ。間もなく、本格的に戦闘が始まる」
エリスは背を向けると、テントの入り口に向かった。
拓磨は、ため息をつき、エリスの背中を見上げる。
「違うよ、結構似合っていたのに。その制服姿、もう見られないんだなって」
先ほどのタケトとエミリの会話を思い出しつつ、拓磨は言った。
言った瞬間、「しまった!」と拓磨の身体から冷や汗が吹き出た。
エリスが立ち止まる。
「……そうか」
怒るかと思ったが、エリスは、それだけ言うと、そのままテントから出て行った。




