序ー3
ズゥォォォォーーーーーン
腹の底から突き上がる振動。
エリスの背後の木が爆ぜて、倒れた。
爆ぜた木が飛び散り、火の粉が舞う。
しかし、エリスは微動だにしない。
こんな状況であるが、宙を舞う火の粉を背景にし、金色の髪をなびかせるエリスの姿は、さながら絵になっているな、とタケトは思った。
「……で、どうする?」
エリスが聞く。
「あと、30秒で兵士達がすべて避難できる。それから頼む」
「わかった」
言うと、エリスは、懐より白っぽい長方形の札のような物を取り出す。
「なぁ……」
エリスの手元を見ながらタケト。エリスは札を折りたたみ、順番に並べていく。
「なんだ?」
エリスは手を止めない。
「この作戦は失敗。作戦総責任者である俺は降格だな。どこか僻地へ左遷かもしれん」
「そうか」
エリスの言葉に、タケトはため息をついた。
「そうか……って。……まあ、確かにそうだな」
わかってはいるのだ。……と、タケトは呟く。
「陳情をするのなら軍法会議部に出頭するべきであろう。少将の進退に関して、私は何もしてやれぬ」
「まあ……、そりゃそうだ。でも、人間の場合、仕方なくても言葉に出さずにはいられないものなのさ」
「『愚痴』というやつか?それで、何か具体的な解決をすることがあるのか?」
「ないね」
エリスが顔を上げた。
「人間という物は、言っても意味のない『愚痴』とやらを言ってみたり。無理だとわかっている作戦を押しつけられても引き受けてみたり。我々には想像もつかない。我々は、自分達の弱さや愚かさをよく知っている。だから、自分達に出来ないことを、敢えてしようとは思わない」
「まあね」
タケトは付け加える。
「だが、それが人間という生き物だ」
「もちろん……」
エリスが立ち上がった。
「少将は、私が確実に国へ送り届ける。今回の作戦成功率は99.8%。そのために私はここにいる」
「もし、連絡を受けたときに、行っても間に合わないと判ったら、無駄だと言うことで来なかったのか?」
「……難しい質問だな」
エリスは少し手を止め、考え込む。
「『難しい』と言ってくれたことに感謝すべきだな」
タケトは目で笑った。
その視界の端で、何かが動いた。
タケトが腰に手を伸ばすより一瞬早く、『それ』は飛び上がり、その軌跡はエリスの頭上へ通じる弧を描いた。
軍に所属して十余年、数々の修羅場をかいくぐってきたタケトでさえも、さすがに背筋が寒くなった。
自分の全能力を結集しても間に合わないと判る瞬間。
最速で剣を繰り出しても、『それ』がエリスの頭に到達する方が速い事は明らかだ。
無駄?それでも……と、剣を繰り出し、経験上もっとも無駄のない軌道を描く。
だが、『それ』がエリスの頭上あと十数センチという所で炎に包まれ、文字通り消滅した。
「ん?」
エリスは頭上を伺う。
それから、タケトの方を見る。
「私を切るつもりか?」
すべてが終わった瞬間、タケトが抜いた剣は、エリスの頭上で停止していた。
「いや、今、王国四中将の生命の危機に遭遇していたところだ」
剣を腰に納めながらタケト。
「ああ、すまない」
エリスは後ろを振り返った。
「我々の周囲及び移送陣周りは、先ほどシールドしておいた。奴ら程度の攻撃は効かない」
こういうとき、タケトはエリスの凄さを思い知らされる。
戦場に似つかわしくない静かさ。
それを可能にする本人の能力。
そして、エリスには、外見的な特徴もある。
人間にしては整いすぎている顔立ち。
透き通るような金色の髪。
平均と比べると、かなり小柄で華奢な体型。
その姿から、人間以外の種族……例えば、エルフ族の末裔ではないかと噂されているが、 実際のところはだれも知らない。
タケト自身、その昔エルフという種族がいて……というおとぎ話でしか、その存在を知らないのだ。
エリス本人が、仮に、エルフだとしたら持っているはずの『特殊能力』の存在を否定している。
第一、誰も、その『特殊能力』とやらを目撃したことがないのだ。
つまり、能力が並はずれている者に対する、ただの噂、と言うことであろう。
『科学系戦術』――高度な科学の研究により、空間のエネルギー取り出しに成功して久しい。
ただし、手順が複雑であり、王国でも完全に使用できる者は、エリスを含め僅か。
他の者は、ある補助手段を用いて、簡易的に実現している。
エリスは言う『私は、器用だからな。だから、他の者よりもより多くのエネルギーを取り出せるだけだ。エルフ? もしそんな種族なら、私はここにはいない』と。
本人は、噂を全く相手にしていない。
ただし、人間と一線を引いているとも取れる発言が、随所に見受けられるのも確か。
登録上の年齢は16歳。タケトの四つ下。
王国に現存する四中将の中の一人であり、『第十三科学系戦術師団』を統率している。
組織上の部下は、八千人以上。
ほんの十年前、千年以上安定していた空間のバランスが、陽界との境界――狭間――付近を中心に突如として崩れ、この世で定義されていないエネルギー――魔物――が、はびこるようになり、泥沼の戦いが始まった。
当時、空間波動制御の理論は構築されつつあったために、急遽科学系戦術部隊が編成され、空間のバランスを保ちつつ、魔物を殲滅するという任務を受けた。
しかし、その任務柄、あっさりと部隊全滅、と言うことがよく起こり、第十二科学系戦術師団までは現存していない。
噂によれば、エリスは、僅か十歳の時に、所属していた部隊が魔物の奇襲を受け全滅したのだが、たった一人で生還した。しかも、そのときの魔物を一体残らず殲滅したと言われている。
その後も、常人では考えられないほどの数々の功績を挙げ、年を経る事に昇進、そして、二年前、エリス率いる第十三科学系戦術師団が結成され、王国史上初めて半年以上存続できた、不敗の科学系戦術師団としてその名を轟かせるところとなった。