(3)千紗
「ばっかみたい。鼻の下伸ばしちゃって」
昼のチャイムと同時に、そそくさと教室を後にする、拓磨と〈かなみ〉を眺めながら、千紗は呟いた。
知りたくもないのに、特派委員山口が、『スクープ! 用務員室での情事!』などと騒ぎ立てるもので、まあ、どうせ何をする勇気もないだろうが、少なくとも、拓磨と〈かなみ〉が毎日昼休みを一緒に過ごしていることだけは、千紗の知るところとなった。
確かに、あの日、拓磨に『距離を置こう』と言った。物は言い様であるが、つまり『別れよう』と言うことだ。
正直、拓磨の奔放ぶりに、いい加減嫌気がさしていたし、何よりも、拓磨にちゃんとしてほしい、と言う幼なじみとしての希望もあった。
また、実際付き合っていたと言っても、高校生にもなってキスの一つもしたことがないし、記憶をたどっても、手をつないで街を歩いたことすら、有るか無いか疑わしい。
ただ、お互いがお互いを空気のように、『居るのが当たり前』に感じていただけに過ぎない。
だから、ああなることは、いわば時間の問題、自明の理であったのだ。
とはいえ、『距離を置こう』と言ったときに、特に追いかけるわけでもなく、そのまま自然消滅を選択した拓磨に対し、これはこれで腹立たしい。
まあ、これについては、わがままな乙女心なのかもしれない、と、千紗は思う。
腹立たしいことは、もう一つある。
何で、よりによって『あの日』の直後に、新しい女の子、しかも、とびっきりかわいい子が現れ、いきなり拓磨と仲良くなっているのか?
タイミングが良すぎるのだ。
もしかして、その子と付き合おうとしていたから、千紗をあきらめたのだろうか。
そこまで考えた瞬間、千紗は、直前の考えを否定する。
拓磨は、そこまで器用な男ではない。これは、確実に断言できる。
もし、そんなに器用な男なら、千紗に振られることもなく、うまく関係を続けていけたに違いない。
「ねえ、ちぃったらぁ~、聞いてるぅ??」
声のする方に視線を戻すと、さくらが箸を持ったまま、上目遣いに千紗の顔をじっと見ている。
丸顔のさくらは、美人ではないが、おっとりしており、しかも、天然がかなり入っていて、可愛らしい。千紗でさえ、たまに、ぎゅっと抱きしめたくなる衝動に駆られることがある。
そう、系統で言えば『守ってあげたい』と感じさせる子なのだ。
外見に違わず、さくらの弁当も、こじんまりとした中に、色とりどりの具が入っており、こちらもままごとみたいで可愛らしい。
勇気のない隠れファンの男子が、少なくともこのクラスに3人はいることも、千紗は知っている。
「ん? えーと、何だっけ?」
すみません、何にも聞いてませんでした、と言う表情で、千紗は答える。
「んもぉ~、何それ、まるで櫻井君みたいじゃん。櫻井ワールド無き今は、ちぃワールド?」
さくらは、おどける。
「たっ、拓磨は関係ないでしょっ!」
千紗は、思わず大声を上げた。何で、そんなに癇に障るのか、自分でも分からない。
「ご、ごめんね。そういうつもりじゃ……」
さくらは、うつむき、ぼそぼそと言った。
ここまで来て、千紗が理不尽にさくらに当たり散らしたことに気づく。
「……あ、ううん。さくらは悪くないの。私の方こそ、大声出してごめんね。っで何だっけ、ごめん、もう1回言ってくれる?」
千紗は慌てて取り繕い、笑顔を見せる。
「あ、……うん。あのね、くだらないことなんだけどぉ~、今日ね、お兄ちゃんが来るんだぁ~」
目尻をさっとぬぐいながら、さくら。
――な、泣かないでよっ
千紗は罪悪感を募らせる。
「え、雅樹兄さん? よかったじゃ~ん」
「……うん」
千紗の言葉に、さくらは頬を染め、弁当を箸でつつき回す。
雅樹兄さんとは、さくらの従兄にあたる。大学生で、東京に住んでいるのだが、1ヶ月に1回、実家に帰ってくるのだ。それに合わせ、さくらの家にも遊びに来る。
雰囲気から推察できるだろうが、さくらは雅樹に憧れているわけで、雅樹が帰ってくるとなると、もう幸せの絶頂、と言うことだ。
「いいな~、さくらは。かっこいいお兄さんがいて……」
「ごめんね?」
さくらは申し訳なさそうに千紗を見た。
その言葉に、千紗は怒ったような表情を見せ、さくらの頬をつねる。
「何で謝るの? も~、やめてよね。そうやって、気を遣うの。私は何ともないし、金輪際、無しだよっ」
「ほ、ほへんははい」
さくらが謝ると、千紗は指を離し、くすくすと笑い出した。
少しの間、頬をさすっていたさくらも、つられて笑い出す。
「先輩には、ちゃんと言っておくから。さくらの分も私がやっておくし、部活のことは忘れて、心おきなくお兄さんに甘えて来な」
千紗は笑みを浮かべながら言う。
「うん、ありがとっ」
さくらも笑顔で答え、弁当を口に運んだ。




