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「気分はどうだ?」
「……崖から落ちたはずなのに、何故ここに? ここはどこ?」
拓磨は、まず持って一番疑問に思っていることを口にする。
「……相変わらず、人の話を聞かない奴だな」
「え?」
「いや、……何でもない」
エリスは小さくため息をつき、思い直したように拓磨を見た。
「ここは衛生科のテントだ。お前は逃亡を図って、崖から飛び降りた。私があと少し遅かったら、多分、助からなかったであろうな」
「助けてくれたの? 何で?」
拓磨の問いに、エリスは無表情に答える。
「当たり前だ。運ぶべき荷物が壊れました、では、任務失敗と同義だからな」
「荷物……かぁ」
拓磨は、自分の定義がその程度であることを知り、少なからずショックを受ける。
いや、何を期待していたと言うわけでもないのだが。
「べ、別に、物扱いしているわけではない! お前は人間なのだからな。ただ、我々の任務に置いて、お前は、王国に運ばれるべき対象という意味でしかない」
エリスは、慌てて付け加える。
「そういうもなのか」
もう少し言いようがあるだろうに。
確かに事実なのだろうが、何事もストレートに表現するエリスに、拓磨は、げんなりする。
「それで、入隊の件だが……」
エリスは、布団にかけている手に僅かに力を込めた。
「心配しなくても、もう逃げないよ。無理だからね。この山は周りが全て切り立った崖で、ここから自力で下りることは不可能。下りるためには、エリス達に下ろしてもらわなくてはいけない。でも、そんなことを無条件でしてくれるわけ無いから、僕も何らかの条件を呑まなくてはいけないと言うことだね」
目で笑う拓磨に、エリスは視線を落とし、布団越しに拓磨を押さえている自分の手を見つめる。
その様子をしばらく見ていた拓磨は、ある決意をする。
「一緒に行った場合、僕の……身の安全は保証されるの?」
拓磨の言葉に、エリスは拓磨を見た。
その表情からは、ほっとしたような心情が読み取れた。
直後、エリスは表情を改める。
「お前の身の安全は、私が保証する。作戦行動中の、いかなる危険からも、お前を守ることを約束する」
――普通、立場逆だよな
拓磨は可笑しくなる。
だが、自分の心情にある変化が起こっていることに、拓磨は気づいていた。
先ほどのエリスの姿を見たからであろうか。
少なくとも、目の前の少女をこれ以上追いつめてはいけない。
そう思った。
自分の状況をもっと心配しなくてはいけないのだろうが、最近色々ありすぎて、拓磨の思考は少しおかしくなっていたのかもしれない。
しかし、どうせ元の生活と言っても、じいちゃんも居ない、千紗も居ない中で、何か楽しいことがあるとも思えない。
それなら、目の前の少女に少しついて行ってみようか、と思う。
――千紗が聞いたら激怒するだろうな
千紗の顔を思い浮かべた瞬間、その千紗が何かを拓磨に指摘する。
拓磨は、大事な事を思い出した。
「いや、やっぱり駄目だ」
突然大きな声を出した拓磨に、エリスは僅かにビクッとなる。
「な、何だ?」
「ごめん、実は、2週間後に期末テストがあるんだ。これを受けないと、本当に大変なことになる」
「きまつてすと、とは何だ?」
オウム返しに問うエリス。
拓磨は、エリスの顔をまじまじと見た。
その質問に、やはり、エリスがこの世界の人間でないことを悟る。
「えっと、1つの学期で学習したことをチェックされる行事で、それを受けないと、学校生活を継続できなくなるものなんだ」
テストなんてどうやって説明すれば良いんだよ、拓磨は思いながら、適当に説明する。
「それは、お前にとって困ることなのか?」
「すごく困る」
エリスの問いに、即答する拓磨。
「それは、明日から、2週間学校に行けば解決することなのか?」
「するね」
エリスは、腕を組んで少し考え込む。
「……1、2週間程度なら、何とか調整可能だ。それに、こちらでやらなくてはならないこともあり、その作戦行動次第で、最悪延期もあり得る」
エリスは顔を上げた。
「だから、……大丈夫だ」
「そう。よかった」
拓磨は布団をどけ、起きあがろうとした。
途端、腰のあたりに激痛が走る。
「くっ!」
拓磨はそのまま仰向けに倒れた。
「どうした?」
エリスが、拓磨の顔を訝しげに見る。
「腰が……、やっぱり……落ちたときにどこか……打ったのかな」
拓磨が息を止めて、痛みをこらえる。
「それは変だ。地面に激突する直前に、私が引き上げた」
エリスは拓磨の腰のあたりに視線を移す。
「ちょっと、じっとしてろ」
エリスは、拓磨の腰の両脇に両手を当てる。
「ちょっ、エリス?」
いきなり触られる感触に、拓磨は心臓が高鳴る。
しかし、エリスは構わず、口の中で何事かを呟く。
拓磨は、エリスの手が当たっている部分が、熱くなるのを感じていた。
程なくして、痛みが無くなっていることに気づく。
「もう大丈夫だろう?」
エリスがこちらを見た。
拓磨は首を縦に振り、再び起きあがる。
今度は何ともない。
突然、エリスが、ずいと顔を近づけた。
「!」
再び焦る拓磨。
まるで、造形物のように整いすぎた顔。
ふわっと香る香りは、千紗のものとも女の子から想像するものとは異なり、何ていうか森林浴をしているような香り。
その口が小さく動く。
「今のは秘密だ。誰にも言わないでほしい」
エリスは、拓磨の目を見ながら小声で囁く。
意味もなく、何度も頷く拓磨。
どの部分が『秘密』なのだろう。
拓磨は考えるが、とりあえず全てを胸の内にしまうことにした。
よけいな思考を振り払うように、拓磨はエリスに手を差し出す。
「何だ?」
エリスが拓磨の手を見下ろした。
「入隊申請書。サインが必要なんだろ?」
拓磨の言葉に、エリスはしばし唖然とした顔をしていたが、少し微笑んだのを見逃さなかった。
「……ちょっと待っていろ」
エリスは軽い足取りで、テントの外に出て行った。




