(1)秘密
「……今日の中将は、あの陽界人に振り回されっぱなしでしたな」
「もう少し陽界のことについて勉強しておくべきだった。これは私の落ち度だ」
男性と女性の話し声がする。
――タケトとエリスだ
「陽界人なのに、なかなか良い物を持っているのではありませんか?」
「当たり前だ。一筋縄でいかない事ぐらい分かっていた」
――僕のことを言っているのか?
ぼんやりとした意識の中で、拓磨は考える。
「しかし、どうしたものでしょうか。この様子だと、また逃げ出すでしょうな」
「大佐も何か考えろ。奴らの手に下ることだけは避けねばならぬ。……それにしても、陽界は調子が狂うな」
「確かに、中将殿に何の恐れもなく喰ってかかるなど、我々の世界ではあり得ませんからね。一度とはいえ、中将を論理的にやりこめるあたり、我々には想像もつきません」
「か、彼のことを言っているのではない!」
「失礼しました! ……しかし、何か彼のことになると、やたら心穏やかならずですな、中将。まあ、確かに、彼は我々の常識が通らなく、正直私もいっぱいいっぱいです。国には居ないタイプですから、中将にとっても……」
カサッと音がする。
「無駄口が過ぎるぞ。……明日の朝飯になりたいか?」
「あ、……そうそう! 明日の作戦を確認しなくてはいけません故、失礼します!」
どたどたと音が遠ざかっていき、静寂が戻る。
シンとした中、再び拓磨は、意識が混沌としていくのを感じた。
「お前達に何が解るというのだ」
エリスが呟いたが、拓磨はすでに夢の世界へ旅立っていた。
○
――そういえば! 僕は崖から落ちたんだった!
いきなり意識が覚醒する。
覚醒した瞬間、拓磨は、自分が布団で寝ていることに気づく。
――もしかして、夢だったのか?
徐々に意識がはっきりし、開いた目の焦点が合ってくる。
黄色っぽい天井。
ゆらゆらと陽炎のように光が揺れている。
少なくとも、拓磨の部屋でないことは確かだ。
拓磨は起きあがろうとしたが、何故か起きあがれない。
そういえば、なんだか胸のあたりが重苦しい。
――やはり、僕は、死んでいるのか?
しかし、死後とは、こんなにも現実味を帯びているものだろうか?
拓磨は考える。
身体の感覚は全てある。
重力も感じる。
ふと視線を胸の方に動かすと、拓磨は、起きあがれない原因を発見した。
金色の髪の毛の少女が、拓磨の胸の部分にに突っ伏している。
「エリス?」
しかし、返事はない。
頭を少し上げ、エリスを見ると、エリスは寝息を立てていた。
こんな状況であるが、エリスの寝顔は、まるで天使のようだ、と拓磨は思った。
――中将……か
先ほど押し問答をしていた時の冷たい無表情とは違い、今は、あどけなさが残る少女そのものだ。
ふと気づき、拓磨はズボンのポケットを探る。
拘束はされていないようだ。
手に覚えのある感触があり、それを取り出す。
鈍く銀色に光る携帯電話。
その、表示部分を確認する。
『着信あり 2件』
――たぶん、母さんだな
ついで、現在が夜の10時を少し回ったところであることを知る。
――意外に時間が経っていないな
エリスに連れ去られたのが、たぶん7時ぐらい。
押し問答は30分もかかっていなかったと思う。
それで、自転車で逃亡を試みて、崖から落ちて……。
――何でここに居るんだ?
「う……」
拓磨が混乱する記憶を整理していると、エリスがぴくりと動く。
そして、目を開けるやいなや、自分が寝ていたことに気づき、『しまった!』と言う表情を見せ、慌てて口元をぬぐい、顔を上げる。
その視線がこちらを捉え、さらに自分の失態が大きな事を悟り、悔恨の表情になる。
「……起きていたのか?」
――見ていたのか? 見ていたよな?
そう問うているエリスの目に対し、
――ええ、一部始終全て。
拓磨が目で答えると、エリスは泣きそうな顔でうつむいた。
「ここ数日、寝ていなかったから……いや、そんな言い訳をしても意味がないな。ただ単に、私の自覚が足りなかったと言うことだ」
初めて見る表情。先ほどの作戦室での無表情とは、あまりにも落差がある。
このような姿を、部下達は知っているのだろうか? もしかして、唯一拓磨がその『隙』を目撃したのだろうか。
中将と呼ばれているエリス。先ほど見ただけでも、ざっと千人の兵士。少なくとも、それだけの兵士を統率している総責任者なのだ。
しかし、目の前にいるのは、少なくとも外見は、まだ年端もいかぬ不安に押しつぶされそうな少女そのもの。まるで、背負いきれないほどの様々な責務を必死に支えているような。
拓磨が、何か声をかけようとした時には、無表情のエリスに戻っていた。




