知らないままに
私が罰を受けるなんて思っていなかった。ただ、私の身に何が起きているのかさえも。アルファロメオ159に乗っているような家庭に生まれ、お手伝いのおばさんもいる少年時代を過ごした。
小学校、中学校と公立の学校に進んだ。頭が特別によかった訳ではない。ちょうど中間位であった。高校は都立の学校に受かって通っていた。特に友達が多い訳でもなく、少人数のグループに入っていた。私立の大学に入り、就職活動をして地方銀行の内定をどうにかもらった。その時、これで銀行員になって一生がいいのだろうかと悩んだあげく内定を辞退した。
内定辞退は進学するという理由にした。実際、大学院に進学することにしたが、それは銀行員をやっていける自信がなかったため、後からそうすると決めたためである。岐路であったと後から思う。
地方の大学院に進学した。大学院では環境経済学を専攻した。研究は苦労の連続であったが、はじめて仲間と苦労した経験となり、2年間の修士課程は楽しい期間であった。
博士課程にぜひと声をかけてもらったが、食べていけるか不安であった。また、1度も社会にでていなくなることが気がかりだった。そのため、博士課程は断り、就職活動をした。修士課程となると、研究に結び付くような企業が良いと考えた。コンピュータを使用した研究であったため、システムエンジニアの会社を探した。
大学時代より内定をもらえ、業界大手の会社にはいることができた。私自身、内定をもらった時は大喜びだった。きっと中身を知らず、会社名と安定というものに喜んでいたのだろう。家族もよかったと喜んでくれた。勤務地は東京。希望通りである。数百名の新入社員がいる中で私は負い目があった。みんな優秀にみえるからだ。また社交性のない私はグループに溶け込めず、研修の頃から一人のことが多かった。
研修期間が終わると職場に配属となる。数百人が1人~10人ほどずつ職場に配属となる。私は10人程度と一緒の部署に配属になった。知っている同期はだれもいなかった。
不安と出来ないというコンプレックスでいっぱいな自分は精一杯背伸びしていた。周りの目も査定をしているかの様な目でみられていた。そんな職場で2年間OJTを実施する。
私の上司は新人課長であり、怖いことで有名であった。私を含めた3人が上司の部下となった。1人は東大でのいわゆるエリートで要領がよかった。1人はスポーツマンで人柄がよく誰とでも仲良くできる性格であった。私は特に真面目という印象しかなかった。
そんな3人の中で上司からいつも叱られていたのは私である。上司や先輩から大丈夫かと直接言われ、ストレスで手の皮がやぶれてしまった。そんな2年間を耐え、ようやく信頼を勝ち取った。
私の全ては仕事になっていた。今までやってきたスポーツ、趣味、全てを失っていた。そして友人関係も。全ては仕事のためにある。仕事ができれば何でもうまくいく。がむしゃらに働いた。
そんな折、部署の異動を命じられた。もう気がつけば6年目となっていた。行き先は金融のシステム。新規のシステム構築だと言う。行ったその日から分かった。この部署は問題があると。