上編
昭和20年(1945年)8月の夏。沖縄も陥落してソ連が侵攻。2発の原子爆弾を投下され、目を血走りながら狂ったように一億総特攻が叫ばれ、本土決戦目前の日本。
度重なる空襲により町々が焦土と化した日本の空をオレンジ色の炎を吐きながら白煙を吹き上げて飛ぶ1機の戦闘機がいた。その戦闘機の名前は三菱J8M/キ-200十九試局地戦闘機《秋水》
「上昇角45度!現在、高度8000m!」
「僅か2分足らずでこの高度とは流石、ロケットエンジンですな。博士」
「技師長!僅か1年足らずでよくぞここまで作ってくれた!礼を言うぞ!」
「秋水さえあれば米帝のB公など敵ではないわ!」
陸海の軍服を着た将校達から口々に賛辞の言葉を浴びせられた男だが、その言葉に一言も返さず“ジッ”と空を見つめていた。
無線機からは秋水のテストパイロットからの通信が流れ続けていた。
「高度1万m突破!現在、高度1万1000m!技師長、やりました!遂に高度1万mを越えましt」
その直後、無線機の向うから爆音が響いた。そして空から爆音が轟いた。
「・・・・・・秋水、爆散しました」
技師の1人からその報告を静かに聞き、聞き終わると黙って兵舎に入っていた。彼は手を固く握り締め、握られた拳から血が滴り落ちていた。
そして数時間後・・・
秋水の開発に携わった陸海の技術屋一同が集まった会議室は通夜のように重い空気に包まれていた。
「結論から先に申し上げますと・・・・・秋水の開発は中止となりました」
空技廠の将校が申し訳なさそうにそう言った。その言葉に部屋のアチコチから大きなタメ息が漏れた。
そのタメ息は“やっぱりか”“今までの苦労は一体、何だったんだろうな”と云う気持ちが満ちたモノだった。
こうなる事は分かっていた。だからこそ秋水の開発中止の理由を理解し、納得も出来ていた。
「「「チョット待て!!」」」
だが、だからこそ空気も読まずにこう言う風に声を挙げる奴が出る事も予想済みだ。
“空気読めよ”と冷ややかな目線が浴びせられるなか、声を挙げたのは秋水の実用化を声高に叫んで開発を推し進めていた軍服を着た連中だ。
「秋水は皇国必勝の秘密兵器!その速度は音速を超える事も可能な機体だ!なのにたかだか事故如きで開発中止と何事か!?」
「そうだ!秋水さえあれば米帝に天誅の一撃を加える事が出来るのだ!」
予想通り過ぎて技術者達の間からは白けた空気が漂い始めた。
「こういうバカが・・・」とか「アホか、コイツ等は?」などという呟きがチラホラと聞こえ始めた。
「ッ!バカと言うか!今言った奴は出て来い!」
馬鹿にされて顔を真っ赤にした将校の1人が腰の軍刀に手を伸ばした。それを遮るように言った。
「秋水はもう必要がないのですよ」
その一言に口々に囀っていた軍人達はピタリと口を閉ざした。
「伊29の資料によって陸さんが火龍を開発して既に実戦配備済み。多数のB-29を撃破して戦果を挙げている」
言葉を引き継ぐように海軍からの技術者が続けて言う。
「海軍も陸軍の火龍を橘花として採用して配備。しかも地対空誘導弾“奮龍”も実戦配備済み。どちらも実戦に投入されて実力を発揮しています」
「大体、こうなる事は最初から分かっていた事ですし」
「そうそう。秋水は最大利点である早さが命取りなのですよ」
「・・・どういう意味だ?」
別の技術者の一言に軍人の1人が噛み付いた。
「あまりにも早過ぎて照準を合わせる暇がないのですよ。おっしゃる通り秋水の速度は音速にも迫る世界最速の速度です。これに追い付ける機体はいません。しかし、余りにも速過ぎる為にまともに照準を付ける事が出来ません。B-29相手で射撃のタイミングは僅か数秒がやっとです。通常の戦闘機を相手にした場合は全く照準を付けられません」
こうなることは秋水の元となったMe163《コメート》の報告書を呼んだ時から解り切っていた事だ。
元ネタの機体を作ったあの技術大国のドイツ人達でさえ敗戦を迎えた最後の日まで扱い切れなかった機体なのだから。
「つ・ま・り・だ。上の連中は試作中でしかも完成したとしても空対空特攻ぐらいにしか使えない物よりも、既に実戦に投入して戦果も挙げて、信頼に足る物に力を注ぐ方が特策と云う常識極まりない判断をようやく下したんだよ」
声高に開発中止に反対の声を挙げていた軍人達はグゥの音も出ない程に開発チームの技術者達から言われて黙り込んだ。
カタログスペックに惑わされて欠点を見ようとせず、実用化を主張した結果の無責任な末路だ。
「それで今後の事ですが――――」
一通り言い合いが済んだ所を見計らって開発中止を言った空技廠の将校が言った。
「今後、皆さんは各部署に配置転換となると思いますが、詳しい事は後ほど報告します。それまでに各自の準備の方をしていて下さい。それでは解散です」
そう言われ各自、散々に部屋から出て行ったが、一人だけ残った男が居た。秋水爆散の報告を拳を握りながら黙って聞いていた技師長だ。只一人黙ってタバコに火を付けて燻らしていた。
「ヨッ~黄昏ているね~」
そこへ薄笑いを浮かべた男が部屋に入っていた。
「・・・お前か。今更、何しに来た。秋水の開発中止になった事への祝辞でも挙げに来たのか」
男の顔を見て忌々しそうに顔を歪めながら、憎々しげに言った。
「近いな。言った筈だぞ。秋水は資材と時間の無駄だと。あの時、私はこう言ったよな?“これが名高き殺人戦闘機か。空対空特攻機にするかと思ったぞ!”と、な。案の定、そうなった。あんな身の丈にも合わん物に人員と資材を投入した軍部の連中の気が知れん」
ニヤニヤと嬉しげに笑みを顔に浮かべながら嬉しそうに言い放った。
「・・・それで?今、順風満帆の火龍開発チームの頭のお前がこんな負け犬に何しに来た?」
「簡単な事だ。家に来い。今、新型の火龍を開発中だ。それにはお前が要る」
「お前、今の状況が分かっているのか?日本の敗北は確実だ。そんな状況で新型機の1機や2機有っても戦況は好転しない。そんな状況で何をする気だ?」
「簡単な事だ」
そう言いながら、先程より嬉しそうな笑みを浮かべ、しかし目には狂気の炎の渦巻きを宿しながら楽しそうに言い放った。
「1人でも多くのアメリカ人を殺す事だよ?無差別攻撃?戦争だから仕方ない?宜しい、ならばコチラにも殺す権利はある!1人でも多くのアメリカ人を殺し、家族を悲しみに叩き落とし、地獄を見せてやるやるだけだ!」
狂気と狂喜に満ち満ちた笑みと高笑いを上げて、手を広げながら宣言した。
「・・・・・・貴様は、そこまでして復讐をしたいのか?奥さんや子供達のカタキを討ちたいのか?」
寂寥感を漂わせて、憐れみに満ちた顔をしながら聞く。
「当然の事を聞くなよ?当たり前だろ?」
高笑いをピタリと止めて“何を言ってるだコイツ”と差も当然という顔をして言った。
「アイツは広島で同僚と患者と病院ごと、骨も残さずに放射能の炎で焼かれたんだぞ?復讐位するのは当然の事だろうが?」
そして血を啜る吸血鬼のように八重歯を剥き出しにしながら言う。
「お前も奥さんを長崎で亡くしたんだろ?アイツ等に復讐したいだろう?ならば一緒に復讐しよう。良い返事を期待しているぞ」
そう言って立ち去る彼の姿はまるでメフェストの化身のようだった。その背中を見送りながら「バカ野郎」と小さく呟いた。