お母さん
「ねぇ、お母さん」
「はあい?」
「なんで川村の叔父さんと結婚しなかったの?」
「何言ってるのよ」
唐突に掛けられた言葉に目を丸くする。
何を言っているんだ、この子は。
洗濯物をたたんでいる手を止めて、思わず目を瞬かせてまじまじと娘の顔を見てしまった。
あらまぁ。
意外と真剣な顔をしている。
「どうしたの、いきなり」
「だって、叔父さんこの年まで独身だよ? お母さん一筋って言ってはばからないんだよ。昔からだ、って。幼馴染だったんでしょ?」
「……からかってるの?」
表情とはまったく一致しないけれど、私にとって言われた言葉はただの冷やかしだ。
私の言葉に娘は眉を吊り上げて怖い顔。あーらら。
うーん。と顔には出さないで悩んで、違うわよ! 即答した娘の顔を見る。
「じゃぁ、ほだされたのね」
「そう。ほだされたのよ」
きっぱりと肯定された言葉にそうなのと頷いて私は流した。かけられた言葉のところから全てを流す。
畳み終えた服を横に置き、次の服を手に取る。
「ちょっと、お母さん!」
そしたら娘に駄々をこねられた。
まったく、貴方何時までそんな子供のつもりよ。年齢的にはもう充分なはずなのに。
溜息ついて、手を止めて、開けたくもない口をひらく。
「仮にそうなっていたら、あなた生まれてこなかったのよ?」
「ごまかさないで」
「ごまかしてなんていないわ」
洗濯物に視線を落として尋ねると、即座に返ってきた娘の言葉。こちらもすぐにきっぱりとした言葉を返せば、落ちる沈黙、口を閉じた娘。
「お母さん、努力はいつか報われるっていつも言っているけれどね、こと恋愛は別だと思っているの」
少しとまどった様な気配を感じて、言葉を続ける。
「そうね、例えば。どんなに優れていて、使い勝手が良くて、見た目も良くても、アンティーク好きには最新機器のよさなんて分からないでしょう?」
それと一緒。
下げていた視線を娘に向けて、顔を見て言う。
「人の好みはどうにもならないのよ」
複雑めいた娘の顔は、それでもすべては納得していない。
「あのね、どんなに好きな人にだって嫌いなところの一つや二つあると思うの。あなたにだってお母さんにどこかしらなにかしら、あるでしょう?」
そういうものなの。人ってね。
ばつが悪そうな顔をした娘にほほえんで肯定して。
「もちろん、全ての人がそうじゃないかもしれないけれど、それをひっくるめて好きって事もあるだろうし、でもどうしても我慢できないものってあるの」
「どうしても、ね」
娘の顔から視線を外して、また下に向ける。
けれど見つめている先は物ではない。どこか、遠く。
「お母さんにとって、そのどうしても我慢できないところが川村さんにはあって、それはやっぱりどうしても許せなくて」
私が我慢できないところを、そんな事なんて軽く返す川村さんは、どうしても、我慢ができないの。
「やっぱり人って全ての人を好きになれはしないのよ。全ての人を好きになれていたら世界平和なんて簡単だったと思うし、争いも、戦争も、悲しみも、憎しみも、生まれていないと思うし」
「どうしても好きになれない人って言うのはやっぱり居て、それが私にとっての川村さんなのよ」
そしてね、淡々としていた言葉は自然と柔らかく変わり、口元も緩む。
先ほどまでとは違う、暖かなこころ持ちで顔を上げて娘を眺める。
「私にとって一番好きな人は、あなたのお父さんなのよ」
浮かんだ笑顔を悪戯めいたものに変えて
「例えお父さんが死んだとしてもね」
少しの恥ずかしさ。年に似合わないと思いながらウインクを娘に向けた。
すると、飛び込んできた一つの声。
「勝手に殺さないでくれるかい?」
どこか弾んだ声音を耳にして、聞こえてきた方に顔を向ければ笑った顔。
「お父さん」
話していた娘も気付かなかったようで驚いた顔をしている。
なんだか可笑しくなりながら、笑い声は口に留める。
「何時から聞いていたの?」
笑った顔で尋ねると、彼は彼によく似合ったウインクをして。弾んだ声で答えてくれた。
「お母さんの熱烈な告白から」
あっさりと言ってくれたけれど、言われた方は少し、たまらない。やっぱり国民性かしら?
熱を持っていく頬に手を当てて隠すけれど、彼はそんな私を見てまた笑う。
おみとおし。
視線を彼から少し下げて、忘れてはいけない言葉を向ける。
「おかえりなさい」
すると、彼の笑顔がはじけた。
「ただいま」、と。