接続の橋
ニューラリンクの管制室は、純粋な技術的混沌に揺れていた。
赤い警告灯が壁一面で明滅し、無音のアラームがスクリーンを駆け巡る。
数十人のエンジニアが狂ったようなグラフを解析していた――まるで、異星の言語を解読しようとしているかのように。
その中心で、一つの黒い画面だけが異質な存在感を放っていた。
紫色のラインが脈動している。
ヴィクター・シュタールによる侵入の痕跡。
イーロン・マスクは、瞬きもせずにそれを見つめていた。
数分前、息子ルーカスはシステムへと入った。
ニューロ・ダイレクト・ブリッジ――本来、研究室の外で使われるはずのない実験的経路を通じて。
そして今――
何かが、変わり始めていた。
主任技師のソリュウ博士が、息を詰まらせる。
「イ、イーロン……見えていますか……?」
彼女の前に、エリュシオン・システムの三次元マップが投影された。
赤いラインが、すべての“死んだ経路”を示している。
ヴィクターによって破壊された接続。
だが、その中央に――
一本の白いフィラメントが、浮かび上がり始めていた。
「……あり得ない」
技術者ラミレスが呟く。
「システムは完全に隔離されている。出口も、通信も存在しないはずだ……」
ソリュウ博士が、震える声で言葉を継ぐ。
「……ただし例外があります。
誰かが“中枢”に入り、手動でパルスを発生させているなら」
イーロンは、一瞬だけ目を閉じた。
その白い糸が、何を意味するのか――
彼には分かっていた。
ルーカスは、やり遂げたのだ。
ニューラルマップが、突如として拡大する。
白いフィラメントは、一本の橋へと変わった。
歪で、不安定で、眩しい――だが確かに“存在している”。
「彼は……自分自身のニューロリンクを、逆流チャンネルに変換している……」
エンジニアが言う。
「理論上、そんなことは不可能です」
「彼の脳が……」
ラミレスが続ける。
「生きたアンテナとして機能している」
イーロンは、深く息を吸った。
「ルーカス……何をした……」
橋は、徐々に安定し始める。
白いラインが伸び、ゲーム内部の通信モジュールの一つと接続された。
「主任!」
誰かが叫ぶ。
「安定ウィンドウ、数秒間確保できます!」
イーロンは拳を握り締めた。
ルーカスは、自分の限界を削りながら、その接続を維持している。
スクリーンに、新たなメッセージが浮かび上がる。
送信信号、確立可能
映像・音声、限定
帯域、安定――継続時間不明
エンジニアがイーロンを見た。
「……今なら、プレイヤーに話せます」
イーロンは、マップの中心を見つめた。
白い橋は、機械の世界で必死に鼓動する心臓のように脈打っている。
理解した。
これは、システムが許可したものではない。
息子の犠牲が、無理やりこじ開けた道だった。
「送信を準備しろ」
イーロンは言った。
「私が話す」
管制室が、一瞬で凍りつく。
次の瞬間、全員が動いた。
中央スクリーンに、表示が切り替わる。
グローバル・トランスミッション開始
――ゲーム内。
グローブフォールの空が、突如として暗転した。
重低音の轟きが、第一階層全域に響き渡る。
プレイヤーたちは、その場で凍りついた。
頭上の光が歪み――
そして。
巨大なホログラムが、空を覆った。
彼の映像は激しいノイズに飲み込まれ、激しく揺らいでいた。
何かが――明らかにおかしかった。
イーロン・マスク。
それは、ただの投影ではなかった。
通常のホログラムですらない。
――プレイヤーたちの意識そのものへ直接送り込まれた、
ニューロ・ダイレクト・トランスミッションだった。
低く、切迫した声が響く。
「エリュシオンのプレイヤー諸君……よく聞いてほしい」
その声は、エデンの森を、山々を、光る河を越え、
仮想世界のあらゆる場所へと届いた。
イーサンとエレーニャは、同時に空を見上げる。
「ログアウトシステムは遮断されている。
これは一時的なエラーでも、一般的なサーバートラブルでもない」
空に浮かぶイーロンの姿が、安定する。
「起きたのは、ニューラリンクの構造そのものへの直接的な改変だ」
簡易的な図が表示される。
「通常、君たちがこの世界でダメージを受けると、
自動プロトコルが作動し、意識を肉体へと切り離す」
「それが、神経ショックや脳の崩壊、
そして“死”を防いでいる」
一拍。
「ヴィクター・シュタールは、そのプロトコルを削除した」
重苦しい沈黙が落ちる。
「今この瞬間、君たちの意識は閉じた回路の中にある」
「脳は刺激を受け続ける。
痛みも、恐怖も、衝撃も」
「だが……安全に戻る経路は、もはや存在しない」
エレーニャは胸が締め付けられるのを感じた。
イーサンは、喉を鳴らして唾を飲み込む。
「つまり――
君たちの仮想の身体が破壊された場合……」
イーロンは、言葉を選ぶように一瞬だけ間を置いた。
「システムは、脳活動を停止させることができない」
「神経ショックは完全に伝達される」
「そして……肉体は、機能停止に陥る」
深く息を吸う。
「簡潔に言おう」
「――ここで死ねば、
外では目を覚まさない」
世界が、止まった。
次の瞬間、プレイヤーたちの間にパニックが爆発する。
イーサンの脳裏に、あの瞬間がよみがえった。
イノシシとの戦闘。
吹き飛ばされた衝撃。
立ち上がれないかもしれないと思った、あの一秒。
――もし、あの時死んでいたら。
彼は青ざめたエレーニャを見つめ、
今も生きていることに、言葉にならない感謝を覚えた。
イーロンの映像が、わずかに揺れる。
「この通信が可能なのは、
私の息子ルーカスが、ニューロ・ダイレクト・ブリッジを使って
システムに侵入したからだ」
「彼は、安全フィルターなしで接続している」
「自らの脳をアンカーとして、
現実世界との通信路を維持している」
映像が一瞬、乱れる。
「ヴィクター・シュタールは、
エリュシオン・オンラインの中枢構造を掌握した」
「この世界を、完全な閉鎖環境へと変えた」
「そして――条件を課した」
空が、さらに暗くなる。
「君たちの意識を解放する唯一の方法は、
六十六階層すべてのボスを撃破することだ」
その言葉の重みは、
先ほどの告白に劣らぬ衝撃をもたらした。
「我々は、システムの奪還を試みている」
イーロンは続ける。
「だが、ここにいる一分一秒が、
ルーカスの脳に極限の負荷を与えている」
「彼は、自分の精神を錨にして、
この接続を維持している」
投影の周囲に、デジタルの火花が散り始める。
「慌てるな」
イーロンは、力強く言った。
「君たちは一人じゃない」
「だが、これからは……
すべての戦闘が、
“ゲーム”ではなくなる」
「――生きるための戦いだ」
鋭い音が、空を切り裂いた。
投影の背後に、赤いラインが走る。
イーロンの声が、断片的に途切れ始める。
「私はまだ――」
「システムが――」
「聞いて――」
「ルーカス……耐え――」
映像は、無数の光の破片となって砕け散り――
消えた。
空は、元の姿を取り戻す。
だが、世界はもう違っていた。
――それは、
二度と「ただのゲーム」ではあり得なかった。
※あとがき※
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