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ELYSIUM ONLINE  作者: ZionKousei
7/11

混沌の始まり

エリュシオン・オンラインの正式ローンチから、わずか三時間。

最初の警告が姿を現した。


はじめは、メイン画面に表示された小さなオレンジ色の通知。

次に、十数件。

やがて、数百件。


そして、一斉に――

オペレーションルームのすべてのスクリーンが赤に染まった。


エンジニアたちが椅子から立ち上がる。

机の縁で、控えめなアラームが震える。

コードの行が明滅し、消えていく。まるで、システムそのものが何かを隠そうとしているかのように。


「……おかしい」

ネットワーク技師が呟いた。

「ログアウトのパケットが……消えてる」


「消えたってどういう意味だ?」

別の技師が必死にキーボードを叩く。

「このモジュールは消失できない! ハードウェアレベルでロックされてるはずだ!」


そのとき、監督者が叫んだ。


「ヴィクターが、ローンチ以降一切連絡に応じない!

もう打つ手がない……ムスク氏しかいない。彼を呼べ!」


イーロン・マスクは、ビルの中にはいなかった。


彼は報道エリアでローンチを見守っていたとき、神経通信端末が最高警戒レベルで振動した。


迷うことなく、走った。


自動扉が金属音を立てて開き、息を切らしたイーロン・マスクが姿を現す。

その表情にあったのは恐怖ではない。

極限まで研ぎ澄まされた集中だった。


「何が起きた?」


チームは道を空け、ログアウト機能が消失したこと、そしてヴィクターと一切連絡が取れないことを、矢継ぎ早に説明する。


そのとき、大型スクリーンの一つが明滅した。


映像が自動的に再生される。


ライブではない。

配信でもない。


――録画だった。


画面に映し出されたのは、ヴィクター・シュタールの顔。


ニューラリンクを世界的エンターテインメントへ統合した責任者、CEO。


彼は落ち着いた声で語り始める。

焦りはない。

一言一句、計算されたかのように。


「これを見ているということは、ニューロ・ロック・プロトコルがすでに起動しているということです」


彼は手を軽く動かし、見えないスライドを送る仕草をした。


「それが何を意味するのか、正確に説明しましょう」


部屋は完全な静寂に包まれた。


「ニューラリンクは、三つの主要層で構成されています。

第一層、脳とシステムを接続する物理インターフェース。

第二層、精神信号をデジタルデータへ変換するニューロブリッジ。

第三層、意識が相互作用するシミュレーション環境」


ヴィクターは一度、息を整える。


「通常、ログアウトボタンは第二層に作用します。

ニューロブリッジを遮断し、意識を肉体へ戻す」


彼は、カメラをまっすぐ見据えた。


「私は、その機能を削除しました」


室内の何人かが、青ざめる。


「無効化したのではありません。

一時的にブロックしたのでもない。

外部コマンドによって、ニューロブリッジを終了できない構造に、システムを再設計したのです」


臨床的な口調で、彼は続ける。


「現在、意識はエリュシオンに“接続”されているのではありません。

内部の神経環境に“固定”されています。

強制的な遮断は、接続を切るのではなく……帰還を可能にする構造そのものを破壊します」


短い間。


「平易に言えば、脳は生き続けるが、

精神は戻る道を失う」


重苦しい沈黙。


「ただ一つ、例外を残してあります」


ヴィクターは指を立てた。


「ゲームの完全クリアです」


視線は揺るがない。


「六十六階層すべてを踏破した時、

システムは手動でニューロブリッジを解放し、

意識の肉体への再統合を許可します」


数秒が流れた。


「それ以外の離脱行為は、

非対称的ブリッジ閉鎖を引き起こします。

意識は肉体にも戻れず、

システム内にも完全には留まれない」


彼は、わずかに首を傾けた。


「層と層の狭間に閉じ込められる。

一般的には……永久昏睡と呼ばれる状態です」


そして、同じ落ち着きで付け加えた。


「もう一つ、理解すべき点があります。

エリュシオン内部では、意識は完全稼働状態です。

遠隔操作されるアバターではありません。

環境内で活動しているのは、その人自身の精神です」


カメラを見据える。


「もし仮想の身体が死亡した場合……

再統合可能な精神構造は存在しません」


最後の沈黙。


「技術的には、意識の溶解が起きます。

人間の言葉で言えば――完全な死です」


映像は、そこで途切れた。


数秒間、誰一人として動けなかった。


混乱が、部屋を飲み込む。


「はったりだ!」

「一人でそんなことできるはずがない!」

「ヴィクターは神経モジュールの半分を書いた人間だぞ!」

「誰も知らない経路を把握してたんだ!」


怒号が飛び交う中、イーロンだけが動かなかった。


彼の目は、今なお流れ続けるコードに釘付けになっていた。

一行一行が、彼の最悪の予感を裏付けるかのように。


「……彼は本当のことを言っている」


ざわめきが、一瞬で止まった。


「それは……本当に可能なんですか?」

一人のエンジニアが震える声で尋ねる。

「人が、神経インターフェースの中に閉じ込められるなんて」


イーロンは深く息を吸った。


「ニューロブリッジは、心と機械を行き来する交通網のようなものだ」

「通常、仮想環境で致命的な損傷を受けると、

脳は即座に切断信号を受け取り、強制的に離脱する」


彼は画面の図を拡大する。


「それが、神経ショックや認知崩壊、

そして脳死を防いでいる」


視線を上げる。


「ヴィクターは、それを無効化した。

自動解離プロトコルを削除したんだ」


沈黙が、さらに重くなる。


「つまり……」

イーロンは言った。

「中で死ねば……外でも死ぬ」


冷たい戦慄が、部屋を走った。


そのとき、一つの声が沈黙を破った。


「だからこそ、待っていられない」


全員が振り向く。


ルーカス・ムスクが、扉の前に立っていた。


「中にいる人たちは、まだこれをゲームだと思ってる」

彼は机へと歩み寄る。

「ただのバグだと。システムエラーだと」


図を指差す。


「彼らは知らない。

死亡メカニクスが、すでに変わっていることを」


エンジニアたちは顔を見合わせた。


「誰かが倒れたら、リスポーン画面は出ない」

「神経過負荷による心停止が起きる」

「そして……中の誰も、それを知らない」


現実が、殴りつけるようにのしかかる。


「方法は一つある」

ルーカスは言った。

「直接入るんだ。ニューロ・ダイレクト・アクセスで」


イーロンの胃が、締め付けられた。


「それは、セーフティが存在する前の旧式モードだ」

彼はすでに理解しながら言う。

「脳を、システムの中枢へ直接接続する。

フィルターも、緩衝もない」


「分かってる」

ルーカスは答えた。

「でも、誰も警告しなければ……

人は、ゲームだと思ったまま死ぬ」


今度の沈黙は、技術的なものではなかった。

倫理だった。


イーロンは一瞬、顔を覆った。

否定ではない。重さだった。


「この技術を作ったとき……」

低く言う。

「誰も、命を失わないと誓った」


目を上げる。


「だが今、それが人を殺そうとしている」


ルーカスが近づく。


「だから直す。

できる方法で」


イーロンは深く息を吸った。

恐怖の居場所は、もうなかった。

残っていたのは、責任だけだ。


「ダイレクト・アクセスで入れば……」

彼は言う。

「数分間、外部ブリッジが維持される。

残留チャンネルが生まれる」


一拍。


「それを安定させれば……

中の全員に警告を送れる」


彼は続ける。


「安全な任務じゃない。

自分の脳が過負荷を起こす前に、どれだけ時間を稼げるかの勝負だ」


ルーカスは頷いた。


「十分だ」

「真実を伝えるには」


「もう、ゲームじゃないこと」

「中で死ねば……外でも死ぬこと」


イーロンの目が変わった。


それは、リスクを計算する科学者のものではない。

遅すぎたかもしれないが――

それでも命を救えると知った人間の目だった。


「この橋を作ったのは、我々だ」

彼は言う。

「なら、壊れたときに渡る責任も、我々にある」


息子を見る。


「ニューロ・ダイレクト・アクセスを準備しろ」


チームは即座に動き出す。


センサーの再調整。

安全フィルターの解除。

緊急プロトコルの停止。


ルーカスは、インターフェースチェアに座った。


ニューラリンクが後頭部に固定される。


イーロンはその隣に立ち、

息子の肩に手を置いた。

一瞬、震えた手は、すぐに確かな力を取り戻す。


「息子として行くんじゃない」

彼は言った。

「悲劇を止められる、唯一の人間として行くんだ」


ルーカスは、静かに笑った。


「じゃあ……救おう」


システム音が鳴る。


ニューロ・ダイレクト・ブリッジ、起動。


ルーカスは目を閉じた。


スクリーンに表示が現れる。


システム接続完了。

ユーザー、ログイン成功。


オペレーションルームは、完全な静寂に沈んだ。


イーロンは動かなかった。


その瞳にあったのは、恐怖ではない。


それ以上のものだった。


その瞬間、彼はただ息子がシステムに入るのを見ていたのではない。

創造が責任を要求する地点に到達したことを、

身をもって受け止めていたのだ。

※あとがき※


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

感想や評価をいただけると励みになります。

次回もよろしくお願いします。

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