グローブフォールで迎える最初の夜
夕暮れの光が、エデンの街を囲む巨大な樹冠の間に、ゆっくりと溶け込んでいく。
空は金色と青のグラデーションに染まり、小さな光の結晶――マナの粒子が、魔法の蛍のように静かに宙を漂っていた。
イーサンとエレーニャは、街へと続く大通りを並んで歩いていた。
淡い色の砂埃が夕日の中で輝き、その瞬間、世界は完璧に思えた。
二人は、何時間も一緒に訓練していた。
そしてイーサンは、ゲームに入って以来初めて、奇妙なほどの「普通」を感じていた。
エリュシオンは、ただのMMORPGではない。
ここでは――少なくとも今は――現実に限りなく近い何かを、生きている気がした。
遠くで、グローブフォールの白い塔が、黄昏の空を貫く光の槍のように輝いている。
歩みを進めるごとに、森の音は薄れ、代わりに人々の会話、金属を打つ音、商人たちの呼び声が重なっていく。
街は、確かに生きていた。
エレーニャは数歩先を歩きながら、背中の弓を調整する。
「今日は、かなり訓練できたわね」
彼女は振り返り、柔らかな笑みを浮かべた。
イーサンは両手を頭の後ろに回して笑う。
「正直、ここまでやれるとは思ってなかった。もっと早く死ぬと思ってたし」
彼女は片眉を上げる。
「実際、かなり危なかったわ」
少し間を置いて、声を和らげた。
「でも……覚えるのは早い」
イーサンは、わずかに頬が熱くなるのを感じた。
「命を救ってくれてありがとう。また、だな」
「気にしないで」
彼女は視線を逸らし、小さな笑みを隠す。
「ゲームでも、死ぬのは好きじゃないし」
少し間を置いて、付け加えた。
「それに……一人で訓練するのって、結構つまらないのよ」
その言葉は、イーサンの胸に静かに落ちた。
だが、彼は何も言わず、心の奥にしまった。
グローブフォールの正門に辿り着くと、制服姿のNPC衛兵たちが二人を迎え、街の照明が自動的に灯り始める。
光の糸に吊るされた魔法のランタンが、次々と宙に浮かび上がった。
市場は、夕暮れ時にもかかわらず賑わっていた。
色鮮やかな果物、輝く武器、軽装の防具、魔法の巻物、さらには精霊のペットまで。
露店が連なり、活気ある風景を描いている。
プレイヤーたちは語り合い、笑い、スキルを試し、小さな成長を祝っていた。
イーサンは、その光景を、初めてテーマパークに足を踏み入れた子どものように眺めていた。
二人は、大きな噴水の前に立ち止まる。
そこには、青い光を放つマナ結晶を掲げた守護者の像があった。
イーサンは、もう一度だけ浮遊パネルに触れる。
何も表示されない。
ログアウトのアイコンは、どこにもなかった。
ただ、システムの沈黙だけがある。
「……そっちにも、出てないよな?」
エレーニャは腕を組む。
「ええ。完全に……消えてる」
「やっぱりバグか」
彼は言った。
近くを通るプレイヤーたちも、同じ話題を口にしている。
「ログアウト消えたんだけど!」
「バグだろ、落ち着け」
「初日だし、普通だよ」
「明日には直るって」
「私たちだけじゃないわね」
エレーニャが言う。
「宿に行こう」
イーサンは答えた。
「明日には全部正常になってるはずだ。バグは、バグだし」
広場全体にランタンの灯りが広がる。
風は冷たさを増し、
仮想の夜空には、あまりにもリアルな星々が瞬いていた。
イーサンは、それがコードで生成されたものなのか、ニューラリンクがどこかの本物の空を切り取ったものなのか、一瞬分からなくなった。
エレーニャはマントを引き寄せる。
「冷えてきたわね」
彼女は、そっと彼の腕に触れる。
「大丈夫よ」
落ち着いた、優しい声だった。
それだけで、イーサンは胸に溜まっていた息を、ゆっくりと吐き出すことができた。
二人は並んで、灯りに満ちた大通りを歩いていく。
街の中心へと、ゆっくりと下りながら。
その夜が――
彼らがまだ、
自分たちは安全なのだと信じていられた、
最後の時間になることも知らずに。
※あとがき※
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