ダレンの帰還
夜が、ゆっくりとエデンの森を包み込み始めていた。
宙に浮かぶ山々の向こうへ太陽が沈むにつれ、黄金色の光は青みを帯びた色合いへと変わっていく。
風は巨大な葉の瑞々しい香りを運び、やがて小さな発光昆虫たちが現れ、まるで木々の間を歩く星のように宙を漂い始めた。
イーサンとエレーニャは、グローブフォールへ戻る道を進んでいた。
警戒していたのは危険そのものではなく――この世界から出られないかもしれないという、奇妙な感覚だった。
イーサンは、もう十回目になるインターフェースの確認をした。
何もない。
ログアウトの項目は、どこにも表示されていなかった。
「……おかしいな」
彼は呟く。
「ローンチ初日に、こんなことが起きるはずない」
「一時的なバグよ」
エレーニャは落ち着いた声で言った。
「街に着けば、みんなその話をしてるはず。誰かが方法を見つけてると思う」
そう言いながらも、彼女が矢筒を必要以上に強く握っていることに、イーサンは気づいていた。
森は、より暗く。
より静かで。
より現実的になっていた。
遠くで、低い遠吠えが響く。
二人は同時に足を止めた。
「……今の、狼か?」
イーサンが尋ねる。
「ええ」
エレーニャは反射的に弓を構えた。
「初心者には危険な時間帯ね。慎重に進みましょう」
三歩も進まないうちに、再び音が聞こえた。
今度は、もっと近い。
枝が揺れる。
葉が擦れる。
土を蹴る、素早い足音。
次の瞬間、灰色の狼が飛び出してきた。
唸り声を上げ、目を光らせている。
その頭上には、淡い赤色のアイコン――モンスターの危険度を示す表示。
イーサンは胸の奥にマナを集め、手を掲げた。
以前のように暴走することはない。
炎は、危機を理解したかのように、素直に応え始めていた。
「後ろに下がって」
勇気を振り絞って言う。
「嫌よ」
エレーニャは弓弦を引き絞る。
「一緒にやる」
狼が跳躍した。
その攻撃が二人に届くより早く――
空気が裂けた。
刃が閃き、正確な一撃が狼の脇腹を切り裂く。
獣は地面を転がった。
「本当に、散歩する場所の選び方が独特だな!」
聞き覚えのある声。
イーサンは振り返り、思わず息をついた。
「ダレン!」
そこに立っていた。
軽装の鎧。自信に満ちた表情。
剣はまだ、斬撃の余韻を震わせている。
頭上には、小さな青いアイコン。
まるで、「大丈夫だ」と告げるかのように。
「夜になると、こいつらは凶暴になる」
ダレンは戦闘態勢を取る。
「街からずいぶん離れてるし、姿が見えなかったから心配になってな」
エレーニャは片眉を上げて笑った。
「いい登場ね」
「だろ? いつも決めてる」
狼が再び立ち上がり、突進する。
「イーサン、行け! 訓練の成果を見せろ!」
ダレンが叫ぶ。
イーサンはマナを集中させる。
エレーニャの教えを思い出す。
呼吸。
胸の中心。
腕への導線。
掌からの放出。
炎は一瞬揺らいだが――
直前で、安定した。
「ファイア・ボルト!」
必要はなかったが、叫んだ。
炎は狼の胸を撃ち抜く。
モンスターは倒れ、淡い緑色の光の欠片となって消えた。
「……やった」
イーサンは呟く。
「ちゃんと訓練した結果よ」
エレーニャが腕を組む。
「悪くないな、ルーキー」
ダレンが笑う。
空気が、少しだけ和らいだ。
ほとんど、いつも通りに。
ダレンが星空をちらりと見上げるまでは。
「メニューのバグで街に戻ってるんだろ?」
イーサンとエレーニャは顔を見合わせた。
「……気づいてたのか?」
イーサンが聞く。
「全員だよ」
ダレンは答える。
「中央広場は人で溢れてる。今のところ、誰もログアウトできてない」
重い沈黙が落ちた。
「……ただのエラーだよな?」
イーサンが言う。
ダレンは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「そうだといいな」
彼は答える。
「世界同時ローンチだ。サーバーが悲鳴上げてるだけだろ」
エレーニャは落ち着かず、矢筒を調整する。
「正規化するなら、人が多い場所がいい」
「入口まで付き合うよ」
ダレンが言った。
三人は、発光する生き物たちに照らされた道を並んで進む。
その道すがら、ダレンとイーサンはすぐに打ち解けていった。
クラスの話。
ビルドの組み方。
モンスター。
レアドロップ。
ベータで学んだ戦略。
何か大きな流れが、彼らの出会いを繋いでいるかのようだった。
やがて、グローブフォールの灯りが見え始めたところで、ダレンは足を止める。
「仲間が北地区にいる。俺はここまでだ」
イーサンは手を差し出した。
「助けてくれて、ありがとう」
「また一緒に戦うさ」
ダレンはその手を握り返す。
「絶対にな」
「またね」
エレーニャが微笑む。
ダレンは手を振り、生きた木で作られた橋を駆け抜け、プレイヤーの波の中へ消えていった。
イーサンは、その背中を見送る。
「……いいやつだな」
「いいエネルギーを持ってる」
エレーニャは頷いた。
「それって、意外と珍しいのよ」
二人は並んで、グローブフォールの中へと入っていった。
この友情が、やがて全員の運命を変えることも。
そして――次にダレンと再会するとき、
それが第一階層を永遠に刻む出来事になることも、
まだ、知る由もなかった。
※あとがき※
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