エレーニャとの遭遇
イーサンは、エデン外縁の森を進みながら、ダレンの言葉を頭の中で反芻していた。
「流れを制御しろ……マナを感じろ……呼吸だ……」
倒れた木に向かって手を伸ばし、先ほど偶然生み出せた小さな火花を再現しようとする。
指先に、かすかな火の粒が灯る。
もう一つ。
そして――ボンッ。
制御を失った火の噴流が、くしゃみのように飛び出した。
炎は苔に覆われた幹に直撃する。
バキィィッ――!
鈍く、深い音が森に響き渡った。
そして……
唸り声が聞こえた。
低く。
重く。
威圧的に。
影の中から現れたその姿を見て、イーサンはごくりと喉を鳴らす。
巨大なイノシシ。
序盤に出てくる個体より、明らかに一回り大きい。
長く突き出た牙、怒りに満ちた眼差し。
群れを率いる存在であることは、一目で分かった。
「……最悪だな」
イノシシが突進してくる。
イーサンは慌てて次の魔法を放とうとするが、火は歪み、弱々しく地面に逸れる。
次の瞬間、体当たりを受けた。
ドンッ!
ライフバーが一気に減少する。
反撃しようとするたびに、何度も叩きつけられる。
減り方が、速すぎた。
65%……
35%……
12%――赤く、脈打つ表示。
さらに一撃を受け、巨大な木の根元へと吹き飛ばされる。
イノシシは数歩後退し、蹄で地面を削りながら、最後の突進に備えた。
イーサンは必死に手を伸ばす。
「頼む……あと少し……マナを……」
何も起きない。
最悪のスタートだ。
一体も倒せないまま、ここで終わりか。
そのとき、空を切り裂く音が響いた。
ヒュゥゥゥ――ドスッ!
一本の矢が、イノシシの眼を貫いた。
獣の絶叫が森を震わせる。
ヒュゥゥゥ――ドスッ!
二本目の矢が肋骨の隙間に突き刺さり、巨体が大きくよろめく。
イノシシはふらつきながら、射手の方向へと振り向いた。
そこで――彼女が姿を現した。
銀色の髪。
紫の瞳。
揺るぎない立ち姿。
反り弓を構えたまま、その腕はまるで身体の一部であるかのようだった。
エレーニャ。
「そこから離れなさい!」と彼女は叫んだ。
イノシシが、彼女に向かって突進した。
エレーニャは、迷わなかった。
ヒュゥゥゥ――ドスッ!
放たれた最後の矢が、頭蓋を貫く。
イノシシはその場に崩れ落ちた。
静寂。
地面に座り込んだままのイーサンは、荒い呼吸を繰り返しながら、今起きたことを理解しようとしていた。
エレーニャは弓を下ろし、彼のもとへ歩み寄る。
「本当に、トラブルを引き寄せるのが好きなのね」
軽く皮肉めいた笑みを浮かべて言う。
「群れのリーダーの縄張りに踏み込むなんて……大胆すぎるわ。しかも森を燃やしかけるし」
イーサンは、緊張を誤魔化すように笑った。
「いや、その……魔法の練習をしてただけで……」
「で、もう少しで夕食になるところだった」
彼女は手を差し出す。
「立ちなさい。ゲームとはいえ、死ぬのは楽しくないでしょ」
イーサンはその手を取り、立ち上がった。
「ありがとう。本当に。もうダメだと思った」
「見てたから分かるわ」
エレーニャは腕を組む。
「それに、あなた……元素制御の基礎がまったくできてない」
イーサンは首の後ろを掻いた。
「……勉強中です」
エレーニャは小さく息を吐き、何かを決めたようだった。
「来なさい。一回助けたんだから、今日もう一回は勘弁してほしい」
二人は開けた空き地へと移動する。
エレーニャは、ほとんど軍隊の教官のような正確さで説明を始めた。
周囲からマナを引き寄せる方法。
胸の中心でエネルギーを安定させる感覚。
それを指先へと導く流れ。
一定の呼吸の重要性。
足の位置取り。
視線の固定。
純粋詠唱と誘導詠唱の違い。
「……本当に詳しいんだな」
イーサンは感心して言った。
「ベータではメイジだったから」
エレーニャは即席の的に矢を命中させる。
「そのあとアーチャーに変えたけど、魔法の扱いは、あなたより上よ」
「それは否定できない」
「でしょ」
イーサンは笑った。
彼女とは、不思議と話しやすかった。
試すたびに、炎はより強く、より熱く、より安定していく。
そして、約一時間後――
ドンッ!
スライムが、光るゼリー状の破片となって弾け飛んだ。
「いいじゃない」
エレーニャが微笑む。
「もう、ちゃんとしたメイジに見えてきたわ」
二人はそのまま続けた。
上空を飛ぶ魔獣の鳥を倒し、
小型のイノシシと戦い、イーサンは一人でも勝てるようになり、
初期の討伐クエストをいくつもこなした。
やがて、巨大な木々の向こうに太陽が沈み始めた頃、イーサンが言った。
「……やばい。時間、全然気づかなかった」
「訓練って、そういうものよ」
エレーニャは弓をしまう。
イーサンはメニューを開いた。
「そろそろ落ちないと。明日、仕事が早くて……」
表情が変わる。
「……あれ? ログアウトのボタンがない」
エレーニャは眉をひそめ、自分のメニューを確認する。
「変ね……私のにも表示されてない」
二人は顔を見合わせた。
「バグじゃない?」
彼女は言った。
「新作だし、新システムだし。よくあることよ」
「……だよな」
イーサンは深く息を吸う。
「もし仕事中だったら、今ごろ俺のデスクに回ってきてる案件だ」
「仕事、何してるの?」
「ゲーム開発。専門は……こういうエラーの修正」
エレーニャは、目を瞬かせた。
「本当? 私もゲーム関係よ。デザイナー」
「マジで?」
イーサンは笑う。
「それは面白いな」
彼女は、次第に暗くなっていく空を見上げた。
「ログアウトできないなら、街に戻りましょう。誰か、解決策を見つけてるかもしれない」
「賛成」
二人は巨大な木々の間を並んで歩き出す。
話し、笑い、システムの欠陥について語り合いながら。
――その夜が、
はるかに大きな何かの始まりになるとは、
まだ、知る由もなかった。
※あとがき※
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