森の守護者 4
木でできた頭部が、乾いた機械音を立てて回転する。
焦点を合わせたのは、ただ一人。
その魂を傷つけた、弓使い。
エレーニャは、まだ弓を引き絞ったままだった。
その瞬間、赤い眼が自分を捉えたのを見た。
そして――
死が、こちらを見返した。
太古にして計り知れぬその意識の中で、計算は一瞬で書き換えられた。
胸の痛みは、ただのダメージではない。
終わりの警告だった。
数百年ぶりに、森は“死の冷たさ”を感じた。
あの一撃は、表皮を傷つけただけではない。
存在の源そのものに、亀裂を入れたのだ。
あの矢は――
ウォーデンの思考は、怒りではなかった。
純粋な本能だった。
――彼女が、もう一度放てば。
――私は、消える。
自然の論理は容赦がない。
最大の脅威を、最優先で排除せよ。
盾を持つ人間を無視しろ。
炎を無視しろ。
軍勢を無視しろ。
真の危険は、弓使いだ。
再び攻撃される前に、必ず排除しなければならない。
三つの眼が再び変化する。
冷たい青は完全に消え、
鮮烈な血の赤へと変わった。
ジェイを無視した。
混乱した突撃を無視した。
炎と戦の騒音を無視した。
木の頭部が、再び乾いた音を立てて回転する。
視線はただ一人に固定された。
核を撃ち抜いた、弓使い。
右腕が体側へと引き戻される。
木がきしみ、螺旋を描くようにねじれた。
繊維が圧縮され、
巨大な投石機の弦のように張り詰めていく。
指は融合し、
巨大で凶悪な攻城槍の形を成した。
エレーニャは、まだ射撃後の硬直状態にあった。
赤い眼が、自分を捉えているのを見た。
木がうねり、力を蓄えていくのを見た。
それは集団への攻撃ではない。
狙いは、彼女だけだった。
ウォーデンが緊張を解放する。
腕が放たれた。
雷のように速くはない。
だが、重く――
不可逆だった。
木の槍が、低く荒々しい音を立てて空気を切り裂き、一直線に開けた場所を貫いていく。
進むごとに速度を増し、
ただ一つの目的のために放たれていた。
――貫くために。
「エレーニャ!!」
イーサンの声が、喉を引き裂くように響いた。
「避けろ!!」
彼女は動こうとした。
だが恐怖が、脚を縛りつけた。
しかし――
放たれる前から、その攻撃を理解していた者がいた。
ダレン。
彼はボスへ突撃する途中だった。
だが、頭部が回転するのを見た。
木が圧縮される音を聞いた。
一瞬で軌道を読み切った。
計算はしなかった。
外で待つ妻のことも考えなかった。
レベルも、アイテムも、未来も考えなかった。
彼が見たのは、ただ一つ。
攻撃の直線。
その先で、凍りついた弓使い。
ダレンは泥の上で急停止し、
無理矢理進路を変え、交差するように走った。
横っ飛びで跳び込み、必死にその間に割り込む。
大剣を掲げたのは、思考ではない。
反射だった。
木の槍の先端が、空中で刃と激突する。
CLINK。
金属は耐えきれなかった。
剣は砕け散り、銀色の破片となって四方へ飛び散る。
だが、槍は止まらなかった。
THUNK。
鈍く、重い音。
衝撃は空気を潰しながら、ダレンの跳躍の最中に彼を貫いた。
胸部の装甲を突き破り、肉を裂き、骨を砕く。
木の槍の先端は背中から突き出し、エレーニャの顔のわずか数センチ手前で止まった。
風圧が彼女の髪を後ろへ弾き飛ばす。
熱く、赤い雫が彼女の頬に飛び散った。
戦場が凍りついた。
魔法は一つも放たれなかった。
二百人分の勝利の叫びが、喉の奥で死んだ。
ダレンは一瞬、宙に留まっていた。
串刺しにされ、足が地面から五十センチほど宙に揺れる。
彼は視線を落とし、自分の体を貫く木を見た。
それから、必死に首を持ち上げた。
エレーニャを見つめた。
その目に痛みはなかった。
そこにあったのは――安堵。
「……できた……」
血が口元から溢れながら、彼は囁いた。
ウォーデンは苛立たしげに腕を引き戻す。
ダレンの体は槍から滑り落ち、壊れた人形のような鈍い音を立てて地面に落ちた。
血が地面を染める。
鮮やかな赤。
取り返しのつかない赤。
「やめろォォォ!!」
ジェイの叫びが、世界を引き裂いた。
イーサンは走った。
脚の感覚はなかった。
滑り、転び、泥の中を這いながら友の元へ辿り着き、仰向けにする。
胸の穴は大きすぎた。
塞ぎようがない。
視界の端で、HPアイコンが赤く点滅しながら、残酷なカウントダウンのように減っていく。
3%……
1%……
「ヒーラー!! こっちだ! 今すぐ!!」
イーサンの声は、恐怖で裂けていた。
「イーサン……」
ダレンがむせる。
唇から血が泡立つ。
「喋るな! 耐えろ!」
イーサンは両手で傷口を押さえつけた。
力さえあれば、運命を止められるかのように。
「俺たちは出られる! お前には家族がいる! こんなところで終わるな!」
「……なあ……」
ダレンは笑った。
歪んだ笑顔。
赤い笑顔。
「……みんなを……頼む……」
「死ぬな……お願いだ……」
ダレンの瞳の光が揺らぐ。
「……ありがとう……友よ……」
視線はジェイを通り過ぎ……
エレーニャで止まった。
「……炎に……なれ……」
HPアイコンが消えた。
0%。
ダレンの手が、重く地面に落ちる。
システムは介入しなかった。
体は消えなかった。
そこに残ったのは――冷たく、死んだ肉体だった。
戦場の音が遠のいた。
エレーニャの嗚咽。
ジェイの叫び。
怪物の咆哮。
すべてが、水の底に沈んだようにくぐもった。
何かが、イーサンの胸の中で壊れた。
思考ではない。
構造そのものが。
痛みは涙にはならなかった。
それは――燃焼へと変わった。
イーサンは立ち上がる。
周囲の空気が歪み、低い振動音を放つ。
歯が鳴るほどの周波数。
足元の地面が軋み……硝子化し始めた。
⚠ システム警告
マナ・オーバーロード検知
肉体崩壊の臨界リスク
彼は読まなかった。
彼の目には、もう虹彩も瞳孔もなかった。
そこにあったのは、青白く燃える二つの光源だけ。
ウォーデンは変化を感じ取り、反応した。
咆哮し、無価値な人間を潰すために槍腕を放つ。
攻撃は速かった。
イーサンの返答は――純粋な憎悪。
VROOOOOM!!
青いマナが爆発した。
それは光線ではない。
魔法でもない。
噴火だった。
青い炎の柱が彼を中心に立ち上がり、激しく回転しながら圧縮された竜巻となる。
衝撃波が周囲すべてを叩き飛ばした。
二人のヒーラーが後方へ吹き飛ばされ、ローブに火が移る。
マーカスは岩に叩きつけられ、顔を庇いながら歯を食いしばった。
「イーサン!! やめろ!!」
叫びは届かなかった。
ウォーデンの腕が渦の限界に触れ――消えた。
燃えたのではない。
分解された。
青い炎が、光の疫病のように怪物の体を這い上がる。
ウォーデンは悲鳴を上げた。
怒りではない。
恐怖の叫びだった。
後退しようとする。
できない。
イーサンは両手を掲げ、叫んだ。
言葉はなかった。
ただ、拒絶だけがあった。
竜巻が前進する。
灰色の外殻は蒸発した。
亀裂の入った核は崩壊した。
再生は起きなかった。
防御も存在しなかった。
守護者は――存在そのものを消された。
青い柱が、永遠にも思える数秒間、エデンを照らし……
やがて、霧散した。
ウォーデンがいた場所には、
硝子化したクレーターと、輝く塵だけが残った。
だが――
イーサンは、まだ燃えていた。
炎が制御不能な噴流となって彼から噴き出す。
腕の皮膚は裂け、
鼻から血が流れ落ちる。
システムは赤く点滅し続けていた。
オーバーロード・クリティカル
ユーザーへの損傷進行中
彼は探していた。
何かを。
敵を。
理由を。
その耐えがたい熱の中へ、誰かが走り込んできた。
エレーニャだった。
ジェイの叫びを無視し、
皮膚を焼く痛みも無視して、
彼女はイーサンに追いつき、背後から強く抱きしめ、その両腕を封じた。
布地が燃え始める。
「イーサン! やめて!」
彼女は泣き叫んだ。
「もう終わった! 彼は……死んだの!」
イーサンの体は激しく震えていた。
「連れ戻せ!!」
イーサンは絶叫した。声は砕け、引き裂かれていた。
「連れ戻せよ!!」
「戻らない!」
エレーニャはさらに強く抱きしめ、痛みに耐えながら叫ぶ。
「でも、私たちはここにいる! このままじゃ、私たちまで殺すことになる!」
「戻って……お願い……」
彼女の嗚咽が、怒りを貫いた。




