森の守護者 1
森が、
息を潜めているかのようだった。
ダレンとの話し合いと、
焚き火の周囲で交わされた誓いのあと、
各グループは集結し、
エデンの禁域へと続く細い道を進み始めた。
踏み固められた土は湿り、
太い根に覆われ、
巨大な樹冠の向こうへと太陽は沈んでいく。
鳥の声が消えた。
蝉も鳴き止んだ。
まるで――
この先にある“何か”が、
自然そのものを威圧しているかのようだった。
二百人が、同じ方向へ歩いている。
だが、
誰一人として口を開かない。
足音が、異様に大きく響く。
短く浅い呼吸。
汗ばむ手の中で調整される武器。
詠唱しかけては、
指の震えに殺される魔法。
ジェイは最前線を進んでいた。
黄金の盾を構え、
最小の物音にも神経を研ぎ澄ませている。
すぐ後ろにはマーカス。
長剣を肩に預け、
あまりにも固定された視線は、
偶然とは思えなかった。
エレーニャは弓を低く構えながらも、
いつでも放てる姿勢を保ち、
まだ存在しない戦場を、
必死に思い描いている。
シエナは数歩後ろを歩いていた。
自信に満ちた笑みは消えていない。
だが――
今日は誰も挑発しない。
そして、イーサンは――
ここで死ぬという意味を、
考えないようにしていた。
「……聞こえるか?」
ジェイが小声で言う。
「……何が?」
イーサンは、ほとんど声にならない声で返した。
「……何もだ」
ジェイは唾を飲み込んだ。
「それが、一番おかしい」
風さえ、退いたかのようだった。
マーカスは、
近くの木の幹に手を触れた。
その瞬間、
背筋に走る悪寒。
木は――
温かかった。
生きすぎているほどに。
「……近いな」
彼は低く言った。
道は次第に細まり、
捻じれた幹と絡み合う根が、
頭上で壁のように閉じていく。
空気が重くなる。
濃く、
粘つくような感覚。
一息ごとに、
太古のマナの霧を吸い込んでいるようだった。
エレーニャが、最初に立ち止まった。
「……下がって。ゆっくり」
彼女は囁く。
「前方に……
とてつもなく大きいものがいる」
視界が開けた。
空き地だった。
そして――
世界が、揺れた。
爆発はない。
即座の咆哮もない。
あったのは――
動き。
枝が空中で絡み合い、
骨を無理やりはめ込むような軋み音を立てる。
森そのものが、
自らを折り畳み、
引き寄せ、
組み上げていく。
根が引き抜かれ、
形を変え、
絡み合い、
融合し――
あり得ない人型を成した。
それは、地面から現れたのではない。
地面そのものから、
形成された。
ウォーデン。
生きた森が造り出した、
木の巨像。
編み込まれた幹が、
密度の高い筋肉を形作り、
捻じれた枝が、
異様に長い腕となる。
骸骨のような木製の仮面。
そこに灯る、
三つの蒼い眼。
冷たく、
鋭く、
そして――
意識を持っていた。
胸の中央。
剥き出しの心臓のように脈打つ、
蒼い核。
可動する枝の層に守られ、
ゆっくりと配置を変えながら、
呼吸するかのように動いている。
そこから、
エネルギーの波が放たれた。
葉が震え、
陽光が弱まり、
空気が、
無視できないほど重くなる。
――始まった。
第一層の、
最初の試練が。
ジェイは反射的に一歩前へ出た。
盾を構え、ほとんど本能だけで。
「……これはボスじゃない」
彼は低く呟いた。
「生きた……壁だ」
マーカスは剣を地面に突き立てる。
「これが第一層なら……
その先に待ってるものは、
“倒される気”がないな」
シエナは口元を歪めた。
だが、その笑みは初めて挑発ではなかった。
それは――
アドレナリン。
「面白い……」
彼女は呟く。
「こいつ……
馬鹿じゃない」
後方では、ダレンが他のグループリーダーたちと共に、
一言も発さず状況を見つめていた。
イーサンと視線が交差すると、
ダレンはただ片手を上げ、
短く親指を立てた。
言葉はない。
約束もない。
ウォーデンが、頭を傾けた。
人間を――
個ではなく、
“集合体”として観察している。
そして、
語った。
その声は一点から発せられたものではなかった。
森全体に反響し、
圧し折られる幹のように低く、遅く、重い。
「――侵入者」
異様に長い沈黙。
「――森は、
お前たちの肉を拒絶する」
地面が震えた。
次の沈黙は、
一秒も続かなかった。
最初に破ったのは、カエルだった。
「ただの木だろ!」
剣士サブグループのリーダーが叫び、
一歩前へ踏み出す。
「でかく見えるのは、
ビビらせたいだけだ!」
九人の男たちが、
一瞬の躊躇もなく呼応した。
「動く前に燃やせ!」
カエルが銀の剣を掲げて吼える。
十人が、走った。
ウォーデンは動かない。
進みもしない。
退きもしない。
ただ、
右手を上げただけだった。
腕の木材が軋み、ねじれる。
五本の指は閉じなかった。
――爆ぜた。
掌は、
十本の鋭利な根へと分裂し、
生きた投射物のように水平へ射出された。
速すぎた。
カエルは、
叫ぶことすらできなかった。
根は、
十人全員の胸甲を、
同時に貫いた。
ドン。
ドン。
ドン。
乾いた音が、
残酷で、
決定的に繰り返される。
身体は宙に持ち上げられ、
一瞬だけ痙攣し、
壊れた人形のように静止した。
ウォーデンは、
根を一気に引き戻した。
死体が、
歪な塊となって地面に落ちる。
静寂。
一秒。
そして――
「死んだ……!」
誰かが後方で叫んだ。
声が砕けている。
「本当に……死んだ!」
パニックが爆発した。
「嫌だ!」
「死にたくない!」
「出してくれ!」
「逃げろ!」
陣形が崩壊する。
約四十人が、
武器も、
鞄も、
盾も捨て、
闇の森へと駆け戻った。
転び、
ぶつかり、
泣き叫び、
呼んだ名前に、
返事はなかった。
さらに五十人が、
数歩後退し――
止まった。
硬直。
二百人の軍勢は、
一本の矢も放たれる前に、
崩れ始めていた。
ジェイは、
すべてを見ていた。
敗北が、
形を成す瞬間を。
彼は盾を拳で殴りつけた。
金属音が、
戦場の鐘のように響く。
「逃げるな!!
陣形を保て!!」
その咆哮が、
恐怖を切り裂いた。
「全員が協力すれば、
まだ勝機はある!!」
彼は盾を地面に突き立てる。
混沌の中の、
視覚的な錨。
「自分を信じろ!
今日、この階層を突破する!!」
ダレンが前へ出た。
側面を引き受ける。
イーサンはジェイを見て、
強く頷いた。
恐怖が、
集中へと変わる。
「魔法使い!!」
イーサンが叫ぶ。
手はすでに光を帯びている。
「炎属性を持つ者!
お前たちが切り札だ!!」
百十人ほどの魔術師が、
その場に残った。
勇気ではない。
黄金の壁を見上げ――
戦うことを選んだだけだ。
ウォーデンは、
ジェイへと顔を向けた。
怒りではない。
――興味。
あの騒がしい人間だけが、
分析に値する存在であるかのように。
胸の核が、
一度だけ脈打つ。
次の瞬間、
全身の枝が暴力的な音を立てて再配置された。
「行け!!」
ダレンが叫ぶ。
「陣形だ! 今すぐ!!」
混沌が、
必死に従おうとする。
タンクたちが走り、
ジェイの横に不規則な盾の列を形成する。
青銅、鉄、強化木。
震えすぎて、
縁同士がぶつかり合う者もいた。
ヒーラーが後方に集まり、
避けられぬ事態を予測する。
※あとがき※
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