守護の盾 ― ジェイ
エデンの午後は、すでに終わりへと向かい始めていた。
イーサンとエレーニャはギルドからの帰り道、
訓練ルートや翌日の計画について話しながら歩いていた。
空は、橙と金が混ざり合った色へと変わり、
生きた巨木の葉にその光を反射させている。
街は美しかった――
だが、空気に漂う緊張が、
すべてが正常ではないことを告げていた。
そのとき、森の縁から轟音が響いた。
低く、荒々しい咆哮。
そして、もう一つ。
さらに、もう一つ。
「今の……聞こえた?」
エレーニャは即座に弓を構える。
「ああ……しかも、嫌な予感しかしない」
次の瞬間、森の方角から人々が駆けてきた。
よろめきながら走る者。
助けを求めて叫ぶ者。
イーサンは、これまでにも恐怖を見てきた。
だが――
こんな形のパニックは、初めてだった。
「狼だ! 誰か助けてくれ!
このままじゃ全員殺される!」
そう叫びながら、一人のプレイヤーが二人の横を駆け抜けていく。
イーサンとエレーニャは、迷わず前へ出た。
そして――
見た。
最前線に、たった一人で立つ男。
七匹の狼を、
その身一つで食い止めている。
その光景は、まるで英雄譚の一頁だった。
巨大な黄金の盾が、夕暮れの光を受けて輝いている。
鎧は、動くたびに深紅と青の色彩を反射し、
牙が盾に叩きつけられるたび、
地面がわずかに震えた。
その背後では、
怯え、身を寄せ合う初心者たちが必死に耐えていた。
装備は簡素。
レベルも低い。
恐怖に染まった表情。
その中に――
フードを深く被った一人の少女がいた。
暗い外套に身を包み、
フードの縁を強く握りしめ、
俯いたまま動かない。
今にも崩れ落ちそうで、
言葉も発せず、
生きること自体に疲れ切ったように見えた。
それでも――
彼女の視線は、前線に立つタンクから離れなかった。
まるで、
奇跡を目撃しているかのように。
イーサンが、思わず囁いた。
「……誰だ、あの人?」
「分からない」
エレーニャが答える。
「でも……一人で全部受け止めてる」
狼たちが、再び襲いかかる。
戦士は盾を掲げ、叫んだ。
「下がれ! 俺の後ろにいろ!
ここは俺が抑える!」
震える声が返る。
「で、でも……一人じゃ無理だ!」
「大丈夫だ!
だから――絶対に通すな!」
一匹の狼が、側面へ回り込もうとした。
イーサンは考えるより先に、魔力を放った。
炎の奔流。
同時に、エレーニャの矢が正確に放たれる。
獣たちは、予想外の反撃にたじろいだ。
戦士は一瞬だけ振り返り、
汗に濡れた顔で、素早く笑う。
「ははっ!
援軍か! やっと来た!」
イーサンとエレーニャは、武器を構えて駆け出した。
「行って! 側面は私が抑える!」
エレーニャが叫ぶ。
イーサンは、より強い炎をすでに詠唱していた。
戦士は短く頷く。
「よし! 一気に終わらせるぞ!」
三人が揃ったことで、戦況は一変した。
エレーニャの正確無比な三射。
イーサンの制御された四度の炎撃。
その間、タンクは一歩も退かず、
盾で攻撃を受け止め続けた。
二分も経たぬうちに――
七匹の狼は、すべて地に伏した。
静寂が、辺りを包む。
初心者たちは、泣き、震え、
何度も感謝の言葉を口にした。
フードを被った少女が、
一瞬だけ顔を上げ――
盾の男を見つめた。
その瞳には、
尊敬、衝撃、希望……
そして、消えかけていた何かが
再び灯ったような光が宿っていた。
戦士は深く息を吐き、
胸当ての埃を払い、
疲れた笑顔を浮かべる。
「助かった。
君たちが来なければ、今ごろ地面に転がってた」
「どうして、あんな数を一人で相手してたんだ?」
イーサンが尋ねる。
男は盾を軽く叩いた。
「一人じゃない」
彼は、後ろの初心者たちを見る。
「守ってたんだ」
生存者の一人が、震えながら呟く。
「こ、この人がいなかったら……
俺たち、もう……」
タンクは、少し照れたように笑った。
「仕事だからな。
タンクの仕事は、守ることだ」
エレーニャは、装備を改めて観察する。
金色のマナが埋め込まれた、
完璧な仕上げの金属製チェストプレート。
分厚く、装飾された巨大な盾。
明らかに、普通の初期装備ではない。
「……それ、初期装備?」
彼女が尋ねる。
男は首の後ろを掻く。
「まあ……
ローンチで、ちょっと金を使った」
イーサンが眉を上げる。
「ああ……P2Wってやつか」
「そう」
男は笑った。
「前はやりすぎたと思ってた」
一瞬、言葉を切る。
「でも今は――」
背後の初心者たちを見る。
「一円一円に、感謝してる。
ここはもう……現実だからな」
重い沈黙が落ちた。
初心者たちは、
英雄を見るような目で彼を見つめている。
フードの少女も、
呼吸を整えながら、
その背中から目を離さなかった。
男は、ようやく名乗った。
「ジェイだ」
手を差し出す。
「タンク。
人を守るのが、俺の役目だ」
イーサンは、その手を握る。
「イーサン。
メイジだ」
エレーニャが微笑む。
「エレーニャ。
アーチャー」
ジェイは頷いた。
「来てくれて助かった。
この人たちを、街まで連れていこう」
三人は、初心者たちを支えながら立たせる。
フードの少女は一言も発さなかったが、
ずっとジェイの後ろを歩いた。
彼の一歩一歩が、
自分の呼吸のための空間を
切り開いてくれるかのように。
――諦めない。
――自分も、誰かを助ける側になる。
彼女は、心の中でそう繰り返していた。
何かが、そこで結ばれ始めていた。
「いい戦いだったわ」
エレーニャが言う。
「本当に。
それに……信頼できそう」
ジェイは、
誰一人置き去りにしなかった者の笑みを浮かべる。
イーサンが一歩前へ出た。
「ジェイ……
俺たちと組まないか?
まだ始まったばかりだけど……
一緒なら、もっと多くの人を守れる。
そして、生き残れる」
ジェイは盾を地面に立て、考える。
「初心者メイジ……」
「異常な命中精度のアーチャー……」
「それに――
才能と美貌を兼ね備えたタンク」
エレーニャが睨む。
「本気?」
ジェイは笑った。
「冗談だ。
でも……いいな。
一人で生き残るには、
ここは厳しすぎる」
青いパネルが、三人の間に浮かび上がる。
[ジェイへの招待を送信]
[ジェイが招待を承諾しました]
[新しいパーティが結成されました]
イーサンは、
並んだアイコンを見て微笑む。
・イーサン ― メイジ
・エレーニャ ― アーチャー
・ジェイ ― タンク
「さて」
ジェイは盾を構え直す。
「次は、どこへ行く?」
「今から?」
エレーニャが答える。
「生き残る。
その次に……進む」
夜が、エデンを包み込んだ。
マナランタンが通りを照らし、
プレイヤーたちを街の安全へ導く。
イーサン、エレーニャ、ジェイは並んで歩き、
救われた初心者たちを連れていく。
景色は穏やかだった。
だが、空気は張り詰めていた。
グローブフォールの正門をくぐると、
何人かの初心者が、その場に崩れ落ちた。
「もう大丈夫」
エレーニャが言う。
「ここでは、誰も襲われない」
ジェイは、彼らの前に膝をつく。
「ここで何が起きても……
必ず、助ける人間はいる」
フードの少女が、一瞬だけ顔を上げた。
静かな感謝を湛えた瞳が、
再び伏せられる。
イーサンは気づいた。
エレーニャも。
小さな変化――
だが、未来を孕んだ兆し。
三人きりになると、
ジェイは大きく息を吐いた。
「思った以上に、緊張したな」
「七匹相手に一人だぞ」
イーサンが言う。
「普通じゃない」
ジェイは笑う。
「訓練、いい装備……
それと、少しの必死さだ」
「少しじゃないわ」
エレーニャが返す。
「喉を噛まれかけたの、二回は見た」
「二回?」
ジェイが眉を上げる。
「俺は四回だと思ってた」
イーサンが、思わず笑い声を上げた。
その笑いの中で、
ようやく何かが軽くなる。
――人間らしさ。
――恐怖の中でも、残っていたもの。
そしてそれは、
確かに――生き延びていた。
※あとがき※
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