◆2-1 素っ頓狂な娘、冬試験に敗北す
二つと半巡り後、試験の結果が発表された。科目はネージ語、北方共通語、古代神紋語などの語学の他、算術、地理、ネージ史、世界史、神学、魔操学など多岐に渡る他、剣術や護身術、礼儀作法やダンス等も実技試験が行われる。
いずれも試験の結果が五割で可、七割で良、九割で優、と成績が振り分けられるのだが、複数の優を取った者は成績優秀者して学院内の掲示板に名前が記されることになる。
「当然の結果ですわね」
グラナートは見事、殆どの座学で優を得て其処に名を連ねた。この学院に女生徒を招いたことに対する上々の結果を見せたとも言え、敗北を感じて蔑み妬みの視線を向けている他の生徒など、家を背負った誇り高き彼女は歯牙にもかけない。
「よくやるナー、アタシはそこまで頑張れないヨ」
紫花も優こそ無かったが、得意分野は良、苦手分野も可を取っている。効率的に基準を満たす方に全力をかけていた彼女らしい成果だ。――そして。
「今の自分の全てを賭けた結果だわ、これは誇るべきよね!」
「お嬢様。私の目を見て今一度仰ってください」
「ヤズロー、過去にばかり囚われてはいけないわ。知っているでしょう、私の目は常に未来を見ているのよ!」
「畏まりました。補講の申込は私が行いますので、奥方様へ手紙をしたためて下さい」
「なんてこと! 私を針の筵に座らせるつもり!?」
「あーア、予想はついてたけどネ」
「あれだけ勉強をしたというのに、何故不可ばかりなのです、しかも五つも! 嘆かわしい!」
見事にラヴィリエは不可を複数取り、冬休暇に学院から出るのが不可能になった。追加の講義と再試験を受けなければならないからだ。
剣術やダンスなどの実技試験はきちんと優を取れたのだが、授業を聞くのが苦手ですぐ居眠りしてしまうせいか、理解度が及ばず試験結果も芳しく無かったが故の結果だった。
必要書類を抱えて院内事務所に向かっていくヤズローの背を見送って、流石のラヴィリエもしゅんと肩を落としている。自業自得ではあるが、普段落ち込みなど全く見せない彼女が珍しく本気で凹んでいるようで、友人達の追及も緩んでしまう。
「マ、諦めてこの冬は寮で頑張りなヨ。またおやつに蒸し麺麭作ってあげるからサ」
「反省して補講を受けなさいな。……時間があれば、勉強を見て差し上げますから」
「二人の優しさが胸に染みるわ……私は本当良い親友を得られたのね……!」
紫花に肩を抱き寄せられ、グラナートにつんと扇の角で頭を小突かれ、眉毛を下げつつもラヴィリエは、得難い友を得られた幸福を噛み締めていた時。
「あ、あ、あのう、シアン・ドゥ・シャッス男爵令嬢」
「? あらまあ、先生!」
おずおずと三人に声をかけてきたのは、神学担当の教諭であり、女子寮の管理人でもあるウィルトンだった。ラヴィリエとグラナートはすぐさまスカートを抓む淑女の礼を取り、紫花もぺこりと頭を下げる。
「御安心くださいな先生、私、神学の試験は可で突破致しましたわ! お心を乱されるようなことは決してございませんので!」
「情けない宣言をするのではありませんわよ」
「しかもギリギリだしナ」
「は、はい、勿論ですとも。本日はその、情けない話ではございますが、ご相談と言いますか、お願いがございまして」
本当に申し訳なさそうにそう告げてきて、三人は顔を見合わせた後、是を返した。女子寮に不届き者が入り込まないよう、常に不能化の結界を張っているのは彼の仕事であるし、大変世話になっているのは間違いないからだ。そんな彼が本気で困っているのならば、手助けするのは吝かではない。
ここではなんですから、とウィルトンに言われ、三人揃って彼の私室――正確には神学講師の控室だが、現在彼しかいない為私室と化している――へ案内された。座学棟から繋がる実技棟の方にあるが、渡り廊下は屋根がついただけの吹き曝しの為、風があれば雪に吹かれる羽目になる。
「寒すぎるー!! 何でこんなに寒いんだヨ!」
「流石に冷えてきましたわね。上着を一段厚い物にするべきかしら」
「そういえば、知っている? 学院の冬がとても寒いのは、資料棟に氷竜の鱗があるからなんですって」
悲鳴を上げる紫花を二人で挟み、三人並んで渡り廊下を速足で抜ける間も、埒も無い話に興じる。資料棟は図書館も含む、初代学長が集めた貴重な品々が保管されている場所だ。生徒が普段立ち入ることが出来ない部屋が沢山あり、当然その手の噂の宝庫となっていた。半ば走ってしまった己のはしたなさを反省しながら、グラナートがつんと鼻先を上げて応える。
「下らない噂ですわね、竜の鱗が季節を変えるなど御伽噺でしかありませんわ。冬の寒さに耐えれない者が言いだした法螺でしょう」
「アタシに言ってるかイ? けド、二十年ぐらい前ニ、うちの国の王様ヘ、ネージから名も無き氷竜様の生きた竜鱗が捧げられたて噂があったヨ。それから冬に宮殿で鎮祭が毎年行われるになったかラ、違いないっテ」
「まあ、それはかなり信憑性のある話だわ。私達が生まれる前に、ネージ王都の空を氷竜が舞ったという話もあるのよ」
「ふん、信じ難いですわね。もし本当に氷竜が存在するのだとしたら、生息しているのはネージではなくビェールィでしょうに」
「どんだけ寒いんだイ、ガニーの国……」
「み、皆様寒いところ大変申し訳ありません! どうぞこちらに!」
招かれたのは実技棟の端、他の教諭控室と並んでいる内の一室だった。他の控室にある暖房用の魔道具は無く、代わりに古めの暖炉と、小さいがきちんとした始原神と秩序神の祭壇が祀られている。雑然としてはいるが、ウィルトンらしい部屋だった。貴族の嗜みとしてラヴィリエは軽く、グラナートは真摯に指を組んで祈りを捧げ、紫花も見よう見まねで続いた後に、華美では無いが繊細な祭壇の細工を興味深そうに覗き込んでいる。南方ではネージよりも更に神の信仰が薄れ、このような物に馴染みがないからだ。
暖炉に火を入れたウィルトンが湯を沸かし、手早く全員分の茶を用意して、巻紙や書籍が積まれている机の隅にそっと置いた。
「す、す、すみません、淑女の方々がお寛ぎできるような場所ではありませんが、こちらを。貰い物の焼き菓子もございますので」
「とんでもありませんわ、先生。手ずからおもてなしをしてくださって、ありがとうございます! 美味しく頂きます!」
「茶菓子が出れば充分だよネ、ラビーにとってハ」
「少しは遠慮しなさいな、全く……! それで、先生。御用とは何事でしょうか?」
茶が薄すぎることに僅かに眉を動かしながらも決して無礼を見せないグラナートが、改めて話を促す。まだ暖まらない部屋なのに額に掻いた汗を拭きながら、ウィルトンは口を開いた。
「え、ええ。まずはお三人方共に、冬休暇は寮で過ごされることについての確認で――あ、あ、シアン・ドゥ・シャッス男爵令嬢! 落ち込まないでください!」
「うふふふ、心配は御無用よ先生。ええ、落ち込んでなどいないわ、己の不甲斐なさを反省しているだけなのだから!」
「こちらに体重をかけてくるのじゃありませんの、鬱陶しい! 反省を込めるならしゃんとなさいな!」
体を傾げて隣のグラナートの肩に、額を預けて凹むラヴィリエに、グラナートは叱りつつも支えてやっているし、それを見て紫花は怪鳥のような笑い声をあげている。いつも通りの三人に寧ろ少し安心したようにウィルトンは息を吐き、本題を語り始めた。
「じ、実は己の不徳の致すところで、大変申し訳ないのですが……冬休暇中、学内の結界の点検に、お手を貸していただけないでしょうか?」




