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婚約解消

後悔している

作者: 炬燵猫

誤字報告ありがとうございます。

クリスティンと婚約したのは五年前。彼女は十二歳、私が十六歳だった。完全な政略結婚で相手は四歳年下。当時十六歳の自分からしたら十二歳のクリスティンはひどく幼く感じたものだ。どうせなら美人と噂の姉の方と結婚したかった。それが当時の私の感想。何ともひどい男だ。


初の顔合わせで抱いた感想は『地味だな』だ。両親とともに並び、真っ直ぐ見つめて来る茶色の瞳は、これまで接してきた女性とは違い媚びる様子がない事に好感が持てた。だがただそれだけで特筆するような特徴はない。可もなく不可もない。両親もそう感じたのか婚約はとんとん拍子に整えられ、私とクリスティンは正式に婚約者となった。


後日婚約した事を祝うパーティーを伯爵邸で開かれたのだが、その日私は恋に落ちた。


「これから妹をよろしくお願いします」


金髪と水色の瞳の彼女は線が細く、まるで人形の様な彼女に私の視線は釘付けとなった。

私の不躾な視線を気にもせず、ローゼマリーは少し顔を出した後自室に戻ってしまった。彼女は噂に訊いていた通り美人で儚げ。どうせなら彼女と婚約したかったという願望は大きくなっていた。


その視線に気づいた母はそれとなく肘で小突き、叱責する。


「あなたの婚約者はクリスティン嬢よ。あの子の事は諦めなさい」

「……わかっています」


思えばこの時から母はローゼマリーを警戒していたのだろう。あまりうるさい事を言わない母だが、ローゼマリーについては辛辣だった。クリスティンを気に入っての事なのかと思っていたが、恐らく彼女の本性に気づいていたのだろう。


婚約して五年、ある日リーネル伯爵が父を訪ねてきた。事前に訪問の連絡は入っていたがどういった理由なのか聞かされていなかった為、父も母も首を傾げる。クリスティンとの婚約も順調だ。何の問題もない。だからもしかしたら……。


その僅かな不安が的中した。伯爵が重い口を開いたら紡がれたのは私とローゼマリーとの不貞についてだ。顔合わせでは穏やかな雰囲気の伯爵だったがその日は私を殺さんとばかりに睨みつけてくる。


「君とローゼマリーが不貞を犯している事が判明した。君はクリスティンの婚約者だったはずだが、どうかね?」

「……っそれは」

「お前っ!! 一体どういう事だ!?」

「!!」


父の叱責が飛ぶと体が硬直する。若い頃は騎士として身を立てていた父は今でも訓練を行い腕力は衰えていない。普段は手を上げるような事はしないが自分達兄弟が悪さをしてそれが許されないものだと知れば容赦なく拳が襲ってきたものだ。そして今回のこの事態。人前だという事もあり、父は耐えているが本来なら今すぐにでも締め上げ、殴りつけたいのだろう。必死に右手の拳を左手で握り締め、耐えているのが見えた。


「言い訳は結構。こちらは確認済みでどうしてそうなったのかなど聞くつもりはない」

「……申し訳、ございません」

「謝罪もいらない。だが君には責任を取ってもらう」

「……はい」


『責任』という言葉に内心、ドキリとした。ローゼマリーとの事がバレたのは逢瀬がリーネル伯爵邸であった事からいつかは知られる事だとわかっていた。……わかっていた。

もしばれたら『責任』をとらされることも。

私もローゼマリーもそれを狙ったのだ。


『責任』をとって『ローゼマリーと結婚する』と。


「クリスティンとの婚約は解消してもらう。そしてローゼマリーと婚約を結んでもらう」

「はい」

「ローゼマリーは跡取り。だがレオ殿も嫡男だ」

「はい」


お互い跡取りとして育てられてきた。彼女は伯爵家を継ぐ為に、私は子爵家を継ぐ為に。だがリーネル伯爵家には男児がいないのに対し、我がリュッタース子爵家には私の他に弟が三人いる。ローゼマリーと将来を考えるにあたり、私がリーネル伯爵家に婿入りする事が万事上手くいくと考えていた。後継ぎのいないリーネル伯爵家に私が婿入りして女伯爵となるローゼマリーを支える。


……愚かな事だ。私にはクリスティンという婚約者がいたのに、姉のローゼマリーと将来を語り合うなんて。


「ローゼマリーは嫁入りさせる。持参金は迷惑料として多目に支払うが、結婚後アレは我がリーネル伯爵家とは縁を切らせるので縁続きになったとは思わないで貰いたい。実家に帰りたいと言っても受け入れないように頼みます。……離婚は認めないので、それがクリスティンに対する慰謝料代わりとしてもらおう」

「そんなっ! ローゼと縁を切るというのですか!?」

「……ローゼ、か」

「っ!」


鋭い目つきが更に鋭くなった。騎士として厳しい訓練に耐える私だが、それでも伯爵の睨みには体が震えた。視界には今にも血管が切れそうな父と同じく母の姿が映った。

私は大人しくソファに座り直し、俯き視線から逃れようとする。しかし視線が突き刺さるのが止むことはなかった。


「それがローゼマリーに対する罰でもある。婚約者がいながら妹の婚約者に手を出したローゼマリーに対する罰だ。仮令孫が生まれたとしても、その子は我が伯爵家とは何の関係もない」

「……申し訳ない。我が愚息のせいで」


項垂れる父。大きかった父がとても小さく思えた。母は私が情けないといい、一筋の涙を流す。


「では、本日はこれで。後に正式に書類をかわしましょう。お互い、蟠りは残したくないですからな」


そうして立ち上がり出て行こうとする伯爵を私は不躾にも引き留めた。振り返ると不愉快である、そう顔に書いていたが伯爵は留まってくれた。


「クリスティンに会わせていただけませんか? 会って、直接謝罪をしたいのです」

「必要ない」

「……!」

「クリスティンは貴殿とローゼマリーの婚約が結ばれる事を望んでいる。よって君の謝罪は必要ない」

「ですがっ」

「貴殿の自己満足に付き合わねばならない理由がクリスティンにはあるのか。あの子はお前達を恨んでいない。婚約者であった時代から不貞を繰り返し、将来をその相手と誓い合っていたお前達をだ。……謝罪と言うなら、アレと生涯を共にすることだな」

「……」


そう言って伯爵は出て行った。


「このっ……!! 馬鹿者がぁ!!」

「っ!!」


ドゴッ

父の重い拳が私の左頬に入り勢いのまま倒れ込む。口の中が切れたのか鉄の味が口内に広がる。見上げればフーッフーッと荒い呼吸の父の姿があった。


「お前は! 婚約者がいながら何故っ!? しかも姉に手を出すなんてっ」

「……申し訳、ありません……」


力無く項垂れていく父。涙を流す母。

こんな事、望んでいなかった。

ただ好きになったローゼマリーと結婚したかった。それだけ。それだけのつもりだったんだ。父と母を悲しませるなんて思いもしなかった。好いた者同士の結婚を喜んでくれるとさえ思っていた私は何とも愚かな男だ。


この婚約がクリスティンの献身で整ったものだったなんて、想像だにしなかったのだから。


あれから何度か話し合いが行われ、正式にクリスティンと婚約解消となり新たにローゼマリーと婚約を結んだ。微笑みを浮かべるローゼマリー。普段と変わらない様子の彼女に違和感を感じたが、口には出来なかった。


その日もクリスティンとは会えなかった。伯爵に訊ねれば「傷心旅行に行っている」とだけでいつ戻ってくるのかもわからない。彼女と最後に会ったのはいつだったか。あの頃はローゼマリーがあと数か月で結婚してしまうという現実を受け入れられず、ぼーっと過ごすことが多かった。定期的に交流はしていたが、彼女の顔を真面に見たのは随分前の事のように思う。そんな私の事をクリスティンも呆れて怒っているのだろう。口では恨んでいないとは言ってもきっとずっと裏切って来た私達を恨んでいるに違いない。私ならきっとそうだ。


「これを提出すれば正式に婚約は成立する。リュッタース子爵、約束通りローゼマリーを連れ帰ってくれ」

「はい。……この度は本当に愚息が申し訳ありませんでした」

「いや、それはこちらも同じ事。厄介を押し付けるようで申し訳ないが、コレを引き取ってくれた事には感謝している」


そう言って伯爵は夫人を伴って出て行ってしまった。残されたのはローゼマリーと沈痛な表情を浮かべた両親と私。


「これからよろしくお願いいたします」

「……」


この場にそぐわない彼女の声色と表情に困惑する。いつも通り過ぎるんだ。自分の事はなんだが、妹を裏切っておいて対応がいつも通り過ぎる。まるで何ともないような彼女が初めて怖いと思った瞬間だった。


だが婚約を結んでしまった以上、彼女と別れる訳にはいかない。

クリスティンを裏切ってまで手に入れたローゼマリーと生涯を共にする。それが今回不貞の慰謝料を免除された条件だ。うちの様な子爵家が裕福な伯爵家に支払う慰謝料ともなれば莫大な金額で家が傾く可能性だってある。それを彼女と離婚さえしなければ免除してくれるというのだ。

仮令母が彼女を嫌っていても、父が快く思っていなくても、弟達が嫌悪の表情を浮かべていても、離婚は出来ない。


結局クリスティンとは会えないまま結婚式当日を迎えることとなる。式にはローゼマリーの元婚約者であったグーテンベルク伯爵令息も新たな婚約者を連れて参加していた。

怨み事の一つでも言われるかと覚悟したが全くそんなことは無く、むしろ新たな婚約者との方がローゼマリーとの関係よりも良いものに見えた。だが何か言いたそうな顔をしていたのが気がかりで引っかかっていた。


式は伯爵が現れないという事態が起こったが、それ以外はスムーズに行われた。これで正式に私はローゼマリーの夫となったのだ。出会った当初であるなら友人達にも自慢できただろう。しかし今はそうでもない。伯爵もクリスティンも参加しない結婚式に不満を抱えているのが丸わかりなローゼマリー。どこの世間に元婚約者と姉の結婚を祝える妹がいるんだ。まだ二か月しか経っていないというのに。


その日は伯爵家の別邸に宿泊。そして翌日、信じがたい事態が待っていた。


「……クリスティンが、死んだ……?」


そう告げるのは伯爵の側近という男。彼曰く、クリスティンは半年前に私とローゼマリーとの不貞現場を目撃してしまいそれから円満に婚約が解消されるように奔走していたという。姉と婚約者が不貞をしていたという事実はショックな事だろうに、彼女は気丈にも婚約を解消すべく走り回った。私達はそうはしなかったというのに。本当に一緒になりたいのなら、両親を説得し頭を下げてでも許しを乞うべきだった。私達がすべき事を彼女は一人で行ったのだ。


そしてその頃には体調に異変を感じていたらしい。なのにっ、彼女は自分の事よりも私達の為に……!


「お嬢様からの言伝です。『邪魔者はいなくなるんだからお幸せに』……以上です」


呼吸が一瞬止まった。彼女はあの日の会話を聞いていたのだ。

ちょっとした悲劇のヒーローのつもりで、紡いだ言葉。それは彼女を傷つけるナイフとなったに違いない。


『レオ様! 私、レオ様が大好きです!』


そういった彼女の花が咲く様な笑顔をもう永遠に見る事が出来ないのだとようやく気付く。何の見返りも求めず、深追いせず、でもちゃんと自分の気持ちを伝えてくれたクリスティン。


「……ぁ、あ、ああっ!! わた、私は……! なんて事を……!?」


最後に会った時のクリスティンの顔も覚えていない。私は、私はっ……!


「どうなさいましたの? 折角労せず一緒になれたのですよ。もっと喜びましょう?」

「……ろ、ろーぜ?」

「まさか病気だったとは思いませんでしたが、きっとあの子も喜んでいますよ。私とレオ様の結婚を成す為に奔走したんですもの。これが私の『運命』で、あの子の『運命』なんです。私達の為のあの子の『運命』を、喜んであげましょう?」


何を言ってるんだ……?

『運命』?

それはクリスティンが死んだのも『運命』だというのか……?


「人は誰だって最後は死にますでしょう? クリスティンには少々早い死が訪れたのですよ。決して、私達が気に病む必要はありません。生まれてから死ぬまでが『運命』によって決められているんですもの」

「……ろー、ぜ」

「ね? だからお別れをしましょう? あの子の頑張りを労ってあげないと。おかげで私達、一緒になれたんですから」

「……」


目の前にいるのは、一体なんだ。

姿形はローゼマリーに間違いない。だが、本当にこの女は人間なのか。


「……葬儀ですが、既に昨日のうちに埋葬されましたので不要です。これも……お嬢様の願いでしたので」

「なっ!? なんで……! クリスティンに会えないというの!?」

「左様でございます」


義母となったリーネル伯爵夫人が抗議の声を上げると他の親族もそれに倣う。しかし側近の男は毅然とした態度で「葬儀は行わない」と言い切った。その側で項垂れたままの伯爵も知っていたのか黙ったまま俯いている。


「なんて勝手な……! 伯爵家の娘だぞ。それ相応の葬儀と言うものがあるだろう! なのに勝手にっ」

「……やせ細った姿を……見られたく、ないと……」

「ウルリヒ?」


伯爵の弟が側近に対し苦言を呈したがそれに答えたのは伯爵だった。依然として椅子に座り、憔悴しきった姿だがなんとか振り絞った言葉に皆、何も言えなくなった。


「やせ細って……枯れ枝のように、なってしまった……。以前の様な、元気な姿からは想像できないほど……やせて」

「……っぅう、く、クリス、ティン……!」

「結婚式の事もあって……。一生に一度の事だから……。もし事前に知ってたら……心の底からは……喜べないかも、しれないと……」


あぁっ!! クリスティン!!

どうして、どうしてなんだ!!

君はもっと怒って良かったのに! 罵声を上げて、泣いて、怒って! 裏切者の私達をどん底に突き落とせば良かったんだ……!


気づけば彼女の侍女はいなくなって、残されたのは泣き崩れる伯爵夫人と困惑する親族たち。中には私達二人を睨み付ける者達もいる。……その中には私の弟の姿もあった。


あれからどうやって戻って来たのかわからない。気が付くとリュッタース子爵家に戻っていた。昨日までの雰囲気とはまた違い重苦しい空気が流れ、誰も口を開こうとしなかった。そんな中でも明るいのは昨日結婚したばかりのローゼマリーだけだった。


「クリスティンの事は驚きましたが……あの子が望んだ事ですからそんなに気落ちしないで下さいませ。お義父様、お義母様。あの子も、こんな空気になると思ったからこそ、事前に知らせないように父に頼んだのでしょうから」

「……」

「レオ様も。ほら、笑って下さいな。クリスティンの言伝、お聞きになったでしょう? 『幸せに』って。クリスティンを裏切るの?」

「……っ」


息を呑む。侍女が残した彼女の言伝。


『邪魔者はいなくなるんだからお幸せに』


邪魔、そう確かに言っていた。そして私も、彼女に対して『邪魔』だと……。そう口にしたことがある。まさかその言葉を訊いていたのか!? だから自ら引いたのかっ。


「妹が死んだのに、どうしてそんなに幸せそうなんだよ……」


すぐ下の弟、ギードの声にゆっくり顔を上げると今にも射殺さんとばかりな弟達の姿があった。弟達だけではない。父も、母も、私達を睨みつけている。

なのにローゼマリーはきょとんとした表情で小首を傾げる。彼女は本当に皆が何故怒っているのかがわからない様子だった。


「幸せですもの。当然ですよ?」

「っお前達が裏切った妹が死んだんだぞ!? 何とも思わないのか!!」

「死ぬには若すぎますわ。病気だったなんて……。でもそれと私達の結婚が幸せである事とは別でしょう? クリスティンは気を使いすぎなの。最後のお別れ……させてくれても良かったのに……」

「……」


そういうローゼマリーの瞳は涙で濡れていた。決して悲しんでいない訳ではないんだ。ただ、区別をしっかりつけすぎているだけでそれが伝わらない。弟も困惑しているがそれでも声を上げるのを止めなかった。


「よく言う! 本当は嬉しいんじゃないのか? 邪魔な妹が死んでくれて、これでもう完全に兄上はアンタのものだ。誰にも邪魔されない、正式な妻となった事を内心嘲笑っているんだろう!」


ギードはこんな事を言うような人間じゃなかった。正義感が強く、父に憧れ剣をとった弟は決して誰かを陥れようなんて考える人間じゃなかった。


私の所為だ。


私の所為で歪んでしまった。父も母も弟も。皆、私の所為で、私の……!


「酷い人……。貴方はクリスティンをわかっていないわ」

「オレは! オレは見てきた! 兄上だけを見てきたクリスティンを、兄上の為に何が出来るか常に考えていたクリスティンを! 結婚した後の事も考えて母上に教えを乞うていたクリスティンを……! お前達こそクリスティンを見てこなかったんじゃないか!!」

「それは違うわ」

「っ! な、なんだと!?」


おっとりとした口調ではなく、伯爵家の娘に相応しい気丈な態度を見せたローゼマリー。女伯爵となる為に育てられた彼女の気高さが、私達を威圧する。


「クリスティンはどんな時でも嘘は言わない。安易な口約束もしない。言う必要のない事も言わない。わかる? それがあの子なりの誠実さよ。両親から放置され、愛情を与えられなかったあの子はその場しのぎの言葉に翻弄されてきた。裏切られてきた。私も、裏切った」

「……何が言いたいんだ、泥棒女!!」

「わからない? あの子の言伝を訊いていなかった? 『邪魔者はいなくなるんだからお幸せに』言葉通りの意味よ。『私はいなくなるんだからお幸せに』それ以上でもそれ以下でもないの。言葉の裏に何か隠されてもいない。ただ純粋に……私達の幸せを願っているの」

「……」


雰囲気を和らげたローゼマリーはいつもと同じ微笑みを浮かべる。いつもと同じ。あの侍女もそう言っていた。いつも、あの子は裏切られてきたんだ。そして私も裏切った……。


「あの子を見縊らないで? その辺の女性達とは違って諦めるのは早いけど、言葉も行動も本心からよ。人を試すような真似も言葉の真意に気づいてほしい、かまってちゃんでもない。自立した大人の女性よ。自分で考え自分で動く。それが出来るのがクリスティン・リーネルなの。……私の自慢の妹なの」

「……そんな、そんな妹を裏切っておいて……! お前は、お前らは悪魔かよ!? 結局クリスティンを裏切った事も利用した事にも変わりはねぇじゃねーか!!」

「ギードッ!!」


そう言って弟は部屋を飛び出した。その目に涙が溜まっていたのを私は見逃さなかった。


残された面々も次々と出て行く。父が最後に出て行く際に「別邸を用意している。そこに向かえ」と言って二度と振り返らなかった。

私とローゼマリーは皆を見送った後しばらく沈黙が流れる。何を言えばいいのかわからなかった。あんなに焦がれた気持ちも今は跡形もない。隣にいるのが婚約者を裏切ってまで手に入れたいと願った女性だというのにだ。私は一体、何がしたかったのだろう。


使用人に促され、すぐに別邸に入る。本邸とは少し離れた少し小さな邸だが二人で住むには大きいくらいだ。既にローゼマリーの持ち物も運び込まれている。新婚だからしばらくここで暮らせという事か、それとも二度と本邸に足を踏み入れるなという事なのか。真意はまだわからない。


「クリスティンの『運命』なの。そうでないと、おかしいでしょう?」

「……おかしい?」


夫婦の部屋で一息入れる。二人きりとなったローゼマリーは微笑みは浮かべず、どこか上の空だ。そんな彼女がぽつりと言ったのはまたも『運命』という言葉。

一体ローゼマリーのいう『運命』とは何なんだ。


「おかしいの。わたしは愛されて、あの子は見向きもされないなんて。同じ姉妹で差があって。……でも両親はそのことに何も思っていないみたいで……」

「……」

「だから聞いたの。『どうして私とクリスティンとではちがうの』って。五つか、六つの頃の話よ。……そうしたら『貴女はこの伯爵家を継ぐ運命にあるの。だからよ』って。誰だったかしら、お母様? いえもしかしたら乳母だったかしら。兎に角……『運命』という言葉のおかげで私は、あの子の泣きそうな顔から逃げられたのよ……」

「……ローゼマリー」


クリスティンの誕生日が何故かローゼマリーを祝う会になったのも、彼女の意図した事じゃなかった。彼女が言うに両親からしたらローゼマリーとクリスティンの両方のお祝いをしていたつもりなのかもしれない。でもローゼマリーの誕生日は別に行われる。どうして、何で。クリスティンはそう思っただろう。


「だから私も教えてあげたの。人には『運命』と言うのがあって私は何故か皆から愛される『運命』にあるの。クリスティンは誕生日を祝ってもらえない『運命』に生まれてしまっただけなのよ。愛されていない訳じゃないの。でも自分から求めても……返ってこないのがっ~~~あなたのっ『運命』なのよって!!」


人前では決して見せなかったローゼマリーの涙は止まらない。悲しんでいない訳でも、罪悪感を感じていない訳でもなかった。そしてクリスティンが身を引いた理由が自分にあると、そう思っている。


「私が『運命』なんて教えたからっあの子、何もかも諦めるようになったっ! 本当は私なんかよりずっとずっと優秀なのに、及第点をとれたらそれ以上を目指さなかった! 地味だと言われているけど化粧映えのする顔立ちで、所作も綺麗なのにっ。『どうせ誰も私に興味ありませんから』って。レオ様の事もっ『妹がいればこんな感じだろうかと思っているんでしょう。結婚相手とは、見てくれていない』って。……気づいてたのよ、私と貴方が一目見て恋に落ちていた事」

「……そんな」

「勘もいいのよあの子。両親に頼れない分、早く大人になっちゃったのね。でもその時すでに私には婚約者がいた。好きでもなかったけど嫌いでもなかったからこのまま結婚するのもいいかと思っていたわ。これでも女伯爵として後継ぎ教育を受けていたんだもの。覚悟位出来ていたわ」

「……」

「だけど貴方は手を伸ばした。それを良しとして私もその手を取った。あの子に決定的な場面を見せれば『諦める』事を知っていた私は貴方を受け入れたの。後は待つだけで良かった。グーテンベルク伯爵家との交渉も、ヴェルター子爵家のご令嬢の背中を押したのも、娘を溺愛する子爵を焚きつけるのも。……みーんな、クリスティンがしてくれた。私達はそれまでいつもと同じように振る舞っていればよかっただけ」

「……っ!!」


私は愚かだ。いくつも下の姉妹に掌の上で転がされていた事に気づかない大馬鹿者だ!!


「愛が消えてしまった? それも『運命』なのよね。でも、別れる事も幸せにならない事もあの子は望んでいないわ。レオ様」

「……な、んだ」

「私達は『共犯』です。共にあの子を裏切り、命を縮めた『共犯者』。愛が消えてしまった今、私と貴方に残された縁はあの子を裏切ったという縁しか残されていません」

「……」

「ですが別れることは出来ません。あの子が望んだ事のどれも守れないなんて、あの子が命を削って奔走した意味がありません。

……あの子のっ生きた証を……! あの子の頑張りをっ!! 無駄にしたくないのです!!」

「―――ッ」

「私の事は愛さなくていい!! 愛されなくて当然です! でもあの子の頑張りを愛が消えたからと言ってなかった事にしないで欲しいのです! 愛されなくてすべてを諦めたあの子が私達の為に、あの子の愛で叶ったこの結婚を……! ……捨てないでっ。……あの子を、愛してっ。……お願い……」

「……」


力無く崩れ落ちるローゼマリーの体をそっと抱く。細い体を震わせ、小さな声で「お願い、お願いします、愛して、愛してあげて」と繰り返す彼女を、突き放す事は出来なかった。


私はローゼマリーと離婚はせず、子爵家から籍を抜いた。騎士となった時に貰った騎士爵で名ばかりの貴族となりローゼマリーには苦労をかけた。伯爵家の暮らしぶりとは天と地の差で、これまでやった事のなかった家事も自分でしなければならない事に四苦八苦して美しかった手は今ではあかぎれだらけだ。

結婚して十年。子供はいない。

ローゼマリーは望んでいたかもしれないがわからない。会話らしい会話はここ数年ないから。


結婚して十年。それはクリスティンが死んで十年でもある。結婚式の日に亡くなったクリスティン。結婚祝いはした事がない。こうなるからきっとクリスティンは避けたかったんだろう。でも神様は意地悪だ。


十年と言う時間は長くもあり、短くもある。しかし節目と考えるには丁度いい。


話し合おう。ローゼマリーと。

罪を背負いながら、クリスティンが望んだ『幸せ』になる為に。


……だけどきっと私の中から後悔が消える事は、一生ない。


『許しませんよ』の元婚約者視点の話でした。


不評のようで残念です。姉をおかしい人として書き切った方が良かったと反省。



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