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第一章 不相応な婚姻


 ひとりきりになれたことで、ようやく少し肩の力が抜けた。ソファに身を沈めながら、リーシャは自分の身体を確かめるように腕や肩をぐるぐると回す。

 無意識のうちに右手がナイフで抉られたはずの脇腹をさすっていることに気がついて、心が冷えるのを感じた。恐る恐る服をめくって、その箇所を確認する。もちろん今の身体には、そこに傷痕のひとつもない。


(どうせ殺すのなら、ひと思いにやってくれれば良かったのに……)

 急所を狙った凶刃(きょうじん)肋骨(ろっこつ)に阻まれて狙いを逸れ、脇腹を抉った。しかし助けの来ない牢獄内であれば、結果は同じこと。むしろ死が訪れるまでの苦痛が長引いたと言っても良い。




(あの痛み、苦しみは本物だった。絶対に夢じゃない。だからこそ)

 力強く前を向き、リーシャは深く頷く。

(もし時間が巻き戻ったのだとしたら、私は二度とあんな目に遭いたくない。未来を、変えなくては……)


 ――巻き戻ったのが、今日というタイミングだったのは如何なる思し召しか。

 既に拗れてしまったハロルドとの関係を改善することは難しいが、殺されるきっかけとなった出来事は回避できる。今からでも十分間に合うはずだ。


 そこまで考えたリーシャの胸が、ちくりと痛むのを感じた。

(そう。殺された……のよね、私。ハロルド様の手で……)

 そっと握り締めた拳は、か細く震えていて。リーシャはその震えを何処か他人事のような目で見てしまう。


 ――政略によって決められた彼との婚姻。

 それでも誠実に接していれば、恋が芽生えることはなくても心は通わせられるものだと信じていた子供の頃。それが叶わない期待だと悟り、自身の至らなさを責め、周囲からも責められたデビュタント。そして心が通わずとも当初の政略の目的が果たせればと自らに言い聞かせるようになった日々……彼女にとってこの婚姻は、幸せなものとは到底言いがたかった。

 それでも、まさか殺される程までにハロルドから疎まれていたとは思わなかったけれど。



 

(まぁ王族である彼がたかが伯爵家、しかも新興貴族のウチと婚約するなんて……不満を覚えるのは無理もない)


 人間性こそ問題があるものの、ハロルドは紛れもない第一王子なのだ。伯爵家に入らなければならないなんて、彼にとっては屈辱でしかないだろう。

 王家と伯爵家……本来であれば不釣り合いな婚姻だ。しかし、この婚姻にはやむにやまれぬ事情が隠されていた。


 実のところハロルドは第一王子でこそあるものの、王位継承権をほとんど有していない。王太子は第二王子であり、王位継承権としてはその次に王弟、従兄弟……と続いていく。彼の継承権は七番目だ。


 その理由は、彼の出自にある。彼の母親は、踊り子なのだ。それも貴族籍どころか市民権すら持たない、ロマの一族の。それが王に見初められて後宮へと入り、ハロルドを産んだのである。

 もちろん後宮に入るに当たって彼女は侯爵家の養子となり、戸籍上は貴族の一員となっている。しかし、その経緯は皆が知るところ。後ろ盾もろくに持たないその息子が王になるとは、誰も考えていない。


 とはいえ、彼は第一王子だ。何の手も打たなければ、王位を争う火種となりかねない。

 ということで、王家はハロルドがまだ幼い頃からその受け容れ先を探したのであった。……王族としてハロルドを尊重し、いずれは彼を(名目上でも良いから)家督に祀り上げてくれる都合の良い家を。


(……それが、我が家ってわけ。この話は、両家にとって都合の良い話だった)

 バートン家は、三世代前に爵位が認められたばかりの新興貴族だ。精力的に流通事業に取り組み、事業を発展させてきた商家。

 およそ百年前に起きた大飢饉でバートン家は保有していた大量の食糧を王家に供出し、この国を助けた。その功績を認められ、伯爵家に名を連ねることとなったのである。

 そんな経緯から、歴史の浅いバートン家を「成金バートン」と嘲笑う貴族は未だに多い。


 だからこその、この婚姻なのだ。

 王家は資産的に大きな力を持つバートン家を取り込むことができ、いずれは当主に王子を置くことができる。国の血流ともいえる流通を担うバートン家を味方につけることの利点は大きい。

 そしてバートン家も王家とつながりを持つことが可能となり、王子を迎え入れることで箔がつく。どちらにとっても、都合が良い話。


 そして、ハロルドは王太子教育から徹底的に排除されたのであった。

 下手に才覚を示されたら、せっかく落ち着いた後継者問題が再燃してしまう。王位継承権を持たない彼は、愚かなぐらいが丁度良い――そんな王家の思惑通り、彼はすくすくと育った。それはもう、目を覆いたくなる程に我が儘かつ傲慢で無能な男に。


 一方のリーシャはその逆だ。元よりその夫となるハロルドに、家を切り盛りする能力は求められていない。その分のしわ寄せが、すべてリーシャの肩にのしかかったのである。

 ハロルドを立てつつバートン家を更に発展させよ……そんな無茶な要求を現実のものとするため、リーシャには膨大な教育が押し付けられた。それに応えようと、お父さまに認められたいと、かつてのリーシャはそれはもう、努力に努力を積み重ねたものだ……。




「もうお前は、我が家の人間ではない。伯爵家に泥を塗るような真似をしよって……!」

 牢獄を訪れた父親がリーシャに投げつけた言葉が、耳の奥で蘇る。

 

 娘が必死で無実を訴えているというのに耳も貸さず、早々にバートン家は無関係だという体を貫いた父親。コトが発覚した途端に娘の言い分も聞かずリーシャを家から放逐し、積み上がるような財宝を持ってバートン家に塁が及ばないように嘆願しにいった彼の頭にあったのは、ただ自身と家の安泰についてだけであった。娘は、家の恥として切り捨てられた。

 リーシャはずっと家族に振り向いてほしくて、褒められたくて研鑽を重ねてきたというのに。彼にとって娘は、目的を果たすための道具でしかなかったのだ。


(だからもう、私はかつての私のように父に期待を持つことはない。この人生では、私が父を切り捨ててやる。そして、自分のやりたいように過ごすんだ……!)

 ぎゅっと唇を引き結び、リーシャは顔を上げる。



 せっかく手に入れた人生をやり直すチャンスだ。父親にもハロルドにも(はばか)ることなく、好きなことをして自分の人生を貫いてやる!



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