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第四章 願いと代償(1)


 ――ただ、彼女が笑ってくれれば良かった。

 それだけだったのに。


 それだけの願いを叶えるのが、どうしてこんなにも難しいのだろう。




 ロマの民として生まれたツルギは、子供のころから家族というものに縁がない人生を送っていた。

 母親は小さいころに亡くなったために顔も覚えておらず、父親に至っては誰かもわかっていない。彼が家族と呼べる唯一の存在は、武人である祖父ひとりだけ。


「気味悪い目でこっち見んな、呪われるー!」

「お前なんて、あっち行け!」

 両親が居ないうえに変わった瞳の色をしていたツルギは、一族の中で明らかに異分子として扱われていた。祖父以外に親しい者はなく、周囲からは父親のわからない不気味な目の子供と蔑まれる日々。

 人は、与えられた感情を返すものだ。自然、ツルギもロマの一族のことを憎むようになっていった。


 自らを「(いにしえ)の民」と称し、人生を巡礼の修行に身を置くと(うそぶ)く高慢ちきな集団。

 普段は国に暮らす者を「巡礼を怠る落伍者」と嘲笑うくせに有力者にはすり寄っていく彼らの何処に、巡礼者の誇りがあるというのか。過去の因習にしがみついて変化を(おそ)れ、選民思想によってプライドばかり肥大化した姿は、醜いだけだ。


 ツルギにとって尊敬できる唯一の存在は、祖父だけであった。決して口数は多くなく、子供相手でも鍛錬の時は容赦なく彼を打ち据えていた祖父。

 けれど、彼はいつもツルギに対して誠実で、そして対等であろうとしてくれていた。

「呪術は決して万能ではない」

 ロマの伝統について語る時、祖父は必ずそう言ってはじめたものだ。自身は武人ではあったものの、ロマの伝承技術については誰よりも詳しかった祖父。

「呪術を過信してすべてを委ねたら、必ず足元を掬われる。だが、そんな教えももはや忘れられて久しい……」



 ――そんな祖父が亡くなったのは、彼が十になったばかりの頃であった。そしてツルギを庇護する者が居なくなったその年の冬、彼はひどい風邪をひいた。

 いつまで経っても下がらない熱、薄れゆく意識、焼けつくような喉の痛み……ツルギが病の苦しみに魘されている中、日頃から彼を疎んでいたロマの仲間達の判断は冷徹であった。前日に貴族の屋敷で興行を行なっていた彼らは、その屋敷の庭小屋にツルギを置き去りにして出立したのだ。

 捨てられた、と幼いながらもツルギははっきりと悟ったのであった。


 朦朧(もうろう)とする視界の中、自分は死ぬのか、と彼はぼんやりと考える。恐怖はない。ただ、何も為せない人生だったな――と自嘲気味に過去を振り返るだけだ。

 そして彼の意識が完全に闇に呑まれようとする直前、ツルギはひんやりとした気持ちの良い手が自分を撫でるのを感じたのであった。……それはもう記憶の片隅にもないはずの、母の幻影。


 その優しい手は彼の汗を拭い、額に冷たいタオルを乗せてくれた。そして彼が眠りに落ちるまで、励ますようにツルギの手をいつまでも握ってくれたのである。

 ――死神は、確かにツルギの枕元までやって来ていた。しかし、その手によって彼は死の淵から生還したのである。




 そうして、どれほど眠っていたことだろう。柔らかな陽射しが、瞼の裏で優しく彼を照らすのを感じた。そっと触れられる柔らかな感触は、ツルギがしばらく忘れていた温もり。

 意識を失うように眠っていたツルギは、その気配にぼんやりと目を覚ます。

「ぅ……」

「大丈夫? 声は出せる? 気分はどう?」

 うっすら目を開くと、少女特有の舌足らずで高い声が矢継ぎ早にツルギに問いを投げかけた。

 まだ焦点の合わない視界で、ツルギはその声のする方向へ緩慢に目を向ける。


「……っ!」

 天使が迎えに来たのかと、思わず息を呑んだ。

 人形のように美しい少女が、自分の顔を至近距離で覗き込んでいたからだ。高熱で涙の滲んでいた視界は光すらも彼女の一部かのように取り込み、その姿をくっきり浮き上がらせる。

 もはや神々しいとすら言えるその輝き。その光に、もしかして自分はもう死んでいるのだろうかと、ツルギは半ば本気で考えていた。声を出すことも忘れて、少女に見惚れてしまう。


 そんな彼の反応をどう受け止めたのか、少女は少し焦った様子でツルギの額に手を当てた。その冷たく滑らかな感触に、ツルギは気がつく。……この手が、自分を死の淵から引き上げてくれたのだ。


「熱はだいぶ下がったと思うけど……まだ喉が痛むのかしら。ゆっくりと寝てちょうだい」

 まだ幼いのにませた口調でそんなことを言うと、「あら」と少女はツルギと目を合わせて嬉しそうに微笑んだ。


 ――ああ、その瞬間をツルギは決して忘れることができないだろう。花の綻ぶような可憐な微笑みと共に、天使のような彼女は言ったのだ。

「あなたの目、とっても綺麗ね」と。

 ロマの人間から「不吉だ」と謗りを受けてきた瞳を。ツルギですら重荷にしか思っていなかった疎ましいその色を。

 何も知らない彼女はただ、「綺麗」と。そう、言ってくれた。


 ――それこそが、ツルギが生涯忠誠を尽くす主人(あるじ)を見つけた瞬間であった。




 その日からずっと、ツルギはリーシャのために生きてきた。彼女の幸せを願い、笑顔を願い、そのために骨身を惜しまず尽力した。

 その想いは間違いなく愛ではあったけれど、そこに(よこしま)な想いは一片もなかった。貴族の娘である彼女と自分が釣り合うわけもなく、自分では彼女を幸せにできないことは明らかだったからだ。

 ツルギはただ、リーシャが笑ってくれればそれで良かった。


 だからこそ、ハロルドのことが許せなかったのだ。リーシャを振り回し、傷つけ、彼女の献身を歯牙にも掛けない男。ツルギ以上に、リーシャを幸せにすることのない存在。……それなのに何もできない自分が歯痒かった。

 リーシャがいっそ逃げ出したいと言ってくれればできることもあったのに、責任感が強い彼女がそんなことを口にするわけもなく。弱音を吐くことなく無理な笑顔で笑って、ひたすら耐えて。

 ――そして彼女は呆気なく、無実の罪で投獄されてしまった。


 あの男の愚行が婚約破棄だけであったなら。

 むしろツルギはそれを喜んだことであろう。彼女が実家から勘当されようと、社交界から後ろ指を指されようと自分が守るつもりだった。

 大切に大切に彼女を保護して、外の世界から遠ざけて。二度と傷つくことのないように心地好い空間にリーシャを閉じ込めて、爪の先までたっぷり甘やかしてあげたのに。


 それなのに、愚かにもあの男はリーシャにありもしない罪をなすりつけたのだ。彼女を開放することなく、あの男は彼女の死すらしゃぶり尽くそうとしている。

 許せない。許すものか。絶対に、後悔させてみせる――!


 激情に身を焦がしながらも、ツルギは冷静であった。今大事なのは何よりもまず、リーシャの無実を証明して身の安全を確保することだ。

 そのために休む間もなくツルギはあちこちを奔走し、情報をかき集めた。バートン家が彼女を見限った今、自分以外に頼れるものなど誰も居ない。疲れを感じる暇など、まったくなかった。

 寝る間を惜しんで駆けずり回って、どんな小さな情報でも確かめて。


 ……そして、その執念がついに()()を見つけ出したのである。




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