第三章 再びの断罪劇
「リーシャ・バートン! 本日をもって貴様との婚約を破棄させてもらう!」
――王妃の誕生パーティから一週間後。事態は、再び動き出した。
ハロルド王子の宮で開かれた小規模のパーティ。その会場全体に響くような声で、ハロルドは唐突にリーシャに向かって宣言をする。例によって例のごとく、右腕には可愛らしいティアラを侍らせて。
参加者たちの視線がたちまちのうちに彼らに集まり、会場のざわめきは少しずつ小さくなっていった。
「公務に疲れたハロルド王子をいたわるため」という失笑したくなるような名目で開かれた今日のパーティは、前の人生で開かれたものとまったく同じ場となっていた。
自由の利かなかった先日のパーティでの鬱憤を晴らすように、己の賛同者ばかりで周りを固めて思うがままに振る舞うハロルド。今日の彼を諌める者は、この場には誰も居ない。
バートン家の財産を使って開催したパーティにもかかわらず今日もリーシャを見下した彼の行動は、いっそ清々しい程に傍若無人だ。
普段であればこうした私的な集まりにおいてリーシャは金を出すだけの存在で、その場に招かれることはない。うるさいお目付役が存在しない場であれば、ハロルドは大っぴらにティアラを侍らせることができるからだ。
しかし、今回に限っては「必ずお前も参加するように」との厳命がハロルドより下っていた。リーシャが参加してもエスコートもせず、華やかな会場に彼女をひとりポツンと放置していたくせに。
当時は意味がわからなかったが、今ならわかる――悪魔召喚の材料を集め、用済みとなったリーシャを処分するのにこれ程都合の良い舞台はない。
「婚約破棄、ですか……理由を、お聞かせ願えますでしょうか」
とうとう始まった――込み上げる緊張と興奮を表に出さないように気をつけつつ、リーシャは深く腰を折って目を伏せる。
「ここに来てもまだシラを切るか!」
厳しい口調で詰りながらも、ハロルドの唇は明らかに緩んでいる。すべてが自分の計画通り進んでいると確信しているのだろう。
実際、今日のリーシャは従順だった前世の時と同じ格好をしている。
目立たないくすんだ色のドレス、似合わない流行に必死に合わせたスタイル、伏目がちで怯えた姿勢……長年ハロルドに大人しく付き従ってきた彼女が今更逆らうことなどありえないと、ハロルドは信じ切っていることだろう。前回のパーティにおける彼女の反抗的な振る舞いなど、もう記憶に残ってもいないのではないか。
「ハロルド様ぁ……」
怯えた声に媚びを交えながら、傍らのティアラがハロルドに擦り寄った。そうしておきながら、ハロルドに見えない角度からリーシャに意地悪く哄笑ってみせる彼女の手腕はもはや見事としか言いようがない。
前回のパーティでリーシャを陥れることに失敗したにも関わらず彼女が強気なままなのは、今更何をしたところで状況がひっくり返ることはないとタカを括っているからだろう。そのリーシャを軽んじる態度が、今はありがたい。
「あぁ大丈夫だ、ティア。お前を害そうとする魔女なんぞ、すぐに成敗してやるからな」
リーシャには見せたこともない甘い笑みをティアラに向けてから、ハロルドは向き直る。そして大袈裟な仕草でリーシャへと指を突きつけた。
「貴様は我が真実の愛の相手、ティアラに嫉妬し、彼女を排するために禁忌に手を出した。既に証拠は上がっている。悪魔召喚に手を出し、ティアラを呪殺しようとした魔女め! 報いを受けるが良い!」
ハロルドが手を挙げれば、手際が良すぎる程に素早く衛兵がリーシャを取り囲む。
当時はその怒涛の展開に、唖然として何もできなかったものだ。しかし、今回のリーシャは怯むことなくその場でじっと頭を下げたまま落ち着いて口を開く。
「どうして私が、ティアラ様を害そうなどと?」
「っ、あくまでトボけるつもりか! お前は婚約者でありながらあまりにも至らなかったために、俺の愛を受けることができなかった。そしてその事実を認めることができず、俺の真実の愛の相手であるティアラに嫉妬したのだろう!」
「私がティアラ様に嫉妬するわけがありません」
キッパリと断言して、リーシャは顔を上げる。
凛とした声が、息を呑む静寂の中で会場の空気を震わせた。
「――だって私たちの婚約は、既に解消されているのですから」
予想外の彼女の言葉に、会場全体が不吉な程にしんと静まり返った。
「な、な……」
告げる言葉が見つからないというように、ハロルドはわなわなと唇を震わせる。
「何を、馬鹿なことを……この婚姻が、そう簡単に覆るわけがない。そうだ、バートン伯爵がそんなこと承知するものか!」
自分でその婚約を破棄しようとしておきながら、ハロルドは平気でそんなことを宣う。
「ああ。だから、私が間に入ったんだ」
新しい第三の声が、この凍りついた会場に割って入った。
その声に振り向いたハロルドは、喘ぐように大きく息をする。
「なっ……貴様は……」
「リロイ王太子殿下!」
ハロルドよりも、周囲の反応の方が早かった。彼らは次々と床に膝をつき、臣下の礼をとり始める。ハロルドだけが取り残され、その場におろおろと立ち尽くした。
「何故、お前がここに……」
「今、兄上が挙げていたリーシャ嬢の婚約について、話をするためですよ。貴方とリーシャ嬢との婚約が既に解消されていることは、私が証言しましょう。なにしろ父上に話を繋いだのは、私ですから」
「なんの、権限があって、貴様が……!」
混乱の渦中にありながらもハロルドはリロイを邪魔者と見定め、憤怒に満ちた声で彼に迫る。
「わかりませんか」
ピシャリと冷たく、リロイはハロルドの恫喝を跳ね除けた。
「兄上の策謀は、既に露呈しているということですよ。国家擾乱を企んだ、貴方の罪は」
「は……?」
「城下町の青い屋根のタウンハウス」
端的にリロイがそう告げると、ぽかんとしていたハロルドの顔は見る見るうちに青褪めていく。
「書斎の本棚裏の隠し部屋。貴方が設置した悪魔召喚の陣は、既に衛兵たちが抑えています。婚約者に罪をなすりつけるくらいだから、兄上もよくご存知でしょう。悪魔召喚の試みは、死罪に当たると」
「そ、それはリーシャが……」
「いいえ。リーシャ嬢はむしろ、その素材の手配に疑念を覚え私に相談してくれたのです。彼女のおかげで、今回の件は発覚しました。そして、ティアラ・シアーズ。貴女の家がトゥネリと密通していることも調べはついています。貴女にも同様に、国家擾乱罪の疑いがかけられている」
「わ、私は何も知りません……!」
目に涙を浮かべ震える手を胸の前で合わせて、ティアラは悲痛な声で叫んだ。それは、いかにも相手の憐れみを誘う仕草。
状況がわからずとも、即座にか弱い女を演出して保身に走る彼女の判断は早い。
しかし、それに対するリロイの反応はにべもなく冷たかった。
「ああ、貴女は本当に知らなかったのかもしれない。ただ、当主の指示に従って、足りない頭で考えることもせず兄に擦り寄ったのでしょう」
「私はただ、ハロルド様をお慕いしていただけなのです!」
その言葉に首を振り、ティアラは涙ながらに訴える。
会場中の視線を集めて切々と身分違いの愛を叫ぶ彼女の姿は、さしずめ悲恋のヒロインといったところか。思わず周囲が彼女に同情の目を向ける程に、その姿は真に迫っている。
しかし、ティアラの慕情たっぷりのセリフを聞いてなお、淡々とした声でリロイは告げた。
「それが何になると? 知っていようといまいと、貴女が王家の定める婚姻を無視して第一王子に手を出した事実に変わりはない。その結果、一連の騒動に関わることになった罪は、重い」
「そんな……!」
連れて行け、とひと言リロイが命じれば二人はあっという間に捕縛されてしまう。
「離せ、俺を誰だと思っている……! お前ら後で、覚えていろよ……!」
「誰か……、誰か助けてください……私、本当に何も……!」
最後まで自分たちの罪を認めぬまま、二人は衛兵に無理矢理連行されていく。しばらく抵抗する声は聞こえたものの、やがて物音は遠ざかり、そして静寂へと飲み込まれていった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
気まずい沈黙に覆われる中、仕切り直すようにぱんっとリロイは手を打ち鳴らした。
「さて、パーティを楽しんでいた諸君を驚かせてしまってすまない。だが、もうしばらく私に時間をもらえないだろうか」
王太子のそんな言葉に異を唱えられる者など、誰も居ない。聴衆は固唾を飲んで、その続きを待つ。
「今回のこの件は、逆らえない状況に置かれながらもリーシャ嬢が勇気を出して告発してくれたことで明るみに出た。誉れ高き彼女の英断に、拍手を!」
リロイの言葉に、気まずそうな顔をしながらも参加者たちは手を鳴らしはじめた。
もともとハロルドの取り巻きたちが多く参加しているパーティだ。今までリーシャに対して碌な扱いをしてこなかった自覚のある彼らは、王家に叛意があったわけではないのだと主張するように必死に手を叩く。
それはやがて嵐のような拍手となって、リーシャに降り注いだ。
――終わったのだ、とリーシャはその拍手にカーテシーで応えながら呆然と胸の裡で呟いた。
破滅の運命から逃れることができた、私の願いは達成された――遅れてやってきた実感がじわじわと身体に染み渡っていく。
こみあげる達成感に唇を綻ばせて、カーテシーを終えたリーシャはその喜びを伝えようと反射的に右後ろを振り向いた。
――誰も居ない。
その視線の先に広がる虚空を目の当たりにして、彼女の笑みは凍りつく。……私は一体、誰に笑いかけようとしていた?
黒いモヤが身体の中に広がるように、不安が彼女の胸に広がっていく。正体のわからない焦燥感。心拍数が苦しいほどに上がっていく。
息苦しさを覚えながら、リーシャは救いを求めるように盛り上がる会場内を見渡した。
……右。居ない。
……左。居ない。
誰を探しているのかもわからないのに、視線は会場内をうろうろと彷徨う。
「リーシャ嬢の気高き行動に私は感銘を受け……」
大衆を前にしてリロイが演説を続けているが、その声はリーシャの耳を素通りしていく。今の彼女には、そんなものに耳を傾けている余裕はない。
「リーシャ嬢!?」
気がつけば、リーシャは踵を返して駆け出していた。体当たりするように扉を開き、肩で息をしながら彼女は誰かを求めて走る。
走る。走る。走る。
驚いたように彼女を見やる周囲に目線を走らせるが、これだ、と思う人影はなかなか見つからない。それでも、彼女は走り続ける。
――やがて。
「待って!!」
庭の木立に消えようとする背中に向けて、リーシャはあらん限りの声で叫んだのであった。