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第三章 ティアラ・シアーズ


 ひっきりなしに訪れる貴族達との懇談。初めての経験は刺激的ではあったけれど、知らず知らずのうちにリーシャの精神を随分と疲弊させてしまっていた。無意識のうちについた溜め息に、リーシャは己の疲れを遅れて自覚する。

 こうした大きなパーティであれば、彼女のように疲れた招待者のために休憩室がいくつか設けられているはずだ。しばらくそこで休ませてもらおう。

 そう判断して、ある程度の人と交流を終えたリーシャはそっと会場を抜け出した。


 コツコツと靴音を鳴らしながら廊下を進む。気づかないうちに、リーシャの手は今日の手応えを確かめるように何度も握ったり開いたりを繰り返していた。

 ――自分にも何かを成せるかもしれない、という手応え。今までも家業に関わる仕事はいくつも手がけてきたけれど、それは言われたことを機械的にこなしているだけという感覚であった。やり甲斐も達成感も感じない、ただの流れ作業。


 でも、今日のこの感覚は違う。

 初めて覚える身を震わせる程の喜びと興奮、高揚――この感情を誰かと分け合いたいと思って、自然と執事のことを思い出した。


 個人の使用人はパーティ会場に入ることはできないから、使用人控室でリーシャの帰りを待っているはずだ。そちらに行ってみようか――。

 そう判断して向かう先を変えようとしたところで、リーシャの腕は何の前触れもなく、突然ぐいと掴まれた。




 悲鳴を上げる余裕もなく、薄暗い部屋へと引き摺り込まれる。バタン、と重い扉が閉まる音がして、会場との隔絶を示すような静寂が部屋の中を覆い隠した。

 慌てて立ちあがろうとしたところを突き飛ばされ、床にしたたかに腰を打ちつける。痛みに顔を顰めたリーシャの前に、誰かが立ちはだかった。

 うずくまる彼女の視界を埋め尽くすように、頭上を覆い隠す黒々と伸びる影。その主を確かめようと、リーシャは恐る恐る顔を上げる……。


 この緊迫した状況には合わない、可愛らしいサーモンピンクのふわふわとしたドレスが目に入った。後ろから投げ掛けるランプの光を乱反射する、ドレスの裾に散りばめられた星のような宝石。その眩しさに、リーシャは反射的に目をすがめる。


 そんな彼女の頭上から、嘲笑うような声が降ってくる。

「ご機嫌よう、リーシャ様。少し見ない間に随分とご立派になられたんですね」

「っ、ティア、ラ、様……!」

 見上げた先に映ったのは、可愛らしい顔で意地悪く唇を吊り上げるティアラ。その唇の間から覗く、獣のようにギラリと光る犬歯がリーシャの視界に飛び込んできた。




 床にうずくまるリーシャを見下ろしておきながら、ティアラはわざとらしく悲しげな顔を作ってみせる。

「ひどいですわ、リーシャ様。私に流行遅れのドレスを贈っておいて、自分は最新のドレスで注目を引くなんて……そうやって、私に意地悪するんですね!」

「あ……あなた、何を言って……」

 破綻した論理展開に呆然と声を上げるが、ティアラは気にする様子もない。


「どうしてそれが愚かな行為だと、気づかないのかしら。そんな風に着飾ったところで、アナタなんて誰からも愛されていないくせに!」

 起きあがろうとしていたリーシャは、その身体を貫くような鋭い言葉に思わず動きを止めた。反射的にティアラの顔を見上げれば、侮蔑の籠もった眼差しで彼女は勝ち誇ったように口元を歪める。

 ()()()()()()()()()()()――リーシャの心の柔らかなところを(えぐ)るような、悪意に満ちたその言葉。きっとティアラは彼女が何を言われれば一番傷つくのかを理解して、それを口にしたのであろう。

 確かにそれは、愛に飢えた以前のリーシャであれば絶望に昏く染まるような残酷な指摘であった。


 ――そう、かつての私だったら。でも、今は違う。

 きっと顔を上げて、リーシャは何事もなかったかのように優雅な所作で立ち上がった。無言でティアラと向かい合えば、相対するその身体は見下ろす程に小さい。

 落ち着いてティアラを見返しながら、リーシャは胸の裡で確かめるように呟いた。

 ――私はもう、与えられないことを嘆くだけの赤子のような我が儘を望んだりはしないのだから。


「な……何よ、その眼……! 愛されない女のくせに、生意気……」

 そんなリーシャの姿に一瞬気圧(けお)されたように後退りをしたティアラは、可憐な外見とはかけ離れた醜い憎悪の言葉をまき散らした。そして小さく舌打ちをした彼女は、忌々しそうにパンッ、と両手を鳴らす。

 途端、待ちかねたように乱暴に扉が開いて、見知らぬ男性が中へと押し入ってきた。それを見て、普段は小動物のようにつぶらで潤んだティアラの瞳が狡猾な狐のように細められる。

「大人しくしていれば、しばらく見逃してあげるつもりだったのに……ハロルド様は婚約破棄の舞台がととのうまで待ってほしいと言っていたけど、もう我慢できないわ。目障りな女を貶めるなんて、簡単なこと。そう、例えば……王家主催のパーティ中に休憩室に男を連れ込んでいた、なんて醜聞はいかがかしら?」


「……っ!」

 ティアラの言葉に、リーシャは色を失った。

 それは、非常にまずい。未来が書き換えられてしまえば、今までの準備は水泡に帰すことになってしまう。ハロルドとの婚約が失われること自体はリーシャの望みでもあるが、こんなやり方では何も解決しないのだ。

 迂闊なことをした、と内心で歯噛みした。どうせハロルドの態度が変わることはないのだから、と自分のやりたいことを押し通して参加したこのパーティ。かつての人生と異なるその選択が、こんな結果を招くことになるなんて。


 リーシャの怯えた反応に満足げに頷いたティアラは、目で男に合図をする。そして自身は部屋から立ち去ろうとくるりと背を向けた。

 目の端に部屋の扉を捉えながら、リーシャはじり、と彼らと距離をとろうとする。しかし、それ程広くない休憩室に逃げ場はない。

 目の前の男はあまり屈強なようには見えないが、それが何になるというだろう。か弱いリーシャと男の力の差は歴然としている。


 扉の前で、ティアラは軽やかに振り返って男に向かって小首を傾げた。

「それじゃ、後はよろしく。好きに扱ってくれて構わないけれど……何が起きたか誰の目にもわかるように、しっかりと痕は残しておいてあげてね? ああ、それとその目障りなドレスも切り裂いておいて。できるだけ下品な感じで、ドレスのイメージも悪くなるように」

 こんな風に他人を陥れようとする時でも、彼女は人差し指を桃色の唇に当てて可憐な仕草を忘れない。しかし、リーシャにはその媚びた仕草がおぞましいものにしか見えなかった。


 その言葉を最後に彼女と入れ替わるように、下卑た笑みを浮かべた男が足を踏み出した。リーシャを獲物と見定めた男の視線が、舐めるようにリーシャの全身を這いまわる。触れられたわけでもないのに、全身が総毛だつような寒気と怖気(おぞけ)に身体が震えだした。

 気を抜いたらそのまま床に崩れ落ちそうになる程の恐怖。歯の根が合わず、ガチガチと震える音が止められない。逃げなきゃ、と思うのにリーシャは蛇に睨まれた蛙のようにその場から一歩も動くことができずにいる。今の彼女には、立っていることだけで精一杯だ。


 まだティアラが室内に居るというのにそんなリーシャの怯える姿すら堪能するように男はゆっくりと彼女に近寄り、その薄い肩に手を伸ばそうとして……。



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