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第二章 忘れたくない存在


「諦めたはずのものを切り捨てられず、自分の弱さに失望した……ですか?」

 やがて心が落ち着いてきてから、リーシャは彼の身体に額を当てたままポツポツと何が起きたかを語りはじめた。その話を聞いて、執事は不思議そうな声を出す。

「お嬢様のそれは、弱さではないと思いますよ?」

「弱さでないなら、何だっていうの? 認めてもらえることなんてないって知っていたのに、(すが)ってしまうなんて……こんな感情、弱さ以外にありえないじゃない!」


 顔を上げずに言い返すと、ふっと息を洩らして執事は優しくリーシャの髪に触れる。

「想いが叶わないことを悟りつつ旦那様と向き合ったのは、お嬢様の旦那様に対する愛情です。そして、諦めずに対話を試みたのは貴女の強さだ。そうして訣別の覚悟を決めたのであれば、それは無駄ではありませんとも」

 彼のその言葉は、リーシャの心についた傷をひとつひとつ洗い流していくようだった。言葉にできなかった彼女の想いを丁寧に掬い上げて、光に当てて溶かしていく。


「……そう、思う?」

 チラリと上目遣いで見上げれば、優しい瞳がそれを受け止めた。

「えぇ、お嬢様はよく頑張りました」

 温かな言葉に、涙腺は再びじわりと滲んで。

 慌ててリーシャはもう一度、顔を伏せたのであった。




「そういえば、今日は何処へ行っていたの?」

 しっかりと涙が引っ込んでから、リーシャは己の醜態を誤魔化すようにそっけない口調で執事に尋ねた。外出したいと行って朝から出掛けていたが、一体何の用があったのだろう。

「ああ、シアーズ家の偵察に行ってきたんですよ」

 さらりと執事は、とんでもないことを口にする。


「シアーズ家って……ハロルド様の浮気相手の、ティアラ様の家じゃない! どうしてそんなところまで……」

 驚くリーシャとは裏腹に、彼の反応は至って普通だ。何でもないことのように肩をすくめて、彼は平然と言い放つ。

「大旦那様がおっしゃっていたじゃないですか。シアーズ家に気をつけろ、と。今までただの愚かな浮気相手に過ぎないと思っていましたが、少し気になりまして」


「それで……何かわかったの?」

「ええ、それなりに面白いことは」

 リーシャを椅子に誘導すると、執事は真面目な顔で口を開いた。

「彼らは、ハロルド様を王位に就けようと画策しているようです。そしてお嬢様を排除し、自分たちの娘であるティアラ嬢をその妻に据えようと」

「っ! そんなの、王太子であるリロイ殿下がいらっしゃる限り絶対に叶わない夢よ。それはつまり……」

 掠れた声が洩れる。厳しい顔で執事は頷いた。

「そう。つまり、彼らは……リロイ殿下の暗殺を目論んでいます」




 ――やはり、前回の人生とまったく同じことが起きている。

 目の前が真っ暗になるのを感じて、リーシャはぎゅっと瞼を閉じた。


 実はかつての人生におけるリーシャの断罪は、その目眩(めくらま)しに過ぎなかった。ハロルドは弟であるリロイを誰にも疑われずに暗殺するために、悪魔召喚という手段を思いついたのである。

 そして一石二鳥とばかりに、その素材を手配したリーシャを悪魔召喚の実行者として断罪した。『ハロルドの最愛であるティアラに嫉妬し、彼女を呪い殺すために悪魔召喚を行なった』のだと。

 そのうえで邪魔者が余計な口を聞かないようにと、投獄中のリーシャを殺害した。


 そうやって世間の目を『成金貴族(リーシャ)の断罪と死』に向けさせている間に、悪魔の力を使って王太子リロイを自然死させる――それこそが、リーシャが死の間際に耳にしたハロルドの計画であった。


 いかに王位継承権が劣っていようと、ハロルドは紛れもない第一王子である。王太子が倒れれば、後継者争いを起こすこと自体は容易い。最終的に彼らは、現国王の暗殺の対象すら視野に入れていたのではないだろうか。


「でもそんな風に無理矢理王位を簒奪したら、当然反発も起こるし、内乱にもなりかねない。間違いなくこの国は疲弊してしまうわ……ハロルド様はそこまで頭が回らないかもしれないけれど、シアーズ家はこのことをどう考えているの?」

 当然の疑問を口にすると、執事はにやりと笑う。

「それも、今回の収穫でわかりました。いやぁ、お嬢様の慧眼(けいがん)はすごいですね。トゥネリです、彼らは敵国であるトゥネリと繋がっているんです。先日の商人がシアーズの屋敷に滞在しているのが確認できましたよ。彼らにしてみれば、この企みによって王家が揺れれば揺れる程ありがたい、ってことですね」


 思い掛けないところでつながる事態。

 ハロルドには王を目指す程の度胸も計画性もないと思っていたが、やはり後ろで糸を引く者が居たのか。

「なるほど……いろいろと腑に落ちたわ。調査、ありがとう」

「お嬢様にご満足いただけたのであれば、望外の喜びです」

 執事はそう言って、もったいぶった仕草で礼をする。


「本当に優秀なこと……まるで答えを知っているみたいに情報を持ってきてくれるのね。えぇと……」

「ツルギです、お嬢様」

 言い淀んだリーシャに、慣れた口調でツルギはにっこりと名乗る。

「そう、ツルギ。いつもありがとう」




 ツルギ、ツルギ……と何度もその名を口の中で繰り返しながら、リーシャは得体のしれない焦燥感に駆られていた。

 ――何度聞いても記憶に残らない彼の名前、そして彼の姿。その名を耳にするたびに今度は絶対に忘れまいと強く思うのに、少し彼と離れただけですぐにその記憶は薄れていく。まるで指の間からこぼれ落ちていく水のように。そしてそれはいくら振り返ろうと、思い出すことのできない記号となってしまうのだ。

 そんな現象に対抗して、彼の名前を書きつけておこうとしたこともあった。しかし、そうすると今度はペンを手にした途端に、自分が何をしようとしていたのかすっぽりと抜けてしまう。

 それはもはや、ツルギを記憶することは許さないという何らかの大きな意思が働いているかのようだった。


 そんな不可思議な現象に、リーシャはただただ不安を覚える。

 ツルギの正体が掴めなくて不安なのではない。いつか自分が彼のことを忘れ、彼の居ない生活を当然のものとして過ごすようになってしまうのではないかと不安なのだ。

 現に、リーシャは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 死に戻ってからの僅かな時間であっても、ツルギの存在はリーシャにとって非常に大きなものとなっていた。

 常に彼女の傍に控え、彼女の感情に寄り添い、そして的確な助言を口にしてくれるツルギ。彼がリーシャの人生から消えてしまったら、リーシャは間違いなくひとりぼっちになってしまう。欠けた半身の正体を知らぬまま、それでも虚しさだけを抱えて生きていく――そんなの想像するだけで身震いがする。


 死に戻ってからのリーシャは、自分がどんどん我が儘になってきているのを自覚していた。

 当初のリーシャは、死にたくない、苦しい思いをしたくないという消極的な動機で運命を変えようと抗っていた。

 でも、今は違う。前回の人生ではやれなかった楽しいことに挑戦したいし、お友達も作りたいし、美味しいものも食べたい。そして、その横にはツルギが居てほしい。


 視線を逸らしたらすぐ忘れてしまうくせに、光を反射して濡れたように輝くツルギの黒色の髪に目を奪われながらリーシャはそっと彼に言う。

「ツルギ、何度でも貴方の名前を教えてね」

 ――そうやって名前を呼び続けることだけが、彼女にとって唯一彼を忘れないためにできる対抗策だから。

 ツルギのパーツひとつひとつを丁寧に視線でなぞる。それでも、その全体を形作る彼の顔は相変わらず掴めないけれど。

 顔がなくても、名前を忘れても、彼は私の大切な執事だ。


 向かい合う灰緑のゆらめく瞳がまっすぐにリーシャを映し出した。じっと視線をそらさず、ツルギは真摯に答える。

「もちろんです、お嬢様」



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