第七話 疲労骨折は突然に 3
お仕事モードから、ケガ・病院シーンへ……
ふ、と目を覚ますと、白い制服を着た女性に顔を覗き込まれていた。
「先生、気が付かれました」
(看護師さん……? 先生?)
左腕には、点滴が繋がれていた。
「気分はどうですか? ここがどこか分かりますか?」
やけに顔の良い、白衣を着た男性が話しかけてきた。
(看護師さん、先生、点滴……)
「病院……?」
「そうです。お名前は言えますか?」
「佐倉、結です」
「サクラさん、何があったか覚えていますか?」
そう聞かれた瞬間に、左足首に鋭い痛みが走った。
「いっ! ジョギング中に……、足を痛めて」
「そうですね。気を失なって、十五分ほど眠っておられました。脈拍や心電図は問題なかったので、少し休んでいただいていました」
「そう、でしたか。お手数をお掛けして……」
「ここは病院ですから、お気になさらず」
医師も看護師も、嫌味のない笑顔を浮かべた。
「問診票は書けそうですか? 脱水症状を起こさないように生理食塩水は点滴していますが、アレルギー反応によるアナフィラキシーショックを起こす恐れもあるので、鎮痛剤や消炎剤はまだ使っていません。CTを撮りたいので、妊娠の可能性の有無も……」
病院にかかったことがある人ならば、だいたいは分かる内容を聞かされた。
学生時代にも整形外科で同じような質問をされた。
もちろん、学生であろうと妊娠の可能性の有無も。
「大丈夫です。書けます」
クリップボードに挟まれた裏表の用紙を渡され、書きやすいようにベッドの上半分だけ起こされた。
(この診察ベッド、すごいな)
私が知っているものは、シーツは敷いているものの、固くて幅も狭い、あまり寝心地の良くないものだ。
周囲を見渡すと、普通の診察室とは少し違う。
(あ、救急搬送された時に運ばれる場所だ)
「書けました」
医師に問診票を手渡すと、私の既往歴などをすごいスピードで読み込んでいる。
「はい、内科的な既往歴やアレルギーは大丈夫ですね。妊娠も無し、と」
そう言いながら、医師はチラッと看護師に目配せする。
看護師もそれに対して軽く頷いて、どこかに行ってしまった。
そして、医師はもう一度、問診票に目を落として「あぁ、やっぱり」と呟いた。
「やっぱり?」
思わず、私は聞き返した。
「以前にも骨折の経験があるようだ、と聞いていたので。陸上部でハードル走。剥離骨折、疲労骨折の経験が複数……か」
「聞いていた……? 部活の内容と骨折の回数は書いたけど、『聞いていた』?」
小さく独り言のように呟やくと、医師は少し腰を折って、私の顔を覗き込んだ。
「目にライトを当てるので、少し我慢してくださいね。――はい。では、私の人差し指と、佐倉さんの鼻に指を付けるように往復させてください」
これも知っている。
脳に異常が無いか、調べる検査だ。
自分の人差し指を鼻の頭に付けてから、医師の指先を触り、そして、また自分の鼻に戻す。
ケガで発熱しているのか、少し指が震えたが、きちんと往復することができた。
「うん、大丈夫そうですね。病院まで、どうやって来たか分かりますか?」
「え、っと……。通りかかった男性が助けてくれ、て?」
「はい、そうです。倒れる前の、最後の記憶はいつですか?」
「たぶん、病院の前です」
「助けてくれた男性と、どうやって病院まで来ましたか? 歩いて?」
「――分かりません」
質問された内容に答えられなかったことに、ひどく動揺した。
「ケガのショックや痛みで、記憶が曖昧になっているのかもしれませんね。ただ、一応、脳の画像も撮っておきましょうね。覚えてないうちに頭を打っているかもしれませんから。検査の結果がすべて出たら、解熱剤や痛み止めの点滴をしましょう。辛いでしょうが、もう少し我慢してくださいね」
医師は結を不安にさせないように、穏やかな声で説明してくれる。
「あ、準備ができたみたいですね。まずは足のCTを撮りましょう」
医師の視線の先に目を向けると、先ほどの看護師が車椅子を用意して戻ってきた。
「よいしょっ。ゆっくりで良いですよ」
ベッドから車椅子に移動するために、看護師が介助してくれた。
細身の女性。歳は四十代くらいだろうか。
それでも、結の身体をしっかりと支えている。
(大変な仕事だな……)
しっかりと支えられた感触で、思い出した。
「あの! 助けてくださった男性は……?」
「あー。待合室にいますよ。あ、迷惑かけてるとかなら、気にしなくて大丈夫ですよ。昔から世話焼きな奴ですから。世話を焼いてる、っていう感覚すら無いかもしれませんね」
ハハッと、医師は先ほどの態度とは少し違う表情を見せた。
「お知り合いですか?」
「高校の同級生で、部活仲間です」
「――サッカー部の」
「ご存知でしたか」
「タクシーの中で、少し。あっ……」
「記憶、少し戻ってきたようですね」
私はゆっくりと頷いた。
「それでも、気になる点はすべて検査して『大丈夫』だと安心しましょうね。そのほうが気持ちが楽になる。――それにしても」
急に医師が拳で口元を隠して、ククッと笑った。
優しい表情と言葉の後だったので驚き、結は首を傾げる。
「いやぁ、アイツ、バカでしょう? 名前も聞かずに連れて来たって、言うものだから。それで、部活の話はしてるんですね。基本的には何でも卒なくこなす奴なんですけど、どっか抜けてて。さすがに、今日は焦りました」
「そうでしたか……」
(先生が笑った理由、そういうことか。ずいぶんと親しげ。昔から、仲が良かったのかな)
『何でも卒なくこなす』
少し、先輩の清水に似た人なのかもしれない。
(名刺に書いてた名前、忘れちゃった)
顔もよく覚えていない。
たぶん、この先生に比べれば普通の容姿だったとは思う。
「すみません。余計な話をしましたね。検査室に行きましょうか」
「はい」
看護師に押される車椅子が、ゆっくりと進みだした。
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