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あなたの記憶に幸福あれ ~とある記憶管理士の日常~  作者: 緑青ケンジ
第一章 とある記憶管理士の日常
6/22

File1-6 記憶の隙間に動く世界

 

 ニイナの言葉の意味を真弓は咀嚼していた。


『最愛の人を自らが医療行為とは言え直接手を下すか……考えたくもないわね』


 それは、真弓にとって最愛の人の記憶を己の手で消す行為に等しいのではないかと考えつき、一人でに身震いを覚えていた。


「ニイナ、貴方はその記憶を見てどう感じたの?」


「悲しく、辛い記憶だと思います……。滑川様はその時の記憶に囚われています」


 記憶に囚われる、とは記憶管理士特有の言い回しであった。根幹原因を探す中で、現在の滑川晴明を苦しめているトリガーとなる記憶部分を意味することを真弓は理解していた。


「……スクリーン上の記憶地図とトリガー記憶の座標確認を念のためすり合わせ出来るかしら?」


「はい、私の記憶読み取りをお願いします。記憶想起の類似パターンから根幹記憶の位置特定は容易かと思います」


 真弓はニイナの助言を基に、記憶の切除の為、記憶抽出装置を通してその記憶特定を試み始める。


 記憶媒介技術士として、記憶想起に伴う特定の思考パターンによって発生する滑川の脳内反応とを比較し、トリガーとなる記憶の切除を行う事が真弓には求められていた。その作業はミスを許されない繊細な作業であり、記憶管理士の協力の下、作業が行われるのが常であった。


 記憶抽出装置、正式名称をMemory Extraction Equipmentと呼ばれるこの装置は、脳内シナプスの結合編成を強制的に変質させる信号を投射し、血中投与された特殊蛋白質が脳内でシナプスと結びつくことで記憶の改変を実現している。使い方を誤れば、記憶混濁、人格崩壊を招きかねない機器であるが故に、装置の使用は専任者以外には許可がされていない。


 施術台に寝かされた滑川は完全に意識は無く、頭に付けられた測定器が目立って見えるが、寝息は静かなものであった。


 真弓は慣れた手つきでコンソールを操作し、指定された記憶部分の切除を実施した。施術自体はものの数分で実行され、既に滑川の記憶からは彼を蝕むトリガーとなった根幹記憶は取り除かれている。


「真弓、お疲れ様です」


 ニイナは先ほどまで自身に取り付けられたウェアラブルデバイスを丁寧に取り外し消毒用のペーパーで機器を掃除しつつ、真弓に労いの言葉を掛ける。


「ふう……とりあえずこれでひと段落ね。後は適切に記憶除去が効いているか、滑川さんの状態次第。麻酔も切れてあと三十分もすれば目を覚ますでしょうから、それまでは私に任せてニイナは抽出した記憶の整理を付けておきなさい? 調子は今のところ問題はなさそうだけど、大丈夫?」


 真弓は首元に滲んだ汗を可愛らしい薔薇の刺繍が入ったハンカチで拭うと共に、機器操作の為に結わいた髪を解くと、鬱陶しそうに髪を撫でつけていた。


「はい、大丈夫です。ですが……人との別れと言うものは、胸の奥がこんなにも苦しくなるものなのですね」


 ニイナはぎゅっと、胸元を握り締めながら滑川の記憶から受けた影響を滔々と語っていた。先ほど見せた突然の涙も、記憶過多による感情失禁であり、他者記憶にニイナが影響を受けている事は間違い無かった。


「……それでいいのよ。人の気持ちに寄り添うのもまた記憶管理士の役目なんだから」


「私にも、いつか人の気持ちが記憶を通さずとも理解出来る日が来るでしょうか?」


「……」


 ニイナは自分が抱く感情があくまでも滑川の記憶による影響であることを理解していた。客観的な他者記憶の認識能力は記憶管理士には必須の能力であるが、それ故に管理士個人の情緒の変化は鈍くなる傾向がある。ニイナはその最たる例であり、極端なまでに共感能力の欠如が見られていた。


 そして、それ故に泉ニイナは記憶管理士として極めて優秀な素質を持つと言い換える事が出来た。記憶混同を起こし難い体質は、皮肉なことに記憶管理士にとって最も重要な素質であった。


 そしてそうした素質の意味を知るが故に真弓は答えに一瞬の間が空いてしまう。感受性、共感能力の復活は即ち、記憶管理士としての資質が失われることを意味する。しかし人間性と管理士の資質、天秤に掛けること自体がおかしなことであると、真弓は自分の偏った思考に溜息を吐きそうになるのを堪えていた。


「大丈夫よ。少しずつ、学んでいけばいいのだから…… さあ、そろそろ仕事に戻るとしましょう。ニイナも滑川さんとの対話に向けて準備が必要でしょう?」


「はい、私は改めて記憶の確認と整理をさせて頂きます。それでは、後はよろしくお願いします」


 ニイナは頷き、治療室を後にした。


『最年少記憶管理士、か……』


 真弓は一息つく為に、パントリーで水分補給をしつつ、若い記憶管理士が滑川の記憶に対してどのような結論を見出すのか楽しみであると同時に不安に駆られていた。それは感情表現に乏しいニイナにとって何等か得るものがあるのではないかという期待と、若干十四歳で記憶管理士となったニイナに対して過度な期待を求めてはいないかという、年長者としての責任感が綯交ぜになった感情であった。


 今回の仕事については、ニイナの今後の方針を決める判断材料になることを真弓は理解していた。そして、それを泉真人が課したことについて、ある程度の理解は出来るものがあった。記憶管理士として独り立ち出来れば、ニイナの後見人である真人にとっては安心材料になることは間違い無い。これは、真人なりの親心であった。


 だが一方で泉真人がニイナに課した、今回の配役――つまり滑川晴明の治療行為に関して主担当として業務にあたる点については、時期尚早であり真弓は過度な荒療治であると考えていた。


 本来であればニ年以上に渡り、ベテラン管理士の下で補助実務を経験し、その後に主担当として晴れて実務に就くことが一般的であっただけに、今回の抜擢については不安に思う部分があった。


『とは言え、ニイナの記憶管理士としての能力は間違いないのも事実。真人が期待をかけるのも分からなくはないかしらね』


 ニイナの記憶同期からの意識覚醒は驚く程早く、表面的な影響はあれど完全に同期された記憶を客観的に管理が出来ている状況は、記憶媒介技術士として幾人もの記憶管理士と職務を共にしてきた真弓からしても十分評価に値するものであると言えた。


「ほんと、悩ましいわね」


 真弓は思わずぼやきを漏らすと、気を紛らわす為にもう一度、喉を潤した。

 

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