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あなたの記憶に幸福あれ ~とある記憶管理士の日常~  作者: 緑青ケンジ
第一章 とある記憶管理士の日常
4/22

File1-4 他人の記憶は数値か否か

 

 新城真弓は滑川から抽出した記憶を数値化し、そこから滑川がどの様な状態にあるかをある程度把握していた。


 画面に映し出された数値の動きは、ある特定のパターンを表した時に滑川にとって忌避感無いしは情動を掻き立てている状況を指し示していた。数値として表された記憶の位置座標は一般的に記憶地図と呼ばれており、その記憶地図上の特定記憶を取り除くことで、滑川は自身を苦しめるトリガーポイントである体験記憶を想起することが出来なくなる。


 前時代的な記憶治療においては機械的に記憶消去を行うことが推奨されていたが、現在ではそれは根本治療ではなく、あくまでも対処療法に過ぎないとされている。


 その理由としては、日常生活に影響の出ない範囲での記憶消去であれば治療として確かに問題はないが、画一的な記憶除去は時として人格形成に関係する記憶の消去にまで発展し、得てして問題が発生する事が多く見られたからであった。


 消去された記憶に対して脳が無意識下でその空白を埋めるために創り出す擬似記憶による事実誤認や、突発的な記憶の欠落による不安障害の発生など、単純に機械任せにすると乱暴な結果となる事が多々発生する事態は医療行為としては、客観的に見ても欠陥があると言わざるを得ない。


 それ故に記憶座標の正確な特定と、前後記憶の把握は治療を行う上で重要な要素であった。そうした意味で、記憶の映像抽出が前後記憶の特定に有用であるとされた時期もあったが、昨今の状況を加味した結果、抽出記憶の映像化は現状タブー視されている。それは映像化によって得られる自己知覚を通さない、いうなればモニターという間接的な機器に投影された記録の閲覧では、それを本来受け取る個人の意味、価値レベルにおいて情報量が著しく低下し正確な理解からは程遠い結果を招く事が多くあった。


 そうした中で記憶管理士という役割が生まれ、人の記憶を読み取り認識の擦り合わせを行うプロフェッショナルの存在が価値を持つ様になったとも言える。


『とは言え、全て管理士任せには出来ないと言うのが、また厄介なところよね……』


 真弓はそうした流れの中で作られた役割の限界を理解するが故に、記憶抽出及び、治療に関する現状を憂いていた。


 記憶管理士――つまり、他者記憶の読み込みを行う者が本来、記憶抽出装置の操作も行えば精緻な結果を出すことができるのであろうが、それは情報管理の多層化及び、記憶管理士自身の身体的負荷軽減を目的として管理士と技術士の仕事を明確に区分していた。


 他人の記憶を移植することで受ける脳への負荷は大きい。勿論、訓練によって軽減は可能であるが、自己意識の境界線が曖昧になるケースは少なくない。それ故に、記憶管理士の体調管理を行い、サポートをする役割として、医師免許を持つ記憶媒介技術士の存在もまた重要な役割を担っていると言える。 


 『士業の特権化』などと一時期は嘯かれ、新聞の紙面を賑わす話題にもなった事もあったが、管理士が請け負う他者記憶の読み込みがどれほどの精神負荷を負わせることになるかを考えれば無益な議論であった。


 真弓にとって自分の頭の中に他人の記憶が入り込むという事は想像するだけで忌避感を伴う行為であった。


『そのくせ、人の記憶を弄る仕事を生業にしているというのは因果なものね』


 これは真弓が酔った勢いで自嘲気味に真人へと吐いた言葉であったが、それが彼女にとっての仕事に対する想いの裏返しであることを真人は察してはいたが、深く理解することは無かった。


 物思いに耽りつつも、真弓はモニターの数値に急激な変化が起こったことに気づき思わず驚きの表情を浮べた。


「ニイナ、もう覚醒しているの? それで……どうかしら?」


 記憶同期からニイナが覚醒するまでの時間は極めて短く、その速度は目を見張るものがあった。驚きつつも、真弓は座標の範囲における記憶を照合する為にニイナへと問いかけた。「どう」とは、ニイナに保存された特定のパターンの根幹原因の内容特定ないしはその凡その推定についてであった。


 真弓はニイナの一挙手一投足を具に観察していた。それは、記憶媒介技術士としての真弓の責務であると同時に、今回の相棒であるニイナに対する配慮であった。


 ニイナはそうした真弓の気遣いを気にする風でもなく、あくまでも真弓の問いかけに対し上体を起こしてから素直な返答をし始めた。


「記憶座標が示すのは主に滑川様の奥様とご一緒に過ごされた時の記憶です……。奥様の事を思い出す度に、奥様が亡くなられた時の事が断続的に思い起こされ、深い嘆きと、悲しみを生み続けています」


 真弓はニイナの横顔を見つめつつ、記憶混同等の障害が発生していないか、その変化に乏しい表情に何らか読み取れる情報が浮かび上がらないかを気に掛けていた。


 記憶の混濁や混同、今回の場合であれば滑川の記憶によって管理士であるニイナ自身の人格に影響がないか、それを確認する事もまた真弓の責任であったが、ニイナの様子からそれが杞憂に終わりそうであると真弓は判断し、続けて滑川の記憶について深堀を始めることとした。


「もう少し咀嚼する必要があるわね……その感情は一体どんな感情に起因するのかしら、後悔、悲哀、自責、他責、怒りの感情は見られる?」


 真弓は幾つかのキーワードを散りばめ、ニイナと一問一答形式で問答を繰り返す。それはニイナ自身に記憶の定着を促し、同時に根本的な解決策を模索させるためであった。


「……酷い自責、そして後悔。奥様に対する罪の意識が滑川様を苛んでいます」


 思い込み、としての自責は鬱症状に見られる要素であったが、その核心部となる理由が見えて来ず真弓は三度ニイナに問いかける。


「罪の意識?」


「はい。滑川様は……」


 ニイナが言葉を紡ぎ出そうとした時、その白く透き通った頬に一筋の涙が伝っていた。


「滑川様はご自身の手で奥様を殺めております」


 真弓は驚きの余り、声を出すことも出来ずにただ、目を見開いていた。


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