奇妙な眼鏡の男
「魅了、みりょう、ミリョウ……と。」アンバーは国立学園の図書室で魅了について調べていた。
エルノーラが伯爵邸に滞在してから数日、それは目に見えない小さな変化から、徐々に始まっていたようだ。
アンバーが気付いたときには、はっきりとした変化が見えだしてからだった。父の変化、使用人の変化を感じたアンバーはどうしてなのか考えた末に、世にも奇妙な女性が言った『魅了』という言葉を思い出し、アンバーは今図書室にいる。
しかし魅了についての本などお伽話程度の書物はあっても、専門的に書かれている本など一つもない。
現実とは世知辛いもの、とアンバーは知る一歩手前で足掻いていた。
まぁ当然と言えば当然だけど、魅了など失われた古の魔法の一種で、魔法のない現代には、知識としてあったと知っていれば十分。それ以上は学者の領域。しかもジエネッタの話では、禁忌とされる魔法だったようだ。そんな魔法の詳細な書物など、学園内の図書室に間違ったって置いてあるはずがない。
アンバーは読書スペースの一角で机に突っ伏して、この先どうしたらいいのか頭を抱えた。
「何を悩んでいるのかしら?」
軽やかにそれは楽しげな様子の声が、アンバーの頭の上から注がれる。
頭を上げて振り返るとアンバーが思った通りの人(?)がそこにいた。
世にも奇妙な女性の登場だ。
「学園に来てから探したんですよ。今まで何処にいたんですか?」
「ふふふ、早起きは苦手なの」
「早起きって……今放課後ですが」
この世にも奇妙な女性、神出鬼没である。
突然アンバーの目の前に現れるくせに、探すと見つからない。
どうでもいいときに現れて、必要なときには現れない。
何かを察知する触覚やら尻尾でもあるのではないかと、上から下まで舐め回すように眺めたが、それらしきものは見当たらなかった。
「おーっほほほっ。そんなにわたくしを必要としてらしたのかしら」
静寂な図書室に、巷で有名な恋愛小説にでてくる(という)悪役令嬢さながらいの高笑いを、それは機嫌良さげに響かせた。
でもアンバーにしか(多分)聞こえてない。
「いやもう家がなんだかヘンなことに」
「あらエルノーラの影響がもうでているのね」
「……やっぱりそうなんですかね?侍女も男の使用人もヘンで、挙句に父までヘンになりかけてるんですよ。」
明らかに使用人の態度がおかしいとアンバーが感じたのは今日の朝からだ。
母がいない伯爵家では女主人はアンバーになる。だから使用人とも良好な関係を心がけてきたし、事実良好な関係だった。
それが、アンバーに対してよそよそしい態度をとるようになり、正面からは流石にないが怯えられたり、軽蔑する視線を投げかけられる。以前はそんなこと一度もなかった。
変わらないのは執事のシャロームと侍女のミミルだけ。今のアンバーの救いになっている。
「あら、本当に影響がでているみたいね」
コロコロと笑う。
「笑っている場合ではないんですよ。こっちとしては切実なんですから。教えてくださいよ。魅了って何なんですか?」
「うふふ。わたくしもはっきりとは言えませんが、魅了の影響下に置かれるとその魅了をかけている……この場合はエルノーラですけど、その人の言葉しか聞かなくなりますわ」
「エルノーラの言葉しか聞かなくなる?」
「ええ、簡単に言うと、黒いものを白とエルノーラが言えば白になりますの。」
「なんですかそれ?」
「そのうちエルノーラが願えば、叶えなければいけないと思うようですわよ?それがどんな願いであっても」
「え?」
「それで破産しようとも、法を犯していたとしても」
世にも奇妙な女性はそれは愉快そうにアンバーを見て言った。
アンバーは絶句して顔面を蒼白にする。
それって怖すぎる。ある意味エルノーラ無双状態ではないか。
伯爵邸が無法地帯になるなんて……そんな家で生活するなんてどんなサバイバルなの。アンバー、無人島でも生きられる術を、学んでおくべきだったとちょっと後悔。
「他にもまだ魅了の効果はあるのかも知れませんが、わたくしが気付いたのはそれだけでしたわ。専門家ではありませんから」
ふふふっと、世にも奇妙な女性はそれは優雅に笑う。
いやこのエルノーラの力だけでお腹いっぱい。それ以上に対応できる容量はありません。アンバー、それはぎこちなく笑う。
「……もう頭も下げます!土下座もします!お願いですから、一度家に来てくださいよ。それでエルノーラとちゃっちゃと対決しちゃってくださいよ!」
できれば解決までお願いしたいアンバーだった。
「それは丁寧にお断りしましたわ」
「エルノーラとは同じ空気吸いたくありませんわ!……と一喝しましたよね。これのどこが丁寧なんですか?」
「おーっほほほ、わたくしが丁寧と言ったら丁寧なのですわ」
この世にも奇妙な女性、高笑いが似合いすぎる。
はぁっとアンバーは溜め息を吐く。すると、カツカツカツと静かな部屋に足音が響き、現れたのは眼鏡宰相の男――もといデイブ・ルイス侯爵令息だった。
「さっきから何度も高笑いをして、君には図書室では静かにするという常識がないのか!」
デイブはアンバーへ向き合い、くいっと眼鏡を上げた。目が怒っている。
だがアンバーは、デイブに怒られていることよりその言葉に興味をもった。
――あれ?高笑いって言ったよね?聞こえちゃったんだ。
それはアンバーからしたら喜ばしいが、デイブからしたらお気の毒かもしれない。
「あら、わたくしを認識できる人が他にもいるのね。世の中は広いわね。」
世にも奇妙な女性は、ぱさりっと扇を優雅に仰いだ。
世にも奇妙な女性に気付いたデイブは驚愕した表情を浮かべ、世にも奇妙な女性を指差した。腕を微かに震えさせて。
「すっ透けている!」
固まるデイブを、気の毒そうに冷めた目で見るアンバーだった。