奇妙な公爵令嬢
「それは進化ではなく退化かもね」
ジエネッタは、昨日のエルノーラの行動をそう判断した。
「欲しい欲しい、ずるいずるい……確かに進化ではなく、退化かもね。幼児への」
淑女らしくないと、世にも奇妙な女性(マナーに厳しい)に怒られそうだが、居ないのをいいことにアンバーは机に肘を乗せ頬杖をついた。
「元々言動が幼かったよね。会ったことないからアンバーから聞いた話での感想だけど」
「そうかもね、ワインとか足かけたとか子供の喧嘩の世界の話で、こんな大人になってしないよね。だけどあざとさとか狡猾さとかは身につけてるよ。そこだけはジエネッタさえ上回ると思う」
「うわー、思考が幼児で狡猾さがあるなんて、何されるか想像もできなくて怖いわ」
ジエネッタにそう言われ、そうか今の伯爵邸の状態は幼児が巨大な力を持ってしまって、好き勝手に人様の迷惑考えずに振る舞った結果、あんな混沌とした屋敷へと変貌を遂げたのかとアンバーは納得した。
「しかし、カオスだねドゥリー伯爵家」
「自慢にならないけどカオスだよ。魅了を侮っていた。使用人が怖いわ。身の危険を感じるレベルで」
そう、前から笑ってられなかったが更に笑えない状況に、ドゥリー伯爵邸はなっている。一部の使用人がエルノーラを崇拝しはじめたのだ。それはもう女神様を祀るように。毎朝祈りを捧げているのではと、疑えるほどの崇拝ぶりだ。その使用人達からの漏れでる殺気といったら……アンバー、殺気だけは勘弁してと、お願いして回りたいくらいだ。
使用人の一人ひとりが毎日微かに態度が変化していくさまは、徐々に孤独へと追い詰められて行くような心理にさせられる。
例えるなら明るいところから、どんどん狭く暗くなる道へ追いやられていく感覚だ。行き止まりに着いたらどうなるのだろうかと、物事に無頓着なアンバーですら、漠然とした不安を禁じ得なかった。
アンバーが普通に伯爵邸で生活できているのは、シャロームとミミルのお陰だ。二人が居なかったら、とっくに親戚の家に家出をしていたかもしれない。
「え、そんなレベルなの?」
「エルノーラお嬢様の為なら……という日がいつかくるかもと、危機感は持ってる。刺されはしなくても、遅効性の毒は盛らるんじゃないか?とか」
「おちおち家で食事もできないね」
「ミミルが毒見してくれてる」
いつもの食堂のテラスで、目の前に広がる庭園までは同じだけど、王太子とジョイの姿はない。
王太子は、ソコロの件で謹慎中だ。謹慎期間で考えると、王太子は卒業パーティーには出席できない計算になる。
どうなるのだろうか
ジョイはこのところ姿を見ない。学園に来てないようだ。もし来てたら必ず目に入るし噂も耳に入る。どちらもいい意味で、ではないけど。
「ここいいかしら」
鈴を転がしたような声にアンバーとジエネッタが顔を上げると、ソコロがいた。
ガタガタと、ジエネッタもアンバーも立ち上がろうとするけど、ソコロがいいからと制す。
「この間はありがとう。助かったわ」
ソコロの言葉は殴打事件のときのお礼なのだろう。
座ってお茶を飲む姿もソコロは美しい。
「まだ公式な発表はないけど、殿下とわたくしの婚約は、解消になりましたわ。それに側近の方達も皆様解消されました。側近達側の有責で」
ソコロは落ち着いている。
「あ……原因はあの事件でしょうか」
アンバーはソコロに探るような目を送る。
「そうとも言えますし、違うとも言えますわ。切っ掛けでは間違いなくありましたけど」
沈黙が落ちる。三人ともが黙り、ただそよ風が吹き抜けていく。
そんな沈黙を破ったのは、ソコロだった。
「わたくし、殿下を愛してましたの。だからジョイ嬢が許せなくて。あの日この庭園で聞きましたの。ジョイ嬢かわたくしか、どちらかを選んで欲しいと。殿下はジョイ嬢を選びましたわ。ですので解消しましたの」
「でもそれは、多分に魅了の力もあるかと」
ジエネッタは、ソコロがとれだけ王太子が好きだったかを知っていた。それだけに婚約を解消したのが、信じられなかった。
「魅了についてはアンバー様から説明を聞いたし、こちらも動く準備をしていましたが、いくら魅了の力を持っていても近づけなければ、魅了などの影響は受けませんわ。ですから殿下がジョイ嬢を近づけたのは興味があったからなのでしょう。つまり魅了うんぬん前に、殿下はジョイ嬢に好意があったということです」
「殿下を許せないのですね?」
アンバーの質問にソコロはアンバーの目をじっと見て、そして少し目を伏せた。
「ええ、アンバー、その通りよ。わたくしは殿下が許せないの。」
王太子とソコロはジョイが現れるまで、とても仲睦まじかった。次期国王と王妃が仲睦まじいという事実は、貴族も国民もとても喜んでいたのに。それがたった一人の存在で破壊されるとは。
ふふふっと、ソコロはアンバーがこの頃よく見る笑いをした。血は争えない。
「人の心は変わるもの。だから殿下がわたくしからジョイ嬢に、心変わりされるのは責めるべきではないけど、婚約者はそれでもわたくしでしたのよ。それを婚約者への必要最低限の義務も放棄し、剰え卒業パーティーで、婚約破棄を突きつける計画をしていたなんて、呆れて物も言えません」
婚約破棄をやっぱり計画してたのか。世にも奇妙な女性大正解。アンバーは心の中で拍手した。
「それに、わたくしは殿下を愛しておりましたから、学園内で人目も憚らずに、殿下がああもジョイ嬢と仲良くされますと……流石に心が折れましたわ」
ですよね。そう活動範囲の広くないアンバーですら、何度も逢瀬を見ているのだから。主に食堂のテラス前の庭園でだけど。
「それに、殿下には避けられていたので、あのとき庭園で話をしたのはとても久しぶりでしたの――わたくしの知っている殿下はいくら激昂されたからと言って、手を上げるような人ではありませんでした。暫く会わないうちに、変わられてしまったのかと、とてもショックでしたわ」
ソコロは切なそうな悲しそうな顔をして少し俯いた。
魅了の力の弊害だろうか。『願えば叶えなくてはいけないと思う。』あのとき庭園でジョイがソコロを殴ってと、直接的に言わなくても、『ソコロと話をしないで』『ソコロにやさしくしないで』などとジョイが王太子に日頃から言っていたら、もしかしたらソコロを見ただけで、王太子は苛立つようになるかもしれない……推測でしかないけど。アンバーは伯爵邸の使用人の状態を知っているだけに、その可能性を否定できずにいた。
ソコロ至上主義のジエネッタもソコロの表情を見て辛そうにしている。
それに気付いたのか、ソコロはふっと笑った。
「モルガン公爵家って王家と縁がないのよ。婚約破棄ってこれがモルガン家にとって初めてではないの。」
そこ!もう少し詳しく、とアンバーは叫びそうになるのを、なんとか押さえて笑顔を貼り付けた。




