知らない間に戦力外通告を受けてマラソン大会から追放されていたので、まったり療養ライフを送る事にした私。豚汁調理の人手が足りないから登校してくれ? ふーんだ。もう遅いもーん。
除夜の鐘も鳴ろうかという大晦日の深夜、お風呂入って寝ようかとオコタから出て立ち上がった私を凝視している兄。
「どうしたの? アニキ」
「アニキと呼ぶな。お兄ちゃんと呼べ」
「お兄ちゃん……様」
実の兄を何と呼ぼうが私の勝手だとは思うけど、呼び名を受け取る側の兄が「アニキ」という名称に違和感を覚えるというのなら、呼称変更も一考に値するのかな。てかアニメオタクだから「お兄ちゃん」と呼んでくれる可愛い妹という儚い幻想を抱いているだけだよね。確かに私は可愛らしい外見をしているけどもさ。
「風呂に入るのか?」
「う、うん」
「……、一緒に入るか?」
「はあああ?」
何を言い出すんだ、この兄は。
「おね、義姉さんと帰省出来なかったからといって、溜まった性欲の吐口を妹の身体に求めるなんて……」
兄は京都の大学に通っているのですが(此処は関東)、生意気にも学生結婚したのです。今回は感染症やらの問題で、兄夫婦はそれぞれの実家に別々に帰省していました。
「バッ、バカな事を言うな。久々にお前の身体を洗ってやろうかな……と」
「なんで? なんで、そんな気になっちゃったのかな? かな?」
「小さい頃は俺が風呂に入れてやってただろ」
「嫌がってたよね? めんどくさがってたよね? 私のお世話」
そういえば頭を洗ってもらった時、シャワーの蛇口を捻るのすら面倒だったのか、湯船から洗面器いっぱいのお湯を掬って私の頭にぶっ掛けてたっけ、おのれぇぇぇ。
古い恨みも蘇って来て、非常に険悪になる居間の空気なのです。
「嫌だ。絶対嫌だ。また頭からお湯ぶっ掛けられたら堪らない」
「いやいやいや。子供じゃないんだから」
「子供じゃない兄妹は一緒にお風呂には入らないよ」
「じゃあ俺は入らないよ。服も着てる。一方的にお前の身体を洗ってやるだけだ」
はい? 一方的に裸を見せろと? そっちの方がヤじゃない? いや、互いに裸も嫌だけどさ。警戒心バリバリで兄と距離をとっていたら、ちょうどそこに母がやって来ました。ちなみに父は離婚して同居していません。
「お母さーん。お兄ちゃんがー」
「あれあれ、アンタ、いい歳をして妹を虐めるもんじゃないよ」
「虐めてねえ。久しぶりに風呂に入れてやろうと言っているだけだ」
いや、それ虐めるよりも物凄いからね、お兄ちゃん。ところが、そう言われた母は黙って繁々と私の全身を眺めたのです。
「そうねえ。たまには良いかもねえ……」
はい? 何言っちゃってくれちゃっているのお母さん。
「いやいやいや。恥ずかしいんですけど。私、もう高校生なんですけど。JK なんですけど。幼稚園児のカオちゃんじゃないんですけど」
カオちゃんは小さい頃の私の渾名です。
「恥ずかしいんなら、背中だけ流してもらえば?」
「いや、俺は頭も洗いたい」
「じゃあ背中と頭」
ちょっ、ちょっと待って。私を置いてけぼりにして勝手に決めないで。
そして……。どうしてこうなったのか……。服を脱いで浴室に入り、しっかり前面をタオルで隠して湯椅子に座る私。
「お兄ちゃーん。準備出来たよ」
「おおっ、任せろ」
嬉々として浴室の戸を開けて兄が入って来ました。それから私の背中側に回って、ガッチリ頭を掴むのです。ちょっと怖い。
「まずは頭だな」
「洗面器でぶっ掛けないでね」
「しないって。信用ねえなあ」
信用とはそれに値する者にしか与えられないのですよ?
ブツブツ言いながら、兄はシャワーを手に取って……。あっ、待って……。
「みぎゃあああ、冷たいぃぃぃ。水だよ。お兄ちゃん、まだ水だよぉぉぉ」
「あっ、すまん……」
出始めは暫く水でしょう。多分、これ全世界共通だよね。世界中どこに行っても出始めは使わないよね。
「自分で使う時は気を付けるんだけどな。不思議だな」
不思議でも何でもない。それだけ私の事を心からどうでも良いと思っている証拠です。
「シャンプーつけるぞ」
と、兄が手に取ったのはコンディショナー。
「何だと? 俺はいつもこれで髪を洗っているぞ」
ああ……。それ、バレたら確実に義姉さんに怒られるヤツだ。
「妙に泡立たないと思っていたんだ。髪なんてシャンプーだけで充分だろ……」
禿げるよ、お兄ちゃん。そんな考え方だと間違いなく禿げるよ。
「これだな。シャンプーと書いてある。ほら、洗うぞ。目ぇ瞑ってろ」
両腕はピッチリ身体を隠すのに使っているので、全く抵抗出来ずに頭をシャカシャカと洗われます。今更ながら何だろうこの状態。と思っていたら、ふと兄の手が止まったのです。
「どうしたの? お兄ちゃん」
不気味だ。何か企んでない?
「お前……、髪すっかり短くなって……」
「いやもうズッと前でしょ。バッサリ切り落としたのは」
そもそも短いといっても肩先くらいまではまだあるし。
「背中くらいまで伸ばした自慢の髪だっただろ。他に何の取り柄もないお前の……」
ちょっと待ってね。自慢なら他にも色々あるよ。才気溢れる頭脳だとか、周りの人達が思わず見惚れる美貌だとか。
「切るの辛かっただろう? 他に何の取り柄もないお前が髪まで……」
馬鹿にしてる? 馬鹿にしているのかな?
「仕方ないよ。手入れ大変だし……。入院中はお風呂もままならないし……」
グズッ。私の言葉の途中で兄が鼻を啜りました。えっ?! もしかして泣いているの?
「おまえ……春に帰省した時は、私は死なないとか言ってたクセに……」
「うん、死んでないよね。生きてるよね、私」
「だってお前、一ヶ月半も入院して……」
「お母さんから詳細聞いてないの? 夏休みに集中的に治療しようっていう……」
「こ、高校生活の一番楽しい夏休みを、病院で過ごして……」
それは私も思う処はあったけど、今年の夏はコミケもなかったし、いや別にコミケだけが青春なんていう寂しい人生を送っている訳じゃないけれど……。
「……。ほら、濯ぐぞ」
涙の止まった兄が異常に優しい声で言いました。
「次がこの『こんでぃしょなー』だな」
「違う。次はトリートメント」
「はっ? 順番なんかどっちでもいいだろ。変わんないよ」
「変わる。変わるの。いいからトリートメントにして」
違わんだろ。などと呟きながら、一応言う通りにしてくれる兄……。
「そそそ、そんなにいきなり急激に洗い流さないで」
「なんだよ、つけたら濯ぐ。常識だろ」
違う。違うから。トリートメントってそういうモノじゃないから。
「もっとゆっくり、成分を浸透させるように揉み込ませて」
「面倒くさいな。そもそもシャンプーだけで充分だろ」
面倒くさいと思うならヒトの頭を洗いたいなんて言い出すなー。こっちだって何の因果で兄に裸晒さないといけないのか分かんないんだから。
文句を言いながらも、何とかコンディショナーまでしてくれました。
「よし、次は背中だな。タオル寄越せ」
「タタタ、タオルゥ?!」
ダメです。タオルは最低限身体を隠すのに使用中なのです。例え兄といえども、これ以上乙女の柔肌を晒すわけにはいきません。
「取って来てよ。別のタオル」
「面倒くさい。いいだろ、兄妹なんだから。お前の裸なんか飽きるほど見ているぞ」
「小さい頃の話でしょ。やめろぉぉぉ」
私の激しい抵抗にタオルを取りあぐねている兄。
「せっかくお兄様が妹孝行しているんだ。少しは協力しろ」
「頼んでないんですけど。むしろ裸見せて大サービスなんですけど」
「だから、妹の裸なんて、これっぽっちも有り難くないんだよ」
JK様の裸が有り難くないだとう。いや、問題はソコじゃないんですが。
「よし分かった。お前がそこまで嫌がるなら無理強いはすまい」
おや? あきらめたかな? 立ち上がってタオルを取りに……行かない?
「みぎゃあああ。くすぐったい」
「さっきから思っていたけど『みぎゃあああ』って、お前『できん○ーイ』みたいだな」
「そんな古い漫画知らない。ていうか何してるの?」
「お前がタオルを渡してくれないから、掌に石鹸をなすくり付けて泡だてて……」
ま、まさか……。
「素手で洗っている」
「みみみ、みぎゃあああー!」
「こうやって素手で洗って上げるのが一番素肌に優しい洗い方だって、サ○さんも言っていたぞ」
誰? サ○さんって誰?
「止め止め止め。今すぐ止めて」
という抗議には耳を貸さず、黙々と私の背中を撫でくり回す兄。そのうちグズッと鼻を啜る音が……。えっ?! またですか? また泣いてるの?
「おま、お前……。こんなに痩せ細って……」
実は体調を悪くして、十日前まで入院で点滴の日々を送っていたのです。それはともかく指で背骨の脇をなぞらないで。くす、くすぐったいぃぃぃ。
「ク、クリスマスも病院なんて……。世のJKは彼氏とロマンチックに過ごしているというのに……。うっうっ。」
「いや、私の彼氏の高林三生さんは仕事で忙しいから。どうせクリスマスはお家でママと過ごしていたから」
「グッ、グスッ。TVの俳優を彼氏と思い込んでいる辺りも痛くて可哀想で……」
うるさいよ。
「や、痩せてる方が良いじゃない」
「うちの嫁は決して太っている方じゃない。むしろ世間的には痩せている方だ。それでも今のお前よりはよっぽど良い肉付きをしているぞ。若い娘がこんなガリガリで……。ううっ」
「そ、そんなにガリガリ?」
ちょっと不安になる私。
「お前、オタクで腐女子だろ? 普通腐女子といったらさ、もっとこう恰幅が良くて、横綱級の見てくれじゃないか?」
腐女子の皆さんに聞かれたら怒られるぞ。
「そもそも私はオタクだけど腐女子ではありません。その二つは分けて下さい。男の子同士でイチャイチャなんて興味ないもん」
「えっ、ないの?」
「私はねえ、女の子同士が好き。特に小学生女児が互いに甘い感情を覚えているお話なんてもう……」
大好物です。
「ふ、ふーん。我が妹ながら、かなり特殊な性癖をお持ちで……」
「性癖とか言わないで」
「…………」
その後お兄ちゃんは無言で私の背中を洗おうとして……。
「だから手は止めて、掌で洗うのは」
「文句の多い奴だな。だったらタオルを寄越せ」
「やだ」
「なんて我儘なんだ。お兄ちゃんはお前をそんな子に育てた覚えはないよ」
私も貴方に育てられた覚えはないもん。というか、正に今、私は貴方の我儘をきいている訳なのですが。
「掌もイヤ。タオルを渡すのもイヤ……か。ならば」
「何? 何? 何するの? 怖いんですけど」
「直接石鹸だ」
「いや〜、止めて。痛いー!」
直接石鹸とは、タオルを泡立たせるのさえ面倒くさがった幼少期の兄が編み出した、石鹸で直接私の身体を擦って洗うという極悪非道のテクニックなのです。
「痛いー。やーめーてー」
「おらおらー」
「ひひひ。くすぐったいー」
大笑いしているうちに子供の頃の事なんかを思い出して……。ちょっと楽しい時間を過ごしてしまいました。なんか口惜しい。
さっぱりとして、お風呂を出ると、ちょうど除夜の鐘が鳴り始めていました。もう今年も終わりだな……。
「次、アニキ入りなよ」
「お兄ちゃんと呼べ」
そう言いつつ浴室に行きかけて、兄は振り返ったのです。
「今日は一緒に寝るか?」
「はいいい? なんで? どうしてそんな気になっちゃったのかな? かな?」
ていうか、何故今日は必要以上にベタベタしてくるの?
「だってお前。今度俺が帰省する時まで、お前が無事でいるか心配で心配で」
「無事だから。そんな簡単に死なないから」
「失敗した。なんで俺は京都の大学なんて行ったんだろう。東京の大学にしておけば良かった。東○大学とか早○とか○應とか」
望めば入れたみたいな言い方だな。
「京都の大学に行かなかったら、義姉さんに会えなかったよ?」
「うっ……」
悩んでる。悩んでる。妹と嫁を天秤に掛けてるのね。そんな男だよ、貴方は。
「いや、俺と嫁は運命の糸で結ばれているから、東京の大学に行っても出会えた筈だ」
「はいはいそうですか。じゃあお休み」
「待て待て待て。待てって。別に一緒の布団で寝ようというんじゃないんだ。お前の部屋に俺の布団を持って行くから」
「ええっー(不満)」
結局、兄と枕を並べて年を越したのです。なんでだ?
あれだけ心配だとか、一緒に居てやりたいだとかぬかしていた兄は、年明け一番に義姉さんから連絡をもらうと、いそいそと京都に帰って行きました。分かってたよ。やっぱりアンタはそういう男だよ。
お母さんが年始参りでお出かけしているので、今日は一人でお留守番。嫌でも昼食は自分で用意しなければならないのです。見渡すと台所にあるのは美味しいところだけをつままれたおせちの山。大量に余った大根や人参のお雑煮の具。
「はふぅ」
可愛い私は可愛らしく溜息を吐いて、大根を切り皮を剥き始めました。と、そこにけたたましく鳴るチャイムの音。犯人は分かっています。午後から遊びに来ると言っていたお友達の愛ちゃんです。
「チャイムは一回鳴らせば充分でしょ」
「いやアンタぼけてっから、気付かないかもと思って……」
嗚呼、なんてナチュラルに失礼な奴なのでしょう。
「あれ? オバさん居ないの?」
「ママはお出掛けだよ」
「えっー、ここん家でお昼よばれようと思って来たのに。オバさんのお雑煮美味しいもんね」
「今、正にお雑煮作ろうとしていたの。食う? 食らう?」
私の提案に愛ちゃんは疑わしげに顔を顰めました。
「味付け市販品任せの香織にお雑煮とか作れるの?」
「あのね。流石の私も、出し汁に適量のお酒やお醤油を加えるくらいは出来るよ」
分量はお母さんから教えてもらっています。というか、父と同居していた時は、お正月の来客は非常に多かったので、母は小学生の私にお雑煮くらいは作れるよう仕込んでいたのです。私が忙しくおせちを出したり、お雑煮の用意をしている間、兄はテレビで漫才を見て笑い転げ、寝転がって漫画を読み、お年玉は私より多くて……。なんかフツフツと恨みが湧き上がって来ました。
「どうした? 香織。顔が怖くなってるよ」
「いや、ちょっと昔の事を思い出して……。じゃあ愛ちゃんはお雑煮食べないのね?」
「食べないとは言ってないでしょ。お昼食べてないんだもん。例え泥水でも啜りますよ」
「そんなに嫌なら無理して食べなくていいのよ。昆布と田作りと黒豆しか残ってないおせちもあるからね?」
「私はその三品から逃げ出して来たのよ。いいから、お雑煮を出しなさい。食べて上げるから」
なんだその大上段な態度は。少しイラッと来ましたが、大人な私は見逃して上げました。で、再びまな板に向かって包丁を持ち上げると……。
「ちょっと、ちょっと、香織。そんなママゴトの包丁じゃ野菜は切れないよ。刃がプラスチックじゃん。プラスチック使ってると、小○大臣に怒られるよ」
「いやこれプラスチックじゃないから。セラミックだから」
「せらみ?」
普段料理をしない人はセラミックも知らないのね……。フッと私が哀れみの視線を向けると、愛ちゃんは頬を膨らましました。
「何? その生意気な目付きは。要するにプラスチックの仲間でしょ。ックじゃん」
全然違う。セラミックは陶器。プラスチックは石油精製品。っていうか「ック」って何?
「言付けてやる。小○大臣に『香織がプラスチック使っている』って言付けちゃうんだからね」
直訴でもするの? そもそも「香織がプラスチック使っている」とか言われても、小○大臣的には「誰それ?」ってなるだろうし……。
「じゃあ愛ちゃん、お雑煮いらないのね?」
「そんな事は言ってないでしょ? そういえば小○大臣も『同じックでも、プラスチはダメ。セラミはオッケー』って言ってたし」
言ったのね? 本当に小○大臣が「ック」とか「プラスチ」とか「セラミ」とか言ったんですね? 無茶苦茶腑に落ちなかったんですが、とりあえずお雑煮を作って、二人してリビングのテーブルに着きました。
「でも愛ちゃんバカのくせに、よく小○大臣とか知ってたね」
「バカにバカとか言われたくないわ」
「…………。で、何しに来たの? お雑煮食いに来たの?」
少し刺々しく訊ねる私。でも、愛ちゃんは全く気にする事なく、持って来た鞄からゴソゴソと何やら本を取り出しました。
「またエッチなコミック?」
「まあまあ、お勧めなんだってコレ」
ドレドレとページをめくってみると、いきなり男性同士の濃厚なシーンが……。
「いいい、いやらしいー。いやらしいわ、これ。愛ちゃんがいやらしか本ば見とうと」
「どうして福岡県北九州弁になるのよ」
その同人誌は、マッチョで漢らしい先輩に片想いしていたキュート系の後輩男子が、ある日二人っ切りになったのをいい事に、思いの丈を先輩の肉体にぶつけまくってしまうという……。
「良いでしょ? 良いでしょう、この本。マッチョな先輩をナヨナヨした後輩が下克上の逆○○○(本当にヤバイ事を愛ちゃんが口走りましたので、全文字伏せさせて頂きました)するっていう、私の妄想にドンピシャの物語をとうとう見付けたのよ」
今にも「エウレーカ」と叫び出しそうな程に瞳をキラキラとさせている愛ちゃんです。女子がエッチなマンガでここまで喜びを露わにしても良いものなのでしょうか? 読んで読んでという圧に押されて仕方なくページをめくる私。マッチョの先輩は可哀想に後ろ手にネクタイで縛られてしまいました。
「どうしてこういうエッチなシーンって、ネクタイで両手を縛るのかな?」
「何言ってるの? 拘束ネクタイはお約束でしょ。フ○ーリングスみたいなものよ」
拘束ネクタイって言うんだ。そして愛ちゃん、高校生のクセに古い映画から例えを持って来るのね。それにその例えだと拘束ネクタイは古臭くて思考停止しているものとして否定されちゃうんだけど……。
「女の子とのエッチなシーンはないんだね」
「そんなもの要らないでしょー!」(食い気味)
「…………。どうしてそんなに激昂してるの?」
「じゃあ、じゃあ、逆に聞くけど、香織は男と女の絡みなんて見たいの?」
「そんな改まって訊かれると……別に見たくないかな……。(男同士も別に見たくないけど)」
私が答えると愛ちゃんは勝ち誇ってフンスと鼻を鳴らしました。
「そうでしょう? そうでしょうとも」
「ところでコレ十八禁じゃないの? 買って良いの?」
「だって売ってくれるもん」
確認して、本屋さん。高校生がエッチな本買ってますよー。
「でもアレだね。愛ちゃん彼氏とか居ないから、こういう本に興味持っちゃうんだね。うふふふ、お可哀想」
「何、そのドえらく見下した意見は。香織だって彼氏とか居ないでしょ」
「居るもん」
「居ないでしょ。嘘付かない」
「居るもん。三生さんが」
「ああっ……」
何? その露骨にテンション下がった感じ。
「三生さんね、この間バラエティーに出てたのよ」
「あれ? この話題続けるつもりなの? 空気読めないの?」
三生さん、ホントに可愛かったんです。タイミングが合わなくて得点を逃したり、エアホッケーでシュート決めてドヤ顔したり……。
「年末年始は三生さんフェスティバルだったの。国営放送でドラマもやったし」
「ああ……。あのバトル漫画が原作の」
「『だ○断○』良いよね。良いよね、あの決め台詞。三生さんかっこいいー!」
「なんか原作とイメージ違ったけど……」
「はい?!」
何言ってるの愛ちゃんってば。三生さんはどんな役をやっても的確にこなすのよ。イメージが違うというのなら、それは原作の方が間違っているのです。
「とにかく、国営放送にも良く出演するし、バラエティもこなすし、今年も三生さんは安泰ね」
「CM一本降ろされてなかった?」
「えっ?」
そそそ、そんなバカな。どこの企業ですか? そんな神をも怖れぬ蛮行に及んだ企業は。株価が急転直下して大変な事態になってやしませんか?
「そ、それは『降ろされた』んじゃなくて『降りた』んだよ。仕事が忙し過ぎたんだね」
「まあ、そういう事にしておくか」
何、その奥歯にモノの挟まったような口の利き方は。し、CMの一本や二本で三生さんの築き上げて来たキャリアの牙城は揺るがないもん。
「はあ〜、香織は幸せだね。年がら年中、三生さん三生さん言ってれば良いんだから。私なんて三学期早々のマラソン大会の事を考えたら、嫌過ぎて身が細るわ」
と言いつつお雑煮を食べる愛ちゃん。年末年始食べ過ぎて少しふっくらしたんじゃない? いや、そんな事よりも……。
「マラソン大会?」
「そうだよ。年明け一番にやるって。しかも今年は感染症に配慮して外回りはしないって。一学年二組に分けて、校庭をひたすらグルグル回るんだって。そこまでしてやらなくても良いよね」
「えっ……聞いてない……」
「…………。先生が香織は出れないだろうから、特に知らせなくても良いだろう。って言ってたよ?」
まあ確かに走れはしませんけど。年明けから登校する旨は伝えていたのに。何かモニャりまする。
「何? 香織三学期から学校行く気だった?」
学校に行く方が不思議みたいな言い方されても……。
「あっ、ほら。じゃあさ、豚汁作りに参加させてもらえばいいじゃん。学食のオバさんと先生達数人で作るらしいから。きっと人手欲しいと思っているよ」
そんな集団に混じっても気まずいだけだと思います。
「いいもん。いいもん。もう、マラソン大会終わるまでお休みするもん。行かないもーん。三生さんの動画をひたすら繰り返し繰り返し見てるもん」
「ま、まあまあ香織。来年があるじゃん。来年頑張ろう」
来年?
「来年なんて、私には無いの!」
「えっ?! 嘘でしょ? 香織あんた……」
「なーんちゃって。嘘だよーん」
あれ? 嘘だよ、愛ちゃん。何固まってるの。っていうか、薄っすら涙して……。
「バカー! 冗談でもそんな事言うな。それでなくても、アンタいつも死んでんのか生きてんのか分かんない感じなのに……」
いや、何かえらい言われようですけど。あれあれ、愛ちゃん泣き出しちゃった?
「ごめんね、愛ちゃん」
「うるさい。アンタって人は……お雑煮お代わり!」
怒るとお腹空くタイプですか。私は黙って愛ちゃんのお椀にお雑煮をよそって上げて……。泣きながらガフガフとお雑煮を食らう愛ちゃんを見ながら、申し訳ないなと思うのと同時に、皆んなから心配されている自分は幸せ者なのだな、と和む冬の一日なのでした。