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9 菓子工房の犯人捜し①

 闇夜に丸い月が浮いている。


「本当に来るんですか?」


 アリシアは小声で聞いた。


「うーん。来る……と思うけど」


 菓子職人たちから返ってくる答えは、いまいち自信がなさそうだ。そんな中でただ一人ヒューイだけが、


「来るよ」


 と自信たっぷりに笑っている。


 ここは菓子工房の中。アリシアとヒューイが隠れているのは、部屋の隅に置かれた貯蔵庫の陰である。

 ジェスや他の修道士たちは試作品の菓子が入った棚の裏と、作業台の下にそれぞれ身を潜めている。

 夜の闇に溶けるようにと彼らは黒のローブに着替えていた。


 今日の夕食時にジェスが、新たな試作品ができたとハービーにさりげなく聞かせていた。それで再びおびき出す作戦らしい。

 アリシアは疑問に思い、聞いた。


「でもハービーさんは前に盗み食いをしてしまって反省しているはずですよね。また来ますか?」


 途端に彼らは目を剥いた。


「アリシア、甘い! あいつが反省なんてしているわけがない!」

「僕もしていないと思うよー。むしろまた食べられるなんてラッキーと思ってるはずー」

「目の前にあるものは全て食いつくすもんな」


 ハービーはそれほど食い意地が張っているのか。


「それに俺たちが疑ってるのはヒューイ司祭だと、ハービーは思っているはずだから」


 そうか。アリシアはちらりと隣を見上げた。

 黒のローブが闇に溶け、明るい茶髪が月の光に映し出されてほんのり光っている。


 俺が犯人だと思わせよう、と言いだしたのはヒューイ自身だ。

 ハービーにそう思わせられたら、ばれていないと調子にのった彼は必ずまたここへ来る、と。だから夕食時にジェスは「菓子工房の者たちは、前の盗み食いの犯人はヒューイだと確信している」とも言ったそうだ。


 こうしてアリシアたちは、ハービーを現行犯逮捕するために工房内で隠れて見張っているのである。


 それにしても、すごいことになったわ。

 菓子工房の手伝いにきたのに、まさか盗み食いをした犯人の捕り物に参加しようとは。


 そこで気がついた。隣に立つヒューイとの間に微妙な距離がある。狭い場所にくっつくようにして隠れているにも関わらず、だ。明らかに自然にできる距離ではない。

 ヒューイがアリシアからなるべく離れようと無理な体勢をとっているのだ、とわかった。


「あの、その体勢で大丈夫ですか?」

「ん? 大丈夫」

「もっとこっちに寄ってもらっても――」

「大丈夫だから」


 笑顔で遮ると、ヒューイは素早く修道士たちに向かって口を開いた。


「もうすぐ姿を見せるだろうから、油断するんじゃないぞ」

「はい!」


 棚の後ろから小声で聞く者がいる。


「この棚、俺たちが隠れるためにだいぶ前に出しましたけど、前に来た時と位置が違うとハービーに気づかれませんか?」

「大丈夫だろ。もう暗いし、ハービーは見つかったら困るから、ろくな明かりは持ってこないはずだ。それに薄暗い室内では遠近感は狂うものだよ」


 確かにそうかもしれない。アリシアは小さく頷いた、

 今夜は満月だ。空気が冷たく乾いているせいか、冬の夜空は星もくっきりと見える。


「なあ、ハービーの奴、遅くないか?」

「本当にくるのかな?」


 なかなか現れない犯人に職人たちが焦り始める。アリシアも寒いくらいなのに、緊張のせいか手のひらに汗をかいてきた。


「こないんじゃないか?」

「ヒューイ司祭、どうします?」


 困った顔の彼らに、ヒューイは落ち着いた笑みを浮かべた。


「大丈夫だって。必ず来るよ」


 その言葉どおり、ザクザクと草と砂利を踏みしめるかすかな音が聞こえた。足音は注意深くこちらへ近づいてくる。

 工房のドアが小さくきしみながら、ゆっくりと開く。入口にたたずむシルエットは丸い。


「ハービーだ」


 ヒューイがささやいた。工房内の空気が一変する。

 アリシアは体の前で両手をギュッと握りしめた。手がかすかに震えている。子供の頃から気が小さいアリシアは、こういう緊張感みなぎる状況は苦手だ。


 ヒューイが口元に手を当てて、皆に黙っていろと合図する。

 事前に言っていた。「試作品の菓子に口をつけるまでじっと待て」と。


 ハービーが菓子工房へ足を踏み入れた。

 一直線に奥の棚を目指して歩いてくる。


 月明かりに照らされた姿は、シルエットだけよりずっと丸い。ゆったりとしたローブのはずなのに腹回りが苦しそうだ。

 ハービーは棚の前までくると、初めて辺りを確認し始めた。


 目が合った気がして、アリシアは急いで体を後ろにそらせた。狭いのでこれが精一杯である。

 見つかるわけにはいかない。この作戦を自分のせいで駄目にさせるわけにはいかない。


 心臓がバクバクいっている。唾を飲み込み恐る恐る視線を向けると、ハービーはまだこちらを見ていた。冷や汗が背中を流れ落ちていく。

 お願い。見つからないで。見つからないで……!


 極限まで肩を、首をすくめた。一心に願っていたら、ふと自分の髪がヒューイの体に触れているのに気がついた。すぐ隣にいるし、見つからないようにと身を縮めていたからだろう。

 悪いと思って急いで顔を上げると、複雑そうな顔をしているヒューイと目が合った。


 瞬間、ヒューイが目を見張った。そのまま視線をそらさない。


 自分はさぞやひどい顔をしているのだろう、とアリシアは思った。見つかるのが恐くて、紅潮した頬はこわばり涙目になっている。

 情けなくなって早く離れようとするも、なにぶん狭くてちっとも離れられない。


 一人で焦っていると、ヒューイはハッと我に返ったように顔をそらした。

 そして見入ってしまった自分を恥じるように、ガシガシと頭を掻いた。


 修道士たちが息を詰めて見守る中、ハービーは棚の戸をそっと開けて手を入れた。慣れた手つきで皿を取り出す。美味しそうなタルトを見て、ニヘッと嬉しそうに笑ったのがわかった。


 全員が注目する中、ハービーがタルトを口へ持っていく。カスタードクリームがたっぷり入ったタルトだ。


 ごめんなさい、ハービーさん……!

 アリシアは心の中で深く謝った。


 これから目の前で起きるのは惨状であろう。卵のたっぷり入ったカスタードクリームには、黒胡椒くろこしょうもたっぷり入っているからだ。


「バニラビーンズに見えるだろ」とヒューイは楽しそうに笑っていたけれど、なにぶん胡椒の量が多過ぎてまだらになっていたほどだ。

「大丈夫。暗いからわからないよ」とも言っていたが。


 黒胡椒にむせる者を現行犯逮捕しようという作戦だったのだ。まあ予想は本当に当たり、犯人はハービーだったわけだが。正直ここで胡椒が必要なのかはわからない。


「ハービーにはこのくらいでいいんだよ!」

「そうだよ。盗み食いしたんだぜ!」


 と、職人たちもとても乗り気だったことを思い出した。


 ハービーがタルトを口に入れる。繰り広げられる惨状を想像し、アリシアはギュっと目を閉じた。


 ……あれ?

 しかしいくら経っても何も聞こえてこない。

 恐る恐る目を開けると、呆気に取られたヒューイの顔がある。そして美味しそうにタルトを頬張るハービーの横顔も。


 えーっと、もしかして普通のタルトと置き間違えたのかしら?

 そう思うほどハービーは幸せそうに咀嚼している。


 いち早く衝撃から立ち直ったヒューイが、呆れた顔で合図した。その瞬間、ハッと我に返った修道士たちが飛び出した。


「ハービー、お前な!」

「捕まえたぞ!」


 一斉に飛びつく。驚いたのはハービーだ。


「ええっ! お前たち、なんでここにいるんだ!」

「なんで、じゃねーよ。盗み食いしやがって!」

「しかも二度も! あれ、俺の自信作だったんだぞ!」

「反省しろ! というかハービー、お前の腹はどうなってるんだよ……?」


 彼らの目には戸惑いつつも怒りがこもっている。

 ハービーの目が泳ぎ、うろたえながらもこう言った。


「待て! 確かに今のは俺が食った。ちょっと辛かったけど美味いタルトだった。悪かったよ。けど前の菓子は俺が食ったんじゃないぞ!」

「はあ? 往生際が悪いんだよ!」

「お前以外の誰がこんなことするんだ。さっさと白状しろ!」


 けれどハービーは、


「お、俺じゃないもーん」


 と、あくまでとぼけている。こんなことをする者が他にいるとは思えないが、確かに前の証拠はない。

 彼らは悔しそうな顔でヒューイを振り返った。


「どうしましょう?」


 ヒューイが真剣な顔つきでハービーに向き合った。


「なあ、ハービー。正直に言った方が自分のためだぞ」

「うっ……」

「お前も聖職者だろう。天に向かって恥ずかしい行いはするな。神は全てお見通しだ。お前が正直に自分の罪を口にして心から反省すれば、きっとお許しになられる」


 司祭様っぽいわ、とアリシアは感動した。


 ハービーがうつむく。逡巡している様子が見て取れる。

 もう一息だ。このまま優しく見守れば、きっとハービーは正直に自分の恥ずかしき行いを吐露する。

 そう思ったのに――。


「それにな、ハービー。さっきお前が食ったタルトには薬が入ってるから。舌の上でちょっとピリッとしただろう?」


 ヒューイが笑って言った。



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― 新着の感想 ―
[一言] 胡椒がいいアクセントになってたりして(笑)
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