4 相談役(毛皮商人の奥様)
「悩み、ですか?」
「そう。相談役だね。広い意味で告解とも言う。洗礼を受けた者が、自分の犯した罪を司祭に話して神の許しを得るんだ」
懺悔のことだわ。
アリシアのいた町の教会でも行われていたから知っている。
でも、ちょっと待って。そんな大それたこと私にできるはずがない。
畏れ多くて青ざめるアリシアに、ヒューイが優しい笑みを向けた。
「告解は司祭か司教様にしか許されていないから心配しないで。ただ信者の中には、悩みだったりちょっと話を聞いてほしいだけという人もいる。そして女性信者の中には、俺たち男ではなくて同性に話を聞いてもらいたい人も多いんだ」
なるほど。それで私が彼女たちの話を聞くんだ。
「黙って話を聞いて、時折相槌を打ってもらえれば充分だよ。女性は答えを求めているのではなく、共感してもらいたい人が多いからね。アリシアなら聞き上手そうだし。ただ聞いたことを絶対に口外しないでほしい」
「はい」
強く頷いた。
真剣な顔のアリシアに、ヒューイがフッと笑う。
「まあでも、そういった悩み相談は毎日はこないから。後は修道士たちの手伝いを頼むよ。よろしくね」
なんだ、と拍子抜けし、同時に、よかった、と安心もした。
だがそこへラウルから何か告げられたヒューイが、笑いながら頭を掻いた。
「でも今日は、悩みを聞いてもらいたい女性信者がすでにきているみたいだ。悪いけど頼むね」
えええっ!?
「今からですか!?」
「うん。そうみたい」
あっさり頷かれても困る。
そんな、いきなりだなんて……。
躊躇するも、ヒューイは意外に誘導するのが上手かった。
気がつくと、アリシアたちは側廊を進んだ先にある告解室の前にいた。
部屋の真ん中が壁で二つに仕切られていて、その壁には格子がついた小さな窓がついている。
その小窓を挟んで片方に司祭が座る。そしてもう片方に信者が腰を下ろしたり、床にひざまずいたりして罪の告白を行うのだ。
「そこに座って彼女の話を聞いてあげてね」
「頑張ってください、アリシアさん」
「あの、でも私にできるかどうか……!」
切羽詰まった顔のアリシアに、ヒューイが笑みを向ける。
「心配しなくても俺たちはこの部屋のすぐ外に待機しているから。ドアは開けておくから、何かあったらすぐ駆けつけるよ」
ラウルも言う。
「信者側からはこのドアは見えません。僕たちがいることはばれないので安心してください」
……そうなんだ。
二人が部屋を出て行き、残されたアリシアは旅行鞄を部屋の隅に置いた。不思議とさっきまでの不安が消えている。
微笑んで、小窓の前に設置された椅子に座った。
不思議だな。
故郷の町を出た時は、大聖堂には決して近づかないでおこうと決めていたのに。
ヒューイはこんな自分を雇ってくれた。
だから、せめて言われたことを精一杯やろう。
まっすぐ顔を上げた途端、信者側の扉が勢いよく開く音がした。
続いて、部屋の中を転げるように走ってくる足音。一息つく間もなく、小窓を挟んだ向こう側に相手がドカッと腰を下ろした。
小窓についた格子が細かくて、相手の顔ははっきりとは見えない。それでも上品な顔立ちの女性であることはわかった。けれど――。
悩みごとのある人はもっと静かなんだと思ってた……。
勝手なイメージかもしれないけれど。
それでも大きく深呼吸して、先ほどヒューイから聞いた口上を口にする。
「神の――」
「あのね!」
慈しみに信頼して、あなたのお話をお聞かせください――と続くはずだったのに、大きな声で遮られてしまった。
「私、話を聞いてもらいにきたのよ! いいかしら」
「もちろ――」
「いいわよね。よかったわ!」
……押しが強いわ。
圧倒されるばかりである。
「私には毛皮商人の夫がいるんだけどね、この夫がひどいのよ! 普段は買い付けや取引なんかで家にはほとんどいないの。それは楽でいいんだけどね。昨日、数カ月ぶりに家に帰ってきたのよ。そうしたら開口一番、私になんて言い放ったと思う?」
「えっと、な、なんでしょう?」
「まじまじと私を見て、『お前、太ったな』と言ったのよ――!」
なんてことだ。
「それだけじゃないの! しかも『トドの親分のようだな。お前が一匹いたら毛皮がたくさん取れる。ふむ。お前、人間でよかったなあ。トドだったら真っ先に漁師に狙われているぞ。まあ、いい利益が出るがな』なんて言うのよ!」
「それは……ひどいですね」
「そうでしょう! しかも笑いながらじゃなくて、真面目な顔で言うのよ。本当、腹が立つったら――!」
アリシアは大きく頷いた。元来が素直な性格なのである。
「ひどいです。大事な奥様に向かってそんな言い方はないですね」
「そうでしょう! そうなのよ!」
意を得たとばかりに声が大きくなった。
「そりゃあ最近、ちょっとお腹がふくよかになってきたなーとは思っていたのよ。でも寒いと脂肪を溜めこむものだと、前に大司祭様もおっしゃっていたわ。だから私が食べ過ぎたのではなく、これは季節のせいなのよ? それなのにあの馬鹿夫ったら、なんたることを!」
床を足で鳴らす音が聞こえた。興奮状態のようである。
アリシアは小窓越しに、うんうんと頷いた。
「わかります。寒いと温かい食べ物がおいしいですよね。つい食べ過ぎちゃいます」
「そうなのよお! あの体型を覆い隠してしまうコートもいけないのよ。やっぱり私が丸くなったのは、冬のせいであって私のせいじゃないのよ! わかってくれる!?」
「はい」
大きく頷くと、小窓の向こうの目が大きく見開いたのがわかった。
尖っていた声に嬉しさが混じって聞こえる。
「それでね! 昨日の夜気づいたんだけどね、主人の外套のボタンが取れていたのよ。普段は使用人に頼むんだけど、まあ久しぶりに帰ってきたし、私も暇だったから、私がボタンをつけてあげると言ったのよ。そうしたら! あの馬鹿夫はなんて言ったと思う!?」
「なんでしょう?」
「『お前は下手だから嫌だ』なんて言うのよー! 『お前がつけると、すぐにまた取れそうになる。使用人のジャネットの方が上手いから頼んでくれ』と外套を放り投げてきたの!」
「ひどいですね!」
「そうなのよ! ひどいでしょう!」
「はい、本当に!」
すっかり聞き入っているアリシアは、共感をこめて頷いた。
すると「そうよね!」と一際大きな声と、小窓の横の壁に何かがぶつかる音。そして「痛いっ!」という悲鳴が響いた。
「大丈夫ですか!?」
思わず立ち上がる。
すごく大きな音だったけど……。
心配するアリシアの耳に、うめき声とともに彼女の声が聞こえた。
「大丈夫よ。わかってもらえたことが嬉しくて、興奮して身を乗り出しちゃっただけだから……」
では勢いあまって壁に激突したのだ。頭か、それとも顔か。
「本当に大丈夫よ。心配しないで。というか私、今とっても嬉しいのよ!」
続いて小窓越しに流れてきた声音は、最初よりずっとリラックスして聞こえた。
「確かにジャネットはお裁縫が上手なの。刺繍だってとっても綺麗に仕上げてくれるのよ。私なんかとは天と地ほども差があるわね。でもそれにしたって、言い方ってものがあると思うのよ!」
「ええ」
「それにね! メイドのリリーが作る食事もとてもおいしいのよ。うちで雇っておくにはもったいないくらい。つい食べ過ぎちゃうのよね。……まあ太ったのはそのせいもあるかもしれないわ。もちろんそれは原因の一部分で、大方は冬のせいなんだけどね!」
「そうですね」
アリシアは微笑んだ。
「そうなのよ! それでね、馬鹿夫の外套なんだけど、あんまり腹が立ったもんだから、私その外套を細かく切り刻んで、飼っている豚の餌にしようと思ったのよ」
「豚は……服を食べるんでしょうか?」
疑問である。
アリシアがしごく真剣に問うと、向こうからも真剣な口調が返ってきた。
「私にもわからないわ。でも直前でやめたの。豚がお腹を壊したら大変だから」
「優しいですね」
「そうよ。私、優しいのよ」
「はい。わかりますよ」
心を込めて頷くと女性が一瞬黙った。
予感がしてそっと小窓を覗くと、頬が赤くなっているのが見てとれた。照れているのだとわかり、アリシアは思わず微笑んだ。
最初は夫に対する文句を言いにきただけだと思っていたけれど違う。
彼女が本当に言いたいことは――。
「外套のボタンはどうするんですか? ジャネットさんに頼むんですか?」
「いいえ! 悔しいから私がつけてやることにしたわ。それも二度と取れないように、ぎっちぎちに縫い付けてやることにしたの。ボタンが離れたくても絶対に離れないくらいにね。私のしわざだとわかって驚くがいいわ、あの馬鹿夫め!」
高らかな笑い声が響く。
アリシアはもう一度微笑んだ。
「ジャネットさんにコツを教えてもらうといいかもしれませんね」
ボタン付けのコツを。
他人に任せるのではなく、自分でしてあげたいと思うのなら。
「……そうね。そうするわ」
一呼吸置いて、穏やかな声が返ってきた。
「聞いてくれてありがとう」
「いえ。また、いつでもどうぞ」
アリシアは心を込めて言った。
「ええ、そうさせてもらうわ。――あなた、最近ここに入った人?」
「はい」
「そう。あなた、いいわね。聞き上手というかちゃんと話を聞いてくれる。前の人は、こう言ってはなんだけど最悪だったから」
そうか。アリシアの前にも相談役の女性がいたはずだ。
その人はやめたのかしら?
「じゃあ行くわ。本当にありがとう。あなたのおかげで、今日はいい気持ちで眠れそう」
「あ、神は――」
神はあなたの罪をお赦しになりました。安心してお帰り下さい――それが告解の最後に言う文句なのだと、事前に聞いていた。
でもアリシアは聖職者ですらない。そんな言葉は重すぎる。だから、
「気をつけてお帰りください」
誰よりも彼女が愛する夫がいる我が家へ。
そんな思いを込めて頭を下げた。壁で見えないかも、とは思ったけれど。
「――ええ。ありがとう」
それでもきっと伝わったはずだ。彼女が返した言葉は短いけれど、満足と優しさと愛情に満ちているように聞こえたから。
足音が遠くなる。最初とは全く違い、ドアの開閉音はとても穏やかだった。




