23 街にて
翌日、アリシアの仕事はお休みである。
ドレッサーに座って長い髪をとかし、ヒューイにもらった銀の髪飾りをつけた。
気分が高揚する。鏡の中の自分に笑いかけた。
さて今日も街に出よう。
邸宅の敷地を抜けて修道院の裏門へ進む。
いつもはひたすら歩き回ったり、兄の手がかりを聞いて回るだけだが、今日は前にヒューイから聞いた靴屋の通りへ行ってみるつもりだ。まだお金は貯まっていないけれど、とりあえず尋ね人屋を見つけて詳しいことを聞いてみよう。
兄に会いたいのだ。兄の恋人にも。
ちゃんと謝って、そして「おめでとう」と言いたい。
鍛冶作業場の脇を歩いていると、向こうからヒューイが歩いてくるのに気がついた。ヒューイも同時に気づいたようで足を止める。
どうしよう。どういう態度をとればいいの?
狼狽しているとヒューイが近づいてきた。
「今日は休み? どこかへ行くの?」
笑顔で聞く態度はいつものヒューイだ。安心半分、落胆半分の気持ちでアリシアは頷いた。
「街へ行ってきます」
「そう。気をつけてね」
そこでヒューイは髪飾りに気づいたようだ。そっと手を伸ばし、髪飾りを触った。
わっ、何?
うろたえるアリシアに、にっこりと笑う。
「髪飾りが歪んでいたから直しておいたよ」
「……ありがとうございます」
なんだ。何をされるのかとちょっとドキドキしてしまった。でも、そうよね。
物足りない気持ちが顔に出ていたのか、ヒューイが目を見張った。そして嬉しそうに笑い、もう一度手を伸ばしてアリシアの髪をそっとなでた。
「行ってらっしゃい」
「……はい」
頬が赤くなっているのがわかった。それを見たヒューイがますます嬉しそうな顔になるのも。
カアッと頭に血が上り、
「い、行ってきます!」
とアリシアは駆け出した。
大聖堂前の広場を抜けて大通りへ出る。街にはすっかり初夏の気配がただよっている。
これから暑くなりそうだなあ。
行き交う人々も薄着だ。初めてここへきた時は冬の最中だったのに、と季節の移ろいを感じた。
以前ヒューイから教えてもらった通り、街の北西部へ向かった。靴屋が集まる通りがあり、そこの一角に人捜しか物探しかをする男がいると聞いたことがある、と言っていたのを思い出す。
その途中、車道を挟んだ通りの向こう側で見覚えのある女性を見かけた。
あれはタニアさんだわ……。
ミモザ祭の礼拝でヒューイに抱きついていた女優のタニアだ。ヒューイがとっさに演技の協力を頼むほど仲がいい。そんなことを考えたら胸の内がぎゅっと苦しくなった。
タニアは劇場の建物の前で、若い男性とくっついて何やら話していた。
派手なジャケットを着た男性は、長い黒髪を風になびかせるタニアに、終始でれでれしている。
「あの男、でれでれだな」
「あんな美女にくっつかれたらな。その気になっちまうよなあ」
通行人の会話が聞こえた。
アリシアは立ち止まり、何げなくその光景を見つめた。
鼻の下を伸ばす男と、鼻筋のとおったタニアの綺麗な横顔。
あれ? ふと記憶の片隅がうごめいた。どこかで見たことがあるような……?
ミモザ祭の礼拝時にも思ったことだ。だからその時ではない。
一体どこで?
懸命に考えるもやはり出てこない。すると、
「ちょっとやめてよ! ふざけないで!」
と活舌のいい罵声が響いた。続いて、乾いた大きな音。アリシアが呆気に取られていると、仁王立ちするタニアの前で男が真っ赤な顔で頬を押さえていた。
男性が何かタニアの嫌がることをして頬を張られたのだ、とわかった。
「タ、タニア! お前、こんなことをしてただで済むと思って……!」
「思ってるわよ! 二度とくるな、この陰険野郎!」
美人なのになかなか口が悪い。男性はワナワナと体を震わせていたが、アリシアや他の通行人たちが注目しているのに気づいて、悔しそうに逃げていった。
「タニア、相変わらずすげーな! 格好いいよ!」
「さすが平民から看板女優まで成り上がった女だ!」
このような事態は驚くことでもないのか、見ていた通行人たちが歓声を上げた。タニアは見とれるような笑みを浮かべて言った。
「公演は夜からだから来てねー!」
よくとおる声だ。さすがは女優である。けれど――。
あれ?
またもや何かが記憶の底に触れた。
この声を聞いたことがある気がする。いや、声ではない。礼拝の時も聞いたけれど特に何も思わなかった。ただ微妙なイントネーションというか、何かが引っかかる。
どうしてだろう。今まで街で会ったことはない。信者であるタニアは大聖堂にはくるだろうが、アリシアが普段いるのは修道院の建物だ。それ以外で会ったことなんてないはずなのに。
どうして聞き覚えがあるのだろう――。
そこでハッと本来の目的を思い出した。モヤモヤする気持ちをいったん忘れて、再び歩き始めた。
太陽がもう少しで真上にくる頃、ようやく靴屋が集まる通りを見つけた。シュー・レーンと呼ばれる通りだ。靴を描いた看板がいくつも軒下からぶら下がる。
よし。尋ね人屋を探すわよ。
通り沿いには、二階建てや三階建ての店舗兼仕事場兼住居が密集している。できるだけ住居のスペースを広くするため、上階が下階よりも道に突き出しているのだ。だから昼間といえど通りは薄暗く、風通しも悪い。
今の時期はいいけど真夏は暑いだろうな。
そんなことを思いながら、アリシアは一軒一軒確かめながら通りを進んだ。けれど――。
どうしよう。見つからない……。
どこも普通の靴屋である。これは! と思っても作業場だったり、他のものを売っている店だったりする。
通りを二往復した。そのたびに上階の様子も見てみたけれど、それらしい店も人も見つからない。
どうしてかしら? ヒューイ司祭様がそう言っていたのに。
足もいい加減疲れたので、立ち止まってちょっと休憩することにした。人のいない道端に座って、朝食の残りのパンをかじりながら考える。
もしや尋ね人屋は靴屋も兼任しているのかしら。
そう思い、一軒の店に入り聞いてみた。
「すみません。お聞きしたいんですが、この辺りに人捜しをする尋ね人屋があると聞いたんですが、どこかご存じですか?」
小さな子供を抱っこして店番をしていた女性の、眉根が寄る。
「さあ? 聞いたことないけど……。ちょっと待って。主人に聞いてみるわ」
そう言って店の奥へ入っていった。しばらくして出てきた女性の表情から、旦那も知らないことがわかった。
「ごめんねえ。主人はここで生まれ育ったけど、そんな人も店も聞いたことないって」
「……そうですか。ありがとうございます」
落胆しつつも丁寧にお礼を言った。眠そうな顔の子供に小さく手を振って店を出る。
どういうことだろう、と考えつつ、もう一軒聞いてみることにした。
「すみません――」
けれど答えは同じだった。そこの店の主人は親切で、両隣の店の者にも聞いてくれたが、知っている者は皆無とのことだ。
落ち込みながらも他に靴屋が集まる通りがあるのかと思い聞いてみるが、ここしかないとのことだ。
ここまで皆が知らないのなら尋ね人屋はここにはないのではないか。
これでは兄の行方はわからないままだ。自分で捜すのは限界がある。まだお金は貯まっていないが、せめて詳しいことを教えてもらおうと思ったのに。
焦りながら唇を噛みしめた。
気がつけば日が傾いてきていた。
そろそろ戻らないと駄目だわ……。
だいぶ日が長くなってきたといえど急ごう。落胆を胸に、来た道を引き返す。その途中で、さくらんぼを売っている店を見つけた。旬のさくらんぼは実が赤くつやつやしている。
ローザが好きだと言っていたのを思い出した。
ミモザ祭でドレスを貸してもらった。とっくにお礼は言ったけれど、せっかくだから買っていこう。
アリシアはさくらんぼを手に足早に大聖堂へ戻った。




