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19 ミモザ祭④

 嫌だ、二人を見ていたくない。

 アリシアは顔を背けた。泣きそうになる。自分は妹のようだと言われたのに、大人っぽい彼女とヒューイはとてもお似合いに見えたからだ。


「なんなのよ、あの女。目立ち過ぎじゃない?」

「ちょっと綺麗だと思って調子にのってるわよね。――やだ、あれって女優のタニアじゃない? ほら、そこの劇場でよく公演をしている」

「えっ? あら、本当。どうりで綺麗なはずだわ」


 アリシアの前に並ぶ少女二人が、悔しさと感嘆とを込めた口調で話している。


 女優さんなんだ。

 抱きつくのはやめたもののヒューイと楽しそうに会話する後ろ姿を、アリシアはじっと見つめた。どんどん気分が落ちこんでくるのにどうしても目を離せない。苦行のようだ。


 大きく息を吐いて、無理やり視線をそらした。

 その時だ。内陣の真ん中で悲鳴が聞こえた。続いて罵声と人が倒れるような物音。

 驚いて首を伸ばすと、人々の隙間から青ざめた大司祭の姿が見えた。そしてその前で護衛の者たちに取り押さえられている男の姿も。

 とっさに菓子工房で盗み食いをしたハービーを思い出したけれど、明らかに緊迫度合いが違う。


 立派な身なりをした男が床に押しつけられ、何かわめいている。

 場は騒然とした。悲鳴をあげて怯える女性や子供、男たちもざわついている。先ほどまでの和やかで荘厳な空間はどこにもない。


 そこへいち早く向かったヒューイが、取り押さえられた男の耳元で何かをささやいた。途端に男がおとなしくなる。護衛の者たちに素早く合図し、男を翼廊から塔へ続く扉へ連れて行かせた。


 そして祭壇の前でざわめく人々を見回し、いつもの軽い笑みを浮かべた。


「お騒がせしました。驚かれたでしょう? ですがこれは普段の礼拝ではありません」


 何? どういうこと? と人々の上擦った声が聞こえる。


「賑やかな祭りの締めを飾る礼拝です。ですからちょっと余興を入れてみました」


 余興? あれが? まさか、とのざわめきがあちらこちらで上がった。


 ヒューイ司祭様、突然何を言いだすの? 

 アリシアも困惑した。そんなことを言われても信じられるわけがない。


 皆の動揺を受けて、それでもヒューイは落ち着いた笑みを浮かべた。そしてタニアを呼んだ。


「実は、あれはタニアの劇団の新しい団員なんです。劇場の次の舞台がミステリーということで、ぜひその宣伝をしたいとのことでしたので」


 軽く背中を押されたタニアが茶目っ気のある笑みを浮かべた。


「ええ、そうです。このような場で不謹慎かとも思いましたが、今宵は春を祝うお祭りの場ですので。皆様にちょっとした宣伝をさせていただきました」


 高らかな声を上げ、今度は妖艶な笑みを浮かべて、くるりと優雅にお辞儀する。ふわりとしたスカートがひるがえり、とても美しい。


 けれど――。

 あれ?

 何か小石のようなものが胸につかえる。どこかで見たことがあるような気がしたのだ。でもどこで? 街には兄を捜しに行くけれど劇場には行ったこともない。それにあんな目立つ美女を一度見たら覚えているはずだ。


「お騒がせしましたわ。許してくださいましね」


 モヤモヤした気持ちを抱えながらも、タニアの綺麗な笑みを見ていたら、本当にそうなのかしら、と信じる気持ちが湧いてきた。

 

 ヒューイたちの落ち着き払った様に、アリシア同様、皆だんだんと信じてきたようだ。悲鳴まじりのざわざわが沈静化し始めた。

 ヒューイが笑顔のまま続ける。


「それでは祝いの聖水の続きを行います。大司祭様も大丈夫ですね?」

「ああ、もちろんだ。あれは余興だからな。皆様、驚かせてすまなかった」


 すっかり顔色の戻った大司祭が、貫禄をこめて鷹揚な笑みを浮かべる。その様子に皆すっかり安心したようだ。再び元の和やかな雰囲気に戻った。


 長い列が少しずつ縮み、やっとアリシアの番がきた。

 ちょうど銀の器に入っていた聖水がなくなったようだ。ヒューイが後ろを向いて、手伝いの修道士から追加の聖水を受け取っている。


 その背中に小さな声で話しかけた。


「さっきの人に耳元でなんて言ったんですか?」


 それからの修道士たちが慌ただしく塔へ向かう行動を見ていたら、先程の一件はヒューイの演技だったのだとわかる。あの取り押さえられた男は本当に大司祭に何かしようとした。だからつじつまを合わせるためにタニアに頼んだのだろう。

 ヒューイはアリシアの声だとわかったようだ。新しい聖水の入った銀の器を手に、こちらを振り返りながら小声で答える。


「『神の御前でこんなことをしたら、いち早く地獄に落ちるぞ』って。門のところで身元確認はしているから、聖堂に入れるのは神を信じる信者だけだからね。こういった大きな祭りだと気が大きくなって、はっちゃけちゃう人っているんだよ。酒臭かったしね。大司祭様も災難だ」


 そうなの?

 じゃあやはり、とっさにあれだけのことを言ってのけたのだ。しかもあんな落ち着いた笑顔で。

 すごい人だわ。


 感心したところへ、ヒューイが完全に向き直った。


「待たせてごめんね――」


 愛想のいい笑みが一瞬で消えた。目を見開いてドレスを着たアリシアを見つめる。

 いつもの格好と違うのはヒューイだけではない。


 えーと……。

 あまりにもヒューイが無言のまま固まっているので心配になってきた。

 後ろも人がつかえている。とりあえずアリシアは、皆と同じように膝をかがめて両手を胸の前で握った。そしてヒューイの前でゆっくりと目を閉じた。


「――祝いの聖水を」


 数秒後、少しかすれた声とともにヒューイの指から聖水が数滴落ち、アリシアの前髪にかかった。


 暖を取るためと明るくするために、松明はいくつも焚かれている。それでも冬の夜の大聖堂は冷える。

 前に並んでいた少女たちが、聖水が冷たい、と言っていたから覚悟していた。けれどヒューイの指先から落ちた水滴はそれほど冷たくない。むしろ熱を持って少し温かいように感じられた。


 ゆっくり目を開ける。ヒューイと目が合った。


「ありがとうございます」


 笑顔で礼を言うと、ヒューイが小さく息を呑んだのがわかった。

 そしてキャソックの胸ポケットから銀色の何かを取り出した。


「それ……?」


 間違いない。昼間、露店でアリシアが可愛いと思って見ていた銀の髪飾りだ。その後すぐにヒューイがいなくなって不思議に思っていたけれど、これを買いにいっていたのか。


 ヒューイがそっとアリシアの髪に触れた。ふんわりとした髪にその髪飾りをつける。

 けれどどうやらつけ慣れていないようで苦戦している。

 周りが呆気に取られる中、髪飾りがついたのがヒューイの満足げな顔でわかった。


 もしかして私が見ていたから買っていてくれたの?

 胸が詰まる。お礼を言いたいのに胸がいっぱいで言葉が出てこない。

 ヒューイが柔らかい笑みを浮かべて静かに言った。


「神のご加護を」

「あ、ありが――」


 やっと口に出た時点で、後ろに並ぶ子の「ねえ、まだなの?」と急かす声が聞こえた。口をつぐみ、一礼して慌てて列を抜けた。


 やがて夜の闇が深くなった頃、祝いの儀が終わった。

 そして最後に閉祭の儀を以てミモザ祭は閉幕した。


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― 新着の感想 ―
[一言] おー!特別扱いされてるぞー! アリシア自信を持って!(笑)
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