18 ミモザ祭③
ローザの顔がさっきとは打って変わり、輝いている。
「実はドレスが一着余っているのよ。私の娘が去年着たものなんだけど、今妊娠していてお腹が大きいの。もったいないから私が着ようかと思って持ってきたんだけど、年齢も年齢だし、お腹が入らなかったわ。まあ私の場合、中に入っているのは赤ん坊ではなくただの肉なんだけど」
豪快に笑う。
「アリシアなら妊娠前の娘と同じ体格くらいだし。貸してあげる。それを着たらいいわよ」
「でも……」
「どうせ衣装箱にしまっておくだけなんだから遠慮しないで。着てくれた方が私も嬉しいわ。すぐに寝室から持ってくるから、ちょっと待っていてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
いいのかな。でもドレスなんて着たことがないから嬉しい。
ワクワクしながら待っていると、
「アリシアさん!」
「ラウルさん?」
助祭のラウルが息を切らしてやってきた。いつもの黒のローブ姿ではなく、縦にボタンが並ぶ黒のキャソックに、肩から水色のストールをかけている。礼拝用なのだろう。
「わあ、素敵ですね!」
「ありがとうございます」
ラウルは律儀に礼を言い、顔をしかめた。
「ヒューイ様から伝言です。礼拝時には女性は白か黄色の服を身に着ける人が多いそうです」
「ああ、それ聞きました」
ローザがドレスを貸してくれることも言うと、ラウルは笑顔になった。
「それはよかったです。ヒューイ様がさっき突然『アリシアに言っていなかった』とか言いだして聖堂を抜けようとしたので、僕キレそうになりました。ただでさえ準備もいつも適当にしかしないのに。
しかも今日なんて、正午から準備のはずだったんですよ。それなのにヒューイ様が現れたのは三時過ぎです。僕、本当にブチギレそうでしたよ」
「あっ、それは私をお祭りに案内してくれたからです」
申し訳なくて消え入りそうな声で言うと、ラウルが目を見張った。
「ヒューイ様が? 自分から? へえ……」
よほど驚いたのか、へええ、と何度も繰り返している。ヒューイが自分から女性を誘うことはよほどめずらしいようだ。
祭りでのことを思い出し、頬が熱くなった。たかが手をつながれたくらいで情けない。迷子防止のためにつないでくれただけなのに。
でもそれって本当に妹よね。しかも幼い妹だわ――。
そこに思い至り、落ち込んだ。そういえば子供の頃、いつも兄に手をつながれていたっけ。そんなことまで思い出し、さらに気持ちが暗くなる。アリシアはうつむいて言った。
「違います。ヒューイ司祭様にとって私は妹のような存在なんです。だから面倒を見てくれるだけです……」
言っていて自分で悲しくなった。それにヒューイが自分で雇ったという責任も感じているからだろう。
ラウルが眉根を寄せた。
「妹……って、ヒューイ様には妹なんていないのに。意味がわかりません」
「そうなんですか? 面倒見もいいしお兄さんっぽいですけど。じゃあ弟さんがいらっしゃるとか?」
「いいえ。弟もいません。というより家族がいません」
えっ?
思いがけない言葉に顔を上げると、ラウルが妙に真剣な顔でアリシアを見ていた。
「ヒューイ様は捨て子なんです。この大聖堂の前に置き去りにされたそうです」
驚いて声も出ないアリシアに、ラウルが淡々と続ける。
「神のご加護が受けられると思うからか、ここの門の前によく赤ん坊が置いていかれます。神のご加護って……馬鹿らしい話ですよ。赤ん坊や年端のいかない子供なら乳児院に預けますが、ヒューイ様が置き去りにされたのは六歳の時だったそうです」
「そうだったんですか……」
「自分の境遇を理解できる年齢でした。哀れに思った当時の司祭のセオドア様が、ここで育てるとヒューイ様を預かったそうです」
当時の司祭――。もしかしてと思い、アリシアは記憶を探り出した。
「セオドア様というのは、ひょっとしてヒューイ司祭様の前の司祭ですか? 半年前までここにいたという?」
雇われて最初にここを案内された時のことを思い出した。ヒューイの邸宅に、半年前まではその当時の司祭様が住んでいた、と言っていた。
その時、いつも笑っているヒューイが一瞬こわばった顔をしたから、なんとなく頭に残っていたのだ。
「そうです」
と、ラウルが驚いた声を上げた。
そして安心したような笑みを浮かべて言った。
「こんなことを話すのはどうかと思ったんですが、やっぱりアリシアさんに言ってよかったです」
闇が街を包み込む頃、アリシアは大聖堂に足を踏み入れた。
決して狭くない聖堂内は、すでに人で埋まっている。普段信者が祈りを捧げる身廊部分だけでなく、両脇にある側廊にまで人がはみ出しているではないか。
すごい……。
人の多さにアリシアは圧倒された。昼間の祭りも多いと思ったけれど、今は密集度が違う。
聖堂内は天井が果てしなく高い。見上げると天高く吸い込まれそうで目まいがするほどだ。
祭壇のある内陣は何段も高くなっていて、天井まで続く縦に長いアーチ型の窓に囲まれている。そこにはめ込まれたステンドグラスは見事な細工で見とれるほどだ。この国の成り立ちと神々の姿を、絵だけで表している。
昼間はそこから太陽の光が注ぎ込むのだが、今はおぼろげな月明かりが内陣の床へと淡い濃淡を落としていた。
内陣と身廊の両脇の壁には、数えきれないほどの燭台がかかっている。その全てに火が灯され、石の柱と床と集まる人々の姿を照らし出していた。ここで働いているなんて信じられないくらい幻想的である。
正面の玄関扉の前で、アリシアはぼーっとその光景に見とれていた。
やがて修道士たちが姿を見せた。
続いてヒューイとモントル司祭、そして大司祭が姿を見せる。最後に司教が現れて、内陣の中央に置かれた司教座と呼ばれる椅子に着席した。
ヒューイ司祭様、格好いい……。
見慣れない服装に胸が高鳴った。
修道士たちは皆、いつもの黒のローブではなく典礼用の祭服を着ていた。先ほどラウルが着ていたものだ。立襟で足首まで長さのあるキャソックと呼ばれるもので、司教と大司祭が白、ヒューイたち司祭と修道士たちが黒である。
さらにヒューイは肩から、細かい刺繍の入った金色のストールをかけていた。その恰好で祭壇やその周りの内陣に立ち、礼拝を行うのだ。
ヒューイ司祭様、いつもと別人みたい。
明るく笑っている姿とはまるで違う。おかしくなり、一人でクスッと笑う。そして無性に寂しくなった。
遠いなあ……。
アリシアのいる身廊の玄関扉の前から、ヒューイのいる祭壇の前までは。
祭壇のある内陣は、アリシアのいる身廊部分より高くなっているので、人混みの中でもヒューイの姿が見える。それでも集まった人々から畏敬の目で見つめられている彼は、いつもの身近に感じられる姿とは別人のように思えて仕方ない。
当たり前よね。こんな大きな聖堂の司祭様なんだもの……。
普段、気軽に話しかけてきてくれるから気がついていなかったのだ。けれどこうしてまざまざと実状を見せつけられると、現実の距離に胸が苦しくなった。
そんなこと思える立場でもないのに。
うつむくアリシアの前で礼拝は進んでいく。
開催の儀に始まり、大司祭の言葉の典礼、そして司教の説教が終わると、いよいよ祝いの儀である。
司教、大司祭、それにヒューイとモントルが、聖堂を訪れた人々に祝いの聖水を与えるのだ。額に数滴垂らしてもらうと、この一年健康でいられると言われている。
人々が我先にと内陣へなだれ込み、司教や大司祭の前に列を為す。
アリシアはヒューイの前にできた長い列に並んだ。
すごい人気だわ。
若い女性のほとんどがヒューイの前に並んでいる。
無理もないわよね。
美形というわけではないけれど、爽やかで明るくて人当たりもいい。安心して話しかけられる。街に出ても同じ態度なのだろう。現に昼間も親しく話しかけてきた女性たちがいた。それに他の三人に比べても格段に若い。
皆、綺麗だなあ……。
やっぱり都会の女の子たちはセンスがいい。しかも貴族や裕福な商人の娘も多いので、高価なドレスを着ている。まばゆいくらいに宝石が縫い付けられていたり、ここぞとばかりに短い丈だったりと斬新なデザインのものも多い。しかも、それがとてもよく似合っているのだ。
なんだか落ち込むわ……。
アリシアもローザが貸してくれた白のオフショルダーのドレスを着ている。
貸してもらえたことは本当に嬉しいし、ここへくる前に寝室の鏡に映った自分のドレス姿には満足していた。けれどいざこうして他の綺麗な女性たちを目の当たりにすると、落ち込んでしまう。ドレスうんぬんの話ではなく、着ている人間の顔かたちが違うからだ。ため息しか出ない。
列のだいぶ前で歓声が上がった。首を伸ばすと、祝いの聖水を与えられた黒髪の女性がヒューイに抱きついていた。後ろ姿しか見えなくてもとても綺麗な女性だとわかる。大胆に背中の開いたドレスがよく似合っていた。
彼女は感動のあまりなのか、それとも酔っているのか、抱きつかれたヒューイが困ったように、それでもいつもと同じ笑顔で対応している。
胸が締め付けられるように痛くなった。




