17 ミモザ祭②
にぎやかな彼らと別れて、二人で再び広場を歩き出す。
「あいつらと仲いいね」
ヒューイがさりげない口調で言った。
「はい。ヒューイ司祭様が菓子工房へ連れて行ってくれたおかげで仲良くなれました」
「――そうだよね」
と複雑そうな顔をした途端、
「あら、ヒューイ司祭様じゃない」
と歓声が聞こえた。着飾った女性たちが嬉しそうにヒューイの許に寄ってきて取り囲む。
「お祭りにきているなら教えてください」
「本当よ。水臭いわね」
街の信者たちだろう。気軽な調子で話しかける。それに対してヒューイはいつもの明るい笑顔で対応している。
アリシアは途端に苦い気持ちが込み上げた。飲み下せそうもないほど苦い。
――何、これ?
自分で自分に驚いた。だってこれではまるで――。
「夜から大聖堂で礼拝が行われるので。きてくださいね」
笑顔でサラっと女性たちをかわし、「行こうか」とアリシアを促す。
「はい……」
声音が固くなったのが自分でもわかった。ヒューイにまじまじと見つめられて、体まで固くなってしまった。ヒューイは他人の感情に聡いのだと、もうわかっている。
嫌だ……。
自分の気持ちが悟られてしまう。焦ったアリシアは唇を噛みしめて顔を背けた。
視界の端にヒューイが呆気に取られている姿が映った。
どうしよう。変な子だと思われているわ……。
うろたえたが、どういう態度をとればこの場を上手く誤魔化せるのかわからない。
よし。なんとかして笑おう。
やっとそういう結論に至り、必死になんでもないという笑みを作って前を見た。
するとヒューイが片手で口元を覆い、視線をそらしていた。少し顔が赤いようにも感じる。そして目が合った瞬間、嬉しそうに微笑んだ。
「すごい人ですね……!」
大聖堂前の広場も賑わっていたが、広場から北へ続く大通りはさらにたくさんの人でごった返している。楽隊の演奏が始まったせいもあるだろう。
人混みの中をはぐれないように頑張ってついていく。
するとヒューイにそっと手をつながれた。一瞬ビクッと体が震えたけれど嫌ではない。全然、嫌ではない。
素直につながれたままでいると、ヒューイはその手を大事そうにゆっくりと引っ張った。
二人でそのまま大通りを進む。
いつもは酒場は夜しか開いていないけれど、今日は屋台でお酒を販売しているので、顔を赤らめた人々が昼間から陽気に笑っている。中には酔っぱらって地面に寝ている者もいた。
バグパイプの音色が鳴り響き、若い男女がそれに合わせて踊っている。皆、楽しそうだ。
高鳴る鼓動を抑えながら、アリシアは歩を進めた。すると、
「ん?」
とヒューイが立ち止まった。前方にまたもや黒のローブが十人ほど集まっている。それに金髪の少女も。筆写室の修道士たちとハンナだ。薬草店の前にいる。
「親父、いいのは入っているかな?」
青白い顔の筆記長が真剣な顔で問う。店の親父がビールを飲みながら首をかしげた。
「いいのって?」
「もちろん眼精疲労に効く薬草に決まっている」
後ろにいた修道士たちも口々に要求する。
「強力なやつを所望する! もう、うちの薬草園のものじゃ効かなくなってきたんだよ」
「俺は肩こりに効くやつが欲しい。ものすごく効く貼り薬が!」
「いつも手に三枚重ねて貼ってるけど、効かなくなってきたしな!」
ハンナも真顔でコクコクと頷いている。
「大変だな……」
「はい……」
手をつないだままヒューイと並んで眺めながら、アリシアは心の底から同情した。
赤い顔をした親父が、またもビールをぐいと傾けてから聞いた。
「あんたら、そこのシャルド大聖堂の修道士さんたちかい?」
「そうだ」
「毎日お勤めして偉いねえ。でもな修道士さんたち、仕事には休憩も必要だよ」
「我らには目的がある。絶対に負けてはならない相手がいるのだ。休憩なんてしている場合ではない」
親父はふうっと息を吐いた。
「修道士さんたち、世の中は勝ち負けじゃないよ。人生にはもっと大事なものがあるだろう」
彼らが衝撃を受けたのが、離れて見ているアリシアにもわかった。
なんたることだ。神に仕える聖職者たちが、酔っぱらった親父に人生を説かれている。
固まる彼らに、親父は笑いながら、
「あんたらに必要なものは薬草じゃないよ。酒だね。もっと人生を楽しみな。ほら、そこのテントでビールを売ってるよ」
と斜め向かいにある出店を、顎で示した。
彼らは青ざめた顔で、言われるがままふらふらとビールを買いにいく。
「そのとおりだな。あの親父、いいこと言う。大聖堂にスカウトしようかな」
面白そうに笑うヒューイの隣で、
違う。あなたたちに必要なのは薬草だと思う!
アリシアは心の中で、全力で叫んだ。
三時を過ぎた頃、ヒューイが申し訳なさそうに言った。
「ごめん、アリシア。夜の礼拝の準備があるから、そろそろ戻らないといけない」
ミモザ祭の最後を締めるのが、夜に行われる大聖堂での礼拝なのだ。都市中の信者が集まる一大イベントなのである。
「わかりました。私も一緒に戻ります」
祭りは充分見たし、朝から歩いているから少し疲れた。夜の礼拝には参加したいから、それまで寝室で休憩しよう。
* * *
空が茜色から薄闇へと変わる頃、街の人々が続々と大聖堂に集まってきていた。
すごい人だわ。
休憩を終えて、大聖堂の塔の窓から外を覗いたアリシアは目を丸くした。
ミモザ祭りの最後を締めるのが、大聖堂での礼拝なのである。
ヒューイ司祭様も忙しいんだろうな。
思わずつないだ左手を見てしまい恥ずかしくなった。胸の高鳴りをごまかしながら、塔から修道院へ続く通路を進む。すると大司祭の宮殿で働くローザに出会った。
「あら、アリシアじゃない」
「こんばんは」
ローザは服の糊付けが得意で、修道士たちの祭礼用衣服の管理もしている。なので修道院でよく会うのだ。
おおらかで明るい性格で、アリシアと同じ年くらいの娘がいるとのことだ。そのせいか、よくお菓子をくれたり体の心配をしてくれたりする。アリシアの母はすでに亡いので、もし生きていたらこんな感じだったのかな、とたまに考える。
「アリシアったらまだそんな恰好してるの? 早く着替えたら?」
「着替える?」
どういう意味だろう。この恰好ではいけないのだろうか。いつも着ている、ワンピースのような形の毛のカートルを見下ろす。
途端にローザが「ああ」と大きな声を出した。
「そうか。アリシアはこのお祭りを初めて見るのよね。いい? 大聖堂での礼拝の時は、女性は白か黄色の服やドレスを着るのがいいとされているの」
言われてみればローザもいつもと違い、鮮やかな黄色のスカートをはいている。
そういえばさっき窓から見た女性たちもほぼ黄色か白い服を着ていたな、と思い出す。
「春を祝うためのお祭りだから、女性は春の女神の恰好をするといい、とされているのよ。春の女神の恰好、つまり白の服。それかミモザの色の黄色ね」
「そうなんですか」
「白か黄色の服は持っていないの? 若い子だと、肩の開いたドレスを着る子も多いわよ」
そんなことを言われても、アリシアはドレスどころかそのような色の服も持っていない。
あっ、結婚式用に縫っていた白いワンピース――。
思い出した途端に胸の内が暗くなった。もう着ることはないだろうとチェスターの実家に置いてきた。もし持ってきていたとしても、袖を通そうなんてとても思えない。けれど自分の持っていた白か黄色の服はあれだけだったのだ。そう再確認して悲しくなった。
アリシアの様子を見つめていたローザの顔が曇る。アリシアは慌てて言った。
「持ってないですけど、これで大丈夫です。この恰好で行きます。着慣れているから」
気を遣わせないように笑って、
「じゃあ、また後で」
と歩き出す。
「待って、アリシア。実はドレスが一着余っているのよ。それを貸してあげるわ」
 




