16 ミモザ祭①
この国には四季がある。一年は365日で、一日は24時間。
その昔、種まきや収穫といった農耕作業を季節に合わせるため、修道士――当時の神官たちは棒を垂直に立てて太陽が真南にきたときの影の長さを測ったり、月の満ち欠けを観測したり、夜明けや日暮れに特定の星の動きを記録したりした。
その結果、一太陽年の長さは365、25日ほどだとわかった。当時はそれを暦年として農業や祭事などに使っていたけれど、少しずつ季節と暦がずれていくことに気がついた。
よって四年に一度、一日を足すことで、そのずれを修正したのである。そして一日を二十四時間と定めた。
それを教区民に教えるため、各地にある聖堂や教会は毎日正午に鐘を鳴らす。
そして夏至祭や冬至祭、新年、収穫祭、聖堂や教会の特別礼拝の日などを設けて祭礼を行い、季節の節目を知らせるのである。
「ミモザ祭?」
「そう。春の訪れを祝う祭りだよ。ちょうどミモザの花が満開になる時期だから、そう呼ばれている。食べ物や遊びのテントや屋台が並んで、手品や軽業の演目があったり、楽隊の演奏があったりですごくにぎやかだよ」
「へええ」
説明するヒューイに、アリシアは顔を輝かせた。
祭りは大聖堂の祭事暦に従って行われる。三月はプリムローズやアーモンドの花が満開を迎え、洋梨や林檎の花が咲き始める。ミモザの優しい香りが風にのって、街中を包み込む。
この季節に突然訪れる寒さは、作物を襲い台無しにしてしまうことがある。そのためミモザ祭は大地と緑のよみがえりを祝うと同時に、冬の寒さと決定的に別れを告げる意味があるのだ。
「楽しそうですね」
アリシアの住んでいた町チェスターでも春を祝う祭りがあり、春祭と呼ばれていた。
春祭かあ。
途端に兄を思い出した。
兄さんはどこにいるのかしら。
心の内が苦しくなった。あれから休みのたびに街に出て捜している。移住者が多く住む地域を歩き回り、人に聞いたりしたが未だ手がかりはない。そもそもどの町にいるのかすらわからないのだ。
アリシアと同じく心情的に、人がたくさんいる大きな街へ出ようとするだろう。しかし都市はこのシャルドだけではない。
故郷のチェスターには絶対にいない。その隣のサラスブルクも、チェスターと同じような小さな町だからいないと思うけど……。
砂漠で一粒の砂を探すようなものだ。途方もない。
「――こうか」
「えっ?」
考え込んでいたせいでヒューイの言葉を聞き逃した。顔を上げると、妙に真剣な顔がそこにあった。
「ミモザ祭に一緒に行こうか。案内するよ」
初めて祭りを見る『妹』を案内してくれるのだ。相変わらず面倒見がいい『兄』である。でも素直に嬉しい。
「はい」
アリシアが笑顔で頷くと、ヒューイがホッとしたように笑った。
――「わあ、すごい……!」
大聖堂前の広場もそこから続く大通りも、いつもと全く景色が違う。色とりどりのテントや出店がひしめいていて、活気のある声や笑い声がどこかしこで聞こえる。香辛料と甘いお菓子の混じり合った不思議な匂いがした。
行き交う人の多さに呆気に取られていると、ヒューイが笑って「こっちだよ」と教えてくれる。
チーズや卵や塩を売る屋台や、鍋や壺を扱う店、革の水筒やジョッキなど革製品や各種ナイフを扱う店、靴屋の出店まで色々だ。家畜商人もいて、ロープでつながれた豚やガチョウなどが鳴いていた。
「すごいですね!」
「賑やかだろう」
故郷チェスターの春祭も楽しかったけれど、やはり大都市のものは規模が違う。
アクセサリーを売る店があった。ベルベットの黒い布が敷かれた台の上にぎっしりと、髪飾りやペンダントなどが並んでいる。
わあ、これ可愛い……。
細かい銀細工の髪飾りに目を惹かれた。チェスターでは見たこともないほど装飾が細かい。さすが大都市だわ、と感心した。
けれど今は兄を捜すことが先決である。そのために早くお金を貯めないといけない。
元々財布の紐は固いが、ますます固くなっているアリシアはキッと身をひるがえした。
修道院の果樹園や墓地にもミモザの花でいっぱいだけれど、通り沿いも満開だ。黄色のモコモコとした花が鈴なりに咲いている。木全体が黄色く染まって見えるほどだ。
「あれ?」
テーブル代わりにした大きな丸太を、黒のローブが取り囲んでいる。修道士たちだ。しかも一人はジェスじゃないか。
「何をしているんですか?」
近寄っていくと、彼らが振り返った。やはり菓子工房の修道士たちだ。
「アリシアじゃん」
「お祭りにきてたんだー」
「会えてよかったな、ジェス」
一人が笑いながらジェスの腕を肘で小突く。
「な、なんでだよ!」
ぶっきらぼうに顔を背けるジェスに、彼らはニヤニヤ笑っている。
そこへヒューイが追いついた。ちょっと用があるから先に行っていてくれ、と頼まれたのだ。
ヒューイを見て修道士たちが驚きの声をあげた。
「あれ? アリシアと一緒に回ってるんですか?」
「なんでですか?」
ぽかんとする彼らに、ヒューイが考え込む。アリシアは気を遣って言った。
「私はヒューイ司祭様にとって『妹』みたいな存在だそうです。だから『お兄さん』が気を遣って案内してくれてるんです」
「なんだ、そっかー」
「妹、ねー。なるほどねー」
彼らが笑い、アリシアも笑い、ヒューイも複雑そうに笑う。
「よかったな、ジェス」
彼らの一人に言われ、ジェスが眉根を寄せた。
「何がだよ?」
「何が、ってなんでもだよ」
「本当だよねー。心配そうな顔をしていたくせにー」
「そんな顔していない!」
ニヤニヤと笑う彼らに、少し顔を赤くしたジェスが怒っている。
アリシアはふと丸太の上を覗き込んで驚いた。チュウェットと呼ばれるミートパイに、丸めたガレット。長い生地をひねって油で揚げたチュロスに、粉末にしたローズマリーや干し葡萄が練り込まれたクッキー、そして一口サイズの蜂蜜飴などが、所狭しと並んでいるではないか。
すごい量である。屋台の菓子を全種類買ってきたのではないかと思うほどだ。
「ほら。食えよ」
ジェスが丸いチュウェットをくれた。手のひらくらいの大きさで、波打つ表面がきつね色に焼けている。
「ありがとうございます」
アリシアは一口かじった。外側は固いけれど、中は柔らかい。細かい羊肉と香草が混じり合っている。
「おいしいですね」
「だろう。祭りで一番人気のある菓子なんだ」
なるほど。そう言われればチュウェットを売る屋台を多く見た気がする。
修道士たちは談笑しながら、買ったお菓子を頬張っている。
「ヒューイ司祭にはあげませんよ。自分で買ってくださいね」
「ケチだな」
その光景をじっと見つめていたヒューイが、彼らに向かって顔をしかめた。
やっぱり菓子工房の人たちはお菓子が好きなんだな、とアリシアが微笑ましい気持ちで眺めていると、
「ああ、これはちょっと焼き過ぎだな」
「こっちのチュロスは粉っぽい。混ぜ方が足りないんだ」
「このクッキーは薬草くさいな。ローズマリーを入れ過ぎだよ」
……あれ?
「このチュウェットはまあ美味いな。一番人気というのも頷ける」
「そうだねー。香草の量もいい感じ。でも――」
そこで彼らは示し合わせたように顔を見合わせた。そして、
「やっぱり俺たちの作る菓子が一番美味いな!」
「そりゃそうだろ! 比べ物にならないって!」
とても楽しそうな笑い声が辺りに響く。
「なっ? アリシアもそう思うだろう?」
突如振られて、慌てて口の中のチュウェットを飲み込んで頷いた。
「も、もちろんです」
「やっぱりな。そうだろう!」
「よくわかってるー。ありがとうー」
「ヒューイ司祭は? そう思ってます?」
彼らが今度はヒューイに話を振る。ヒューイは笑って、
「ああ、思ってるよ。お前たちは最高だ。そしてうちの大事な大事な金の生る木だよ」
「なんかその言い方、嫌なんですけど」
「素直じゃないですね。アリシアを見習った方がいいですよ」
と彼らは顔をしかめた。
続いてアリシアが黄金色の蜂蜜飴を一つもらったところで、
「じゃあ、俺たちは他を見てくるから」
と、ヒューイがアリシアを連れ出すようにして笑顔で別れを告げた。




