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1 大聖堂へ

よろしくお願いしますm(_ _)m

 まずは働き口を見つけないと。

 ふくらんだ旅行鞄を体の前で抱えながら、アリシア・ミルズは思った。


 都市シャルドの北部にあるこの通りは、職を求める近隣の町や村からの移住者であふれていた。アリシアもその一人である。


 絶対に、ここのどこかで雇ってもらいたい……!

 通りの先には石工いしくや大工、甲冑師、毛織物などの工房が並ぶ。

 先ほどから工房の親方が姿を見せては目ぼしい人物を雇用していくのだ。それを羨ましく見ながら強く思った。


「ねえ」


 と、隣に立つ少女から声をかけられた。


「あなたも近隣の町からきたんでしょう? どこの工房になるかしら。一緒だったらいいわね」


「そうね」と、アリシアは大きく頷いた。


 そもそもどこでというよりは、まず雇ってもらえるかが肝心なのだけれど。

 不安でいっぱいのアリシアとは裏腹に、少女は気軽な様子でぐーっと伸びをした。


「私、欲を言えば貴族のお屋敷で働きたいのよ。それか裕福な交易商人の邸宅とか。もちろん大聖堂もいいわよね!」


 夢見るように語る姿が可愛らしくてアリシアは微笑んだ。その拍子に、背中の中ほどまであるふんわりとした髪が揺れる。


「でも移民の私たちには無理よね。あーあ、早く一年と一日が過ぎてこの都市の住民になりたい!」


 近年、諸都市との交易路が開かれ、香辛料や穀物、鉄、毛皮などの取引が盛んに行われている。

 そのおかげで冨を得た商人たちが治める自治都市。それがこのシャルドである。


 元々防壁の外にあった商人の街を広げて一つの都市となったため、シャルドへの出入りは比較的緩い。

 何よりここに一年と一日居つけば自由人となれるし、市民権が与えられることもある。

 昨今は労働者も引く手数多で、移住者が押し寄せているのだ。


 不意に冬の冷たい風が吹きつけた。

 アリシアはリンネルのシフトドレスに、カートルと呼ばれるワンピースのような毛の衣服を重ねただけだ。少女も似たような恰好をしている。

 二人は同時にぶるっと体を震わせて、そして顔を見合わせて笑った。

 

 笑ったことで気分が落ち着いてきたアリシアは、


「一年間なんてきっとすぐよ。私は職人の工房で頑張るわ。一緒に頑張ろう」


 元気づけるようにそう言った。

 少女が大きく目を見張り、そして嬉しそうに頷く。


「そうね。本当に同じ工房だといいのに。――ねえ、もしもの話だけど、どこでも雇ってもらえるなら、あなたはどこで働きたい?」

「えー?」

「言うだけなんだからいいじゃない。ねっ、どこ?」


 屈託ない彼女の表情につられて、アリシアは思わず本音が出た。


「そうね。シャルド大聖堂以外ならどこでもいいかな」

「えっ、どうして!?」


 彼女が目を丸くした。無理もない。


 この国の都市や街、村には、私的なものを除けばおよそ一堂ずつ聖堂や教会がある。

 洗礼式から結婚式、お葬式、日々の祭礼や行事、子供の教育など、王族からアリシアたち平民に至るまで、日々の生活に密接に関わっているからだ。


 シャルドの中心部にはシャルド大聖堂がある。上級貴族や裕福な商人たちも信者に持つ巨大な聖堂だ。


 街の郊外にある男性用修道院は完全女人禁制だけれど、街中にある聖堂や教会には、数は少ないが女性の使用人もいる。

 だからアリシアたち移住者にとって、大聖堂は手の届かない存在と言えた。


「ねえ、本当にどうして!?」


 彼女は信じられないという顔で迫ってくる。

 しまったなあ。

 口を滑らせてしまったことに激しく後悔した。


 まさか隣町の教会で修道士をしていた兄が、戒律を犯して教会を追い出されたから、なんて言えない。

 さらにはそのせいでアリシアの結婚が破談になった、なんてことも。


 もちろん兄がいた教会と、シャルド大聖堂との間にはなんの関係もない。ただやはりアリシアの感情として、同じ聖職者が勤める場所であるシャルド大聖堂には近づきたくないのだ。


 見れば兄や破談のことを思い出して胸が苦しくなるだろう。だから近づきたくない。


 幸いここは、街の中心部にある大聖堂とはかなり離れている。

 だからなんとかここの工房で雇ってもらって、一生懸命働こう。

 そしてつつましく平和に暮らしていこう。

 そう決めている。


「えーっと……なんだか畏れ多い気がするから、かな?」


 少女は「そう?」と首をひねったけれど、それ以上は追及してこなかった。ホッと息を吐くと、少女が笑顔で自己紹介をした。


「あたし、ミア・ハイドンっていうの。あなたの名前は?」

「アリシアよ。アリシア・ミルズ」


 よろしくね、とアリシアも微笑んだ瞬間、すぐ先の靴屋の前に立っていた男性と目が合った。

 偶然目が合ったという感じではない。ずっとアリシアを見ていた、という感じに思えた。


 何かしら……?

 困惑した。警戒しつつ彼を観察する。


 年は二十代前半、明るい茶色の髪に同じ色の目。とりたてて美形というわけではないけれど、人当たりのよさそうな顔をしている。

 均整の取れた細身の体に、膝上までの丈の毛のジャケットをまとっていた。象牙でできたボタンと襟元の細かい刺繍から、一目で高価なものだとわかる。


 移民には見えないから雇用者かな。工房の職人さんかしら?


 そこで彼の手に固い毛のブラシがあるのに気がついた。あれは確か、織物業者が刈った毛にかけるブラシだ。けば立て職人かもしれない。


 少し安心したところへ彼がにっこりと笑った。人懐っこい優しい笑みだ。思わず気が緩み、アリシアも口角を上げた。


 彼が笑顔のまま近寄ってくる。そして戸惑うアリシアの手をそっと取った。

 えっ、何?

 動揺するアリシアの手を取ったまま彼は笑顔で言った。


「君、うちで働かない?」


 突然のことに言葉も出ない。


「わあ、よかったわね。アリシア」


 隣でミアが嬉しそうな声をあげた。


 どうやら就職先が決まったらしい、と我に返って思った。

 けば立て職人の工房のようだ。充分である。早く仕事を覚えていい毛織物を作ろう。


「はい、ぜひ! よろしくお願いします」


 安堵して深く頭を下げた。

 そこへ今度は、分厚い外套をまとった二十歳過ぎくらいの男性が走ってきた。大きな目を吊り上げて息を切らしている。


「ヒューイ様、捜したんですよ! 勝手にどこかへいかないでください。――あれ、その女性は?」


 男性――ヒューイが笑って答える。


「さっき雇った。うちで働いてもらうよ」

「アリシア・ミルズです」


 もう一度頭を下げる。きっと外套姿の男性もけば立て職人なのだろう。

 彼は呆気に取られていたが、すぐに顔をしかめた。


「またヒューイ様は勝手に雇って。大司祭様に怒られても知りませんよ」


 えっ、今「大司祭様」と言った?

 はじかれたように顔を上げる。

 楽しそうに笑っているヒューイと、呆れたような顔の外套姿の男性に、胸騒ぎがした。


 まさか……。でも、けば立て職人が使うブラシを持っているのよ……!

 必死に自分に言い聞かせる。

 そこでヒューイが手にしていたブラシを、背後にいた老齢の男に笑顔で手渡した。


「はい、返すよ。見せてくれてありがとう」


 ヒューイのものではなかったのか。衝撃である。というより、もはや嫌な予感しかしない。


 外套姿の男性がヒューイを手で示し、丁寧な口調でアリシアに紹介した。


「この方は、うちの大聖堂の司祭様です。ヒューイ司祭。僕はその補佐をする助祭です。これからよろしく、アリシアさん」


 ……えっ?

 嫌な予感は予感ではなかったようだ。ぎこちなく顔を向けると、ヒューイが爽やかな笑みを浮かべた。


「シャルド大聖堂へようこそ」


 やっぱり――!


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