1話
とある砂漠の地にイェラース王国という国があった。
この国は乾季と雨季がある土地柄で水は何よりの貴重品だ。朝から夕方までは灼熱の地と化し夜になって日が沈むとぐんと気温が下がり冷え込む。なのでイェラースの人々は体をすっぽりと覆う薄布の衣服を着て気候の変動に応じていた。ただ、砂と風、空が延々と続く。この国の特産はチェンという猫によく似た生き物の毛で作られた絨毯や緻密で繊細な砂糖菓子だ。後は砂漠に生えるサボテンで醸造したウィンカという度数が高いお酒も名産品になる。
イェラースの当代の国王であるアメンハドは賢王で有名で息子が三人と娘が二人いた。全員、正妃の生んだ子である。正妃はシュルジェといい、隣国のアシュラム王国の王女だった。この二人の末娘で当年取って十七歳の王女は名をシャンティラという。
シャンティラは褐色の日によく焼けた肌に淡くて緩くウェーブのついた金の髪、エメラルドのような翠の瞳が印象的な美しい少女だ。髪は父から瞳は母から受け継いだのだが。そんな彼女はその翠の瞳を細め、眉を顰めていた。
「……父上。それは本当ですか?」
そう言った声は銀で作った東方の国の鈴のように高く涼やかだ。父王は苦笑していた。
「仕方あるまいて。あちらの国がどうしてもと言うのでな」
「はあ。そうですか。でお相手はどなたですの?」
「……スーラ公国の第一公子のルークハド殿だ。今年で二十二歳になるらしい。外見は黄金の髪に赤の瞳の美丈夫だ。性格は穏やかで冷静との事らしいが」
すらすらと説明する父王にシャンティラはちょっと驚いた。ルークハド公子と言ったらスーラ国の皇太子ではないか。そんな男性に自分が嫁ぐというのは無理があるだろう。
「父上。わたくしはまだ嫁ぐと言っていません。でも既に決定事項なのでしょう?」
「まあ。そういう事になる」
シャンティラは深く息をついた。手首につけた細身の腕輪の飾りがシャラと揺れた。母から譲り受けたアシュラムの王族の印でもある。
「……シャンティラ。すまんが。スーラ公国は最近、急激に国力をつけてきている。是非とも味方に引き入れておきたいのだ。もう姉のスーリには婚約者がいるし。嫁げるのはお前だけになる」
父王はそう言うと開け放たれた窓から見えるオアシスの風景を眺めた。しばし沈黙が降りる。シャンティラは仕方ないと腹を括った。
「……わかりました。父上の頼みとあらば。わたくしはスーラ公国に嫁ぎましょう」
「すまんな。その代わり、皇太子が無体を強いてきたらいつでも知らせなさい。迎えを寄越して離縁させてやろう」
「何気にあちらへの嫌がらせになりますよ」
シャンティラがチクリと言うと父王はふっと笑った。
「……かまわん。スーラ公国を味方に引き入れたいのは本当だが。それでもお前を疎かにする男がいたら容赦はせんぞ」
「父上。わたくしは疎かにされても実家にすごすごと帰る真似はしません。もし出戻りになったらスーラ国の大公陛下にご迷惑をおかけしますよ」
「まあ。それはそうだな」
「では。お話はすんだようですし。これにて失礼します」
「うむ。いきなり呼び出して驚いたろう。ゆっくり休むと良い」
シャンティラは一礼をして父王の執務机を出たのだった。
侍女のスーレイがシャンティラに付き従う。スーレイは母のシュルジェと同じアシュラムの出身である。なので年齢は彼女より三歳ほど上だ。
「シャンティラ様。陛下のお話は何だったのですか?」
「……隣国のスーラ公国の皇太子殿下との縁談だったわ。もう決定事項なんですって」
スーラ公国と聞いてスーレイはちょっと目を見開いた。いつも無表情の彼女にしては珍しい。
「そうなんですか。スーラ公国の皇太子殿下は物凄い美丈夫だと聞いています。学問も武芸も優秀で政務の方も辣腕を振るっておられて。しかも性格は穏やかで冷静。この国でも有名ですよ」
「へえ。スーレイは詳しいわね」
「いえ。王妃様から聞いたお話です」
シャンティラは感心してふうんとスーレイを見た。薄い茶色の髪と瞳で白い肌のスーレイは美人と言える。しかもエキゾチックなこの国にはない濃くない顔立ちだった。今は地味な服と髪をひっつめ髪にしているので目立たないが。
「……ふう。もう夕方も近いわね。部屋に戻りましょう」
「わかりました。行きましょう」
二人はそう言って回廊を歩いて行ったのだった。