骨の独り言──ラナ様はよいお母さん
ここから先は本編で書ききれなかった単発のお話になります。
これはレビューを頂いた記念に書いたスケル視点の話です。
時系列としては、第五章前、コモツンの挿し話前の話です。世界修正が終わった後の話です。
じゅるり。
おっと。ついヨダレが垂れてしまいました。でも、しょうがないです。キッチンから美味しそうな匂いがするんですもん。口から液体を出さない方が無理ってもんですよ。
うーん。この匂いはラナ様、お得意のポタージュスープでしょうか。クリーミーな喉越しがたまらない一品です。鍋いっぱいは頂きますよ。
じゅるっ。ひゅっ。じゅるっ。ひゅっ。
ヨダレを出したり引っ込めたりしていると、ラナ様が鍋を持ってきます。おっ。あれは私の分ですね。
さぁさぁ、キャッチ体制は万全ですよ。あっつあつの鍋を両手で受け取りましょう。私の手は白骨ですから、痛覚はありません。どんなに熱くたってへっちゃらです。カラカラ。
カモン!と、両手を広げていると、ラナ様が立ち止まりました。おや?
「あれ? コモツンは?」
ラナ様がダイニングを見渡して言います。
「はて? そういえば見かけませんね」
ポキポキと手の骨を鳴らして言うと、ラナ様がテーブルに鍋を置きます。
「そう……どこに行っちゃったのかな?」
ラナ様の言葉は悪いですが無視させてもらいます。
魔王様がぼけらーっとしている今がチャンスなのです。
この方に鍋を奪わせてなるものですか。
さぁ、熱いうちにいただきましょう。
両手を合わせてスプーンを持った時です。
「ねぇ、スケル。ちょっと探してきてくれない?」
えぇっ? ラナ様……スプーンを鍋につけた私にそれをおっしゃいますか? 行きますけど。
私はじゅるりと出たヨダレを引っ込めて、立ち上がりました。
はぁ……そこのストローでスープを飲み干そうとしている魔王様に、鍋を空にされたら、私はストライキを起こしますからね。
スープを返せー!っと、立て札持って、断固抗議です。カラカラ。
──がさがさ。
コモツンくんを探して森を歩き回る……ってことはしません。きっと、彼はあそこでしょうから。
彼がオレンジ色の花畑にいるのをよく見かけていました。だから、今もそこにいるのでしょう。ただ、そこへの道は雑草が生い茂る悪路。こうやって、草をかき分けないといけません。
私は勇者ですが、人骨ですし、羽もありません。
コモツンくんは羽がありますし、こういう手間はないのでしょう。
──がさがさ。
伸びきった草を掻き分けていくと、オレンジ色の花畑が見えてきました。嘲りの声が聞こえる森の中で、オアシスみたいな場所です。
オレンジ花畑の真ん中はちょっとした広場になっています。
おっ。いました。胎児みたいにまんまるになって、寝ていますねぇ。
私は起こさないように近づきました。
「んっ……」
なるべく骨を揺らさないように近づきましたが、コモツンくんは身動ぎます。起こしちゃいましたかね?
そっと顔を覗くと、ふるりと彼は小さく震えました。
「……キルト……」
小さく呟かれた声。彼の目にはうっすら涙がたまっていました。
怖い夢……
嫌な夢を見ているのかもしれません。だって、彼はきっと、私よりも年下。小さい子どもでしょうから。
彼の言動はまんま子どもですから、幼い子供のうちにモンスターになったのでしょう。
……年端もいかない子どもが、絶望しきってモンスターになる。
胸くそな出来事があったのだろうと、想像します。そのことを思い出しているのでしょうか。
私は着ていた黒いジャケットを脱ぎました。眠るコモツンくんをジャケットにくるみ、そっと持ち上げます。
ほら、私って骨ですからね。固いんですよ。抱かれごこちは最悪です。
だから、せめてジャケットで固さガードです。
子どもを一人で泣かせておけません。連れて帰りましょう。
──がさがさ。
うるさいので後でむしってやろうと思いつつ、草を掻き分けていきます。屋敷の外まできました。おや? ラナ様が外に出てきています。
キョロキョロとしていたラナ様と目が合いました。ラナ様は声をかけようと開きかけた口を閉じて、私たちの方に音を立てないように近づいてきます。
眠るコモツンくんを見て、ラナ様が小さな声を出します。
「寝ちゃったのね」
コモツンくんを見るラナ様の眼差しは優しげでした。
その眼差しを見たら、あることを思いつきました。
「ラナ様。私は骨ですよね?」
「え? そうね」
「骨って固いんですよねぇ。だから、ラナ様が抱っこしてください」
そう言って、ラナ様にコモツンくんを押し付けました。ラナ様は慌ててジャケットにくるまれたコモツンくんを抱っこします。
ちょっとぎこちない抱っこ。私は口元に笑みを浮かべました。
「うん。そうしていると、お母さんですね」
そう言うと、ラナ様は大きく目を開きました。そして、伏し目がちになります。
その表情を見て、やっぱりなと思いました。
今、ラナ様は魔王様と子どもを作るのを迷っていらっしゃるのでしょう。
魔王様のことです。外的要因がクリアになった今、子どもを作ろうと言ったのでしょう。あの人、嫁バカなので、自分の命を省みずラナ様の願いを優先させたのでしょうね。でも、ラナ様は怖くなったのでしょう。
今までは魔王を消すぞー!おー!とかやってたんで、子作りのことは一端、隅においやってました。
魔王様の死が現実味を帯びてきたことで、不意に怖くなったんじゃないでしょうか。
そうなるのはラナ様らしいです。
ラナ様はポジティブな人ですが、能天気な人ではないですから。
それに、お二人の作るギクシャクした空気を見ればわかりますって。
普通、スープをストローで飲みます? しかも、真顔ですからね。分かりやすく動揺しすぎですよ。
まったく。嫁バカなら嫁バカらしく、ちゃんとフォローしろってんです。はぁ、情けない。
ま、出来の悪い主をフォローするのも従者の仕事ですからね。仕事をしましょうか。
「どうかされましたか?」
「え? ……あ、うん……」
歯切れの悪い返事をして、ラナ様はコモツンくんを見つめます。
「お母さんみたいに抱けているのかな……」
自信なさげに言われたので、プレッシャーにならないように、私は軽口をたたきます。
「えぇ、そう見えますよ」
ラナ様は苦く笑いました。
「……私ね。旦那様に、子どもを作ろうって言われたの。でも、返事ができなくって……逃げちゃった」
情けないよねと、言ったラナ様に飄々と言いました。
「え? なんでです?」
「……なんでって……だって、私から子どもを作りたいって言ったのに」
「確かにラナ様から言いましたけど、怖くなるなんて、当たり前じゃないですか。ラナ様は魔王様を好きなんですから」
平然と言うとラナ様は茶色い瞳を揺らしました。ちょっとだけ泣きそうなお顔です。
子作りの問題は、二人が話し合って乗り越えなければならないことだと思います。だから、私ができるのは、少し背中を押すだけ。
ぽんっと。
一歩、踏み出せるように。
二歩目を踏み出すかは、お任せします。
「……ラナ様ならきっと、いい家族を作るでしょうね」
不思議そうな顔をするラナ様に肩を竦めて笑います。
「だって、よく考えてみてください。コモツンくんが話すのってラナ様だけですよ?」
「え?」
「彼は他の人と、しゃべったりしませんもん」
「そうなの?」
不思議そうにするラナ様に苦笑します。まぁ、骨なんでいつもの顔に見えますけどね。
ラナ様にあなた様がいない時の私たちの姿を見せてあげたいです。
絶望しきった目をした魔王様に、遠くを見るだけのミャーミャさん。そして、誰と話もしないでここにいたコモツンくん。魔王様に殺意しか抱いていなかった私。
ラナ様がいるから、私たちは笑えたというのに、この方はちっとも分かっていらっしゃらない。
ま、そこがラナ様らしいですけど。
「あなた様が彼を受け入れたから、彼もまた心を開いているんですよ」
本心を混ぜて、思いを口にしましょう。
「あなた様がいるから彼は、私たちは家族になれました。ラナ様は家族を作るのが上手ですよ。だからきっと、よいお母さんになれます」
笑って言うと、ラナ様が微笑まれました。腕の中には気持ち良さそうに寝ているコモツンくんがいます。
彼はもう泣いていない。
悪い夢は醒めたのでしょう。
「ありがとう、スケル」
ラナ様はいつものように微笑まれました。痛みを乗り越え、恐怖を越えようとする彼女は、母親のするような強い眼差しをしていました。
「いえいえ、とんでもない」
シルクハットを上げて、大げさにお辞儀をします。その仰々しさにラナ様がくすっと笑いました。
おっと、いけません。ポタージュスープを忘れていました。今頃、ストローで飲み干されているのかもしれません。大変です。面白すぎるので、現場を押さえなければ。
「帰りましょうか」
「うん。そうだね」
ゆっくりと、ゆりかごのように歩き出します。
「スケルには素直に言えるんだけどな……」
「魔王様には言えませんか? そりゃそうですよ。あの人よりは度量が広いですもん。私、長男ですからね」
「え? 長男なの?」
「違うんですか? 魔王様が兄とか嫌ですよ。あの甘えたは弟ポジションでしょう?」
「……甘えた……確かに」
納得されたラナ様にでしょう?と話しかけて、骨を揺らして笑いました。
屋敷に戻ると、残念ながら魔王様はスプーンでスープを飲んでいました。空気の読めない人です。体張って、笑いを取りにいってくださいよ。まったく。
「くわっ……」
匂いにつられてコモツンくんが目覚めます。
「めしー! めしー! くーいーもーのー!」
「はいはい」
騒ぎだした彼に動揺することなく、ラナ様はテキパキと動き出します。
それにカラカラと笑いました。
ほら、やっぱり。
ラナ様はいいお母さんになります。
だって、想像できちゃいますもん。
ラナ様がワガママな子どもをあやす姿が。
その日が来ますように。
できればそう遠くない未来がいいですね。
私は一番の願いを秘めて、席に着きました。




