ある王の告白 ※虫注意
虫が苦手な方はご注意ください。
王家の立ち位置の話になります。
私は昔から何をしても鈍くさかった。
二つ年上の兄は私とは逆に堂々としていた。兄が堂々としているのは優れた知性や剣術があったからだ。そして何より、次期国王としての誇りがあった。
だから、弟である私はそんな兄を補佐する役をしようと心に決めていた。そのため勉学にのめり込んだ。
兄が楽に国政をできるように今のうちからできることをしよう。そう心に決めていた。
秀でた兄は当然、周囲の期待を一身に集めた。弟である私の存在は薄れていった。しかし、私は平気だった。
父と母が認めてくれていたからだ。
「お前は輝く存在感はないかもしれない。しかし、周囲をよく見る力がある。それは王家にとって一番大事なことだ」
優しく目を細めながら、そう父はよく口にした。それはいつしか私の中で揺るがない柱となる。
兄と比べられ影で何を言われようと私は気にしなかった。
兄は素晴らしい人だ。
きっと国王となったらいい国を作ってくれる。
そう信じていた。
しかし、それは叶わないことになる。
周囲の期待を一身に受けた兄のプライドは高まり、誰も止められないところまで肥大していった。
そして、兄はついに王家が守るべきタブーをおかそうとしていた。
王家の人間は世界の真実の姿を知っていた。
人がモンスターになることも。
魔王がその秩序を守っていることも。
それは王家のみが知る秘密で、その理を曲げることはタブーとされていた。
しかし、兄は自分こそが国を守る剣であると思い込んだ。そして、父と母に恐ろしいことを進言する。
「なぜ魔王に犯罪者を任せなければならない。あんなモンスターに平和を一任するなど間違っている」
「魔王などという異形の者に国の秩序は任せておけない。私が王となった暁には魔王に嫁ぐ習わしも一切、廃止する」
年を召した両親に向かって兄は演説をした。しかし、二人の反応は冷ややかなものだった。
「愚かな…世界の理を曲げるなどあってはならん。お前がやろうとしていることは国に災いしかもたらさん!」
穏やかな父の怒号を初めて聞いた。
それに怯むことなく兄は魔王の排斥、花嫁廃止の演説を続ける。
父は態度を変えることなく兄を切り捨てた。
「お前の王位継承権をこの場をもって剥奪する。思い上がりもほどほどにしろ」
「そんな…私は国のために…!」
青ざめすがる兄に父も母も聞く耳を持たなかった。両親が足早に去り、部屋には私と兄だけになった。
絶望した兄の背中を見つめ私は何を言えばよいかわからなかった。黙っていると、突然兄は気が触れたように笑いだした。その恐ろしい声に私は足がすくみその場に座り込んだ。
「父上も朦朧したな。この私の言葉が耳に入らぬとは」
「兄上…」
「私以外の誰が王になるというのだ! まぬけでノロマなお前が王だというのか!」
「兄上…落ち着いてくださいっ」
首を締め上げられ苦しくて息ができない。間近には目を血走らせた兄がいる。
このままでは…!
兄を犯罪者にしてしまう…!
私は精一杯の抵抗をし、どうにか抜け出した。
空気を求めむせ返り、呼吸ができずに吐いた。
兄は汚い者を見るような目付きで私を一瞥し、さっさと部屋を出ていってしまった。
それが人間の姿の兄を見た最後だった。
「嘘ですよね…」
翌朝、両親に呼び出された私は小さな箱に入った蛾を見た。蛾は死に絶えていた。焦げた痕がある。
掌にのりそうなくらい小さな蛾だった。
それを両親は兄だと言った。
私と別れた後、兄は父上の所へ再度直談判に行ったらしい。父上の説得も虚しく兄は理性を失いモンスターとなった。
モンスターとなった兄は光に誘われるように蝋燭へと飛んでいったらしい。
そして、呆気なく燃えて生を終えた。
私は信じられなかった。
あの兄がこのような小さなモノになったなど。とても、信じられなかった。
「これが真実です。この世界は優しい世界ではないのですよ」
母が呆然とする私の両肩を持つ。
その目には涙が溢れていた。
「いいこと。あなたが王になるのです」
「私が…そんな…」
「よく覚えておきなさい。ミューゼン。王に必要なのは立派な志ではありません」
「この国の人々に上手に嘘をつくことです」
嘘を…
「自分がモンスターだと知れば人々は混乱し絶望します。最悪、この国から人間がいなくなります。それを避けるのが王家の務めです」
母の肩を掴む力が強くなった。
同時に左の目から涙が零れ落ちる。
「弱くていい。愚かでもいい。あなたは周りをよく見て自分が何をすべきかよく分かる人です。今日という日を忘れず、魔王様への敬意を忘れずにいなさい」
母の悔しさ、思いは痛いほど伝わってきた。私は大きく頷いた。
そして、兄が入った箱をそっと取って大事に抱えた。
「父上、母上。兄上の埋葬を私がしてもいいですか?」
棺となった小さな箱を撫でる。
「私は最後に兄上と喧嘩してしまったままなのです。だから、私の手で兄を葬りたいのです」
愛しく棺を撫でながら言うと、両親は何も言わずに頷いた。
私にはお気に入りの場所があった。
どんくさい私でも唯一登れる木があったのだ。そこは王宮からちょっとした死角になっており、雑音から逃げたいときはよくこの木に登った。
その木の根本にしゃがみ、手で土を掘り起こす。
土で手が汚れ、木の根に爪が当たり血が滲んだ。それでも構わず掘る。
汗をかき固い土を掘りながら私は独り呟いた。
「兄上…私は本当にあなたを尊敬していました。誰よりも誰よりも」
土に汗と涙がしたたり落ち、色を変えていく。
「だから兄上の横に立てる日をいつもいつも夢見ていたんですっ…」
視界が涙で歪む。
手が思うように動かず震えていた。
「なのに、なんでっ…!」
私は土をかきむしるように抱きながらその場にうずくまる。
声が枯れるまで泣きわめき、一人、兄を思った。
やがて兄を丁重に土に還した私は泥まみれのまま両親の元へ向かった。
途中、何人かに声をかけられたが構わず足を進めた。
そして、両親に告げる。
「私は王になります。愚かで嘘つきの王になります」
迷いはなかった。
そして数年後、私は王となった。
兄は長期療養ということで醜聞が隠された。私の即位に誰もが残念がったが、それでもよかった。
私にはやるべきことがあったから。
両親の言葉を常に心の中にとめ、人をよく見た。
幸い私の周りにはその分野に秀でた優秀な者がいる。あとは皆が思う通りにしてくれればよい。
しかし、皆、王の意見を尊重したがり、私に意見を求めた。自分の意見を言わない周りに私は一つ道化を演じた。
「え、えらいこっちゃ! どうしよう!」
元々、鈍いイメージのある私にこの言葉は板についていた。ため息をつかれつつ、周りは次々に意見を出し合った。
私がすべきことは周りの才能を見極め、適所に人を置くことだ。
人にはそれぞれ違った素晴らしい才能がある。かつてどんくさいと言われ続けた私を誉めてくれた両親のように、私は人の才能をより発揮できる場所へと位置付けていった。
影では「えらいこっちゃ王様」などと呼ばれている私だが、国は今日も平和だ。
私の望みは充分、叶えられていた。
そんな日々を繰り返し、やがて魔王の花嫁を探す日が訪れる。
さすがに困った。
えらいこっちゃも通用しない。
私も人の親になったため、嫁がせたくない気持ちは充分わかっていた。
弱り果てた時に一人の娘がやってきた。
茶色い、澄んだ目を持つ娘だった。
その娘は魔王の肖像画を見せてもちっとも動じずなぜか従者からしきりに目を逸らしていた。
私は信じられない気持ちで「本当に大丈夫か?」と問いかけたが、彼女の眼差しの強さは変わらなかった。
勇気ある彼女に敬意をと思って盛大な晩餐を用意した。
花嫁衣装に身をつつんだ彼女はピースをしながら無表情で写真を撮ったらしい。
なんとも不思議な娘だ。
せめて見送りにはファンファーレを鳴らそうと用意をしていたのに、魔王の従者がガイコツで腰を抜かしてしまった。
その隙に二人はとっとと王宮を去っていく。なんとも情けない国王だった。
花嫁を見送った夜、私は一人あの木に登っていた。太った体が邪魔をしたが、なんとか登ることができた。
木に登り空を見上げる。
星が美しく瞬いていた。
あの娘の両親へ報償金は届いただろうか。彼女の写真と共に。
彼女の両親のことを思うと胸が詰まる。
慰めになればと思って私からの手紙も添えてある。
本当は自分で行きたかったのだが、それは叶わない。王とは窮屈な存在だ。
まぁ、そんなことをしてもただの自己満足にしかならないのだが…彼女の両親に会ってできることを何かしたかったのだ。
一息ついて報告をする。
なんだかんだで、ここで兄に報告するのが癖になってしまっている。
「兄上…花嫁が嫁いでいきましたよ。兄上のやりたいことではなかったと思いますが、私はこれで良かったと思ってます」
「国は平和です。だから、どうか安らかに…」
亡き兄を思い空を見上げる。
同じ空の下。
嫁いでいった彼女も見上げているだろうか。
願わくば、勇気ある彼女に多くの幸せがあらんことを。
次からは第一章です。またライトな感じに戻ります。