尊い夢と続く彼女の話
目を開く。その拍子に一筋の涙が流れた。優しい夢で起きた朝はまばゆい光の中だった。
ゆっくりと、体を起こす。そして、すすり泣く声に話しかけた。
「あなたが……”彼女”さん?」
どうしてそう思ったのか分からないけど、そうとしか思えなかった。
私はベッドから身を起こして、ちょこんと座り、すすり泣く声の方を向いて、じっと待つ。
やがて、向こう側が透けた”彼女”の姿が見えてきた。私にそっくりな女の子だった。今の私と同じようにパジャマを着ていた。”彼女”は、身を小さくして、顔を覆って泣いていた。
その姿はどこか見たことがある。
あぁ、そうか。
私が外に出られなくなってしまった時だ。周りのモンスターの姿が怖くて引きこもっていたあの時代。ブクブク太っちゃったことに驚愕して、私は立ち直ったんだっけ。
あの時と同じくらいの年齢かな。”彼女”は太ってないけど。むしろ、ガリガリだけど。
”彼女”を見ていると、あの頃の自分を思い出してしまった。
”――どうして……”
すすり泣きが、大きくなる。
”――どうしてよ……!”
”彼女”が顔を上げた。そこには幼い頃の自分がいた。絶望うちひしがれていた自分がいた。
”――同じ愛菜なのに、あなたは笑ってられるのよ!!”
”――うあぁぁん! あぁぁぁ!!”
切り裂くような絶叫。
脇目もふらずに”彼女”は泣いていた。
その声と共にある映像が頭に流れ込んでくる。
これは、”彼女”――愛菜の記憶。
――――……
愛菜は幼少期に車の事故で額に傷を負ってしまった。祖母がつけたものだった。
愛菜の両親と、父方の祖母は折り合いが悪く、愛菜の母がいない隙を見計らって、祖母は愛菜を連れ出した。チャイルドシートをつけていない運転で事故を起こし、愛菜は頭を強打。命はとりとめたが、額に傷を負ってしまった。
命をとりとめた祖母とは縁を切り、両親は遠い土地へ引っ越した。
女の子の顔に傷ということで同情心で見られ、深い傷を見た同じ子供は怖がった。
『おばけだ!』
『違うよ。にーちゃんがやっているゲームのモンスターだ!』
囃し立てる子供の声に愛菜は深く傷ついた。
母にすがって泣くこともあった。母は優しく抱きしめてくれて、何度も慰めを口にしてくれる。
『愛菜ちゃんは可愛い、可愛い。わたしの自慢の娘よ』
そう言って母は小さな猫のぬいぐるみを愛菜に手渡した。母はおどけてしゃべりだす。
『私は猫のミャーよ。愛菜ちゃん。私のお友達になってくれませんか?』
その言葉に愛菜は涙を引っ込めて、ミャをそっと手にとった。その顔がふわりと花が開くような笑みに変わる。
『……お友達……私のお友達』
それが小さな猫のミャーとの出会い。
初めてのお友達との出会いだった。
母は愛菜の前では明るく振る舞っていた。
でも、愛菜は知っていた。優しい母が自分以外で泣いていたことを。
夜、ふと目が覚めた時、父の前で泣く母を見た。
『――わたしのせいだわ……わたしがお母さんとはうまくやれれば……愛菜に怪我をさせなかったのに……』
父は苦痛に顔を歪めて違う!と聞いたこともないような声で叫んでいた。
『――僕が不甲斐なかったんだ……もっと早く逃げていれば、こんなことには……すまない……千愛』
両親も苦しんでいた。それが更に愛菜を追い詰めた。
愛菜は前髪を伸ばして、傷を目立たなくしようとした。自然とうつむく表情が多くなり、何か言われるんじゃないかとビクビクするようになる。当然、友人らしい友人もできなかった。
暗い表情の愛菜を周りの子供は近づかなくなった。愛菜は図書館にこもるようになる。本だけが友達だった。
やがて、愛菜は物語の世界に浸るようになる。辛い現実を忘れてくれるファンタジーの世界は愛菜の心を明るくさせた。
そのうち、自分もこんな世界のお姫様になりたいと夢見るようになる。
そして、こっそりと物語を書いた。自由帳に自分の名前を使って、幸せになる話を書いた。
愛菜と書くのはなんとなく恥ずかしかったので、ラナとカタカナで書いた。
最初は勇者が来て、悪い魔王を倒す物語だった。囚われてしまったラナを格好いい勇者が来てくれる話。話はめでたし、めでたし、ハッピーエンドで終わる。
何度も何度もハッピーエンドで終わる幸せな話を書いた。
そのうち、図書室にあったマンガの影響で悪ぶっている魔王様の話に出会う。その魔王様の虐げられた環境にラナは自分と彼を重ねた。
『同じ国に生きるものなのに、どうして差別をする。どうして、魔力が高いというだけでそこまで、嫌われなくてはいけないんだ!』
大きすぎる魔力のために封じられてしまった魔王。魔王は元をたどればその国の王子だった。人とは違うからという理由で畏怖の念を抱かれてしまった彼に愛菜は心を寄せた。
自分だって傷があるだけで、同じ人間だ。なのに、どうしてわたしは独りなのだろう……
魔王に同情した愛菜は彼と自分がハッピーエンドとなる物語を作ることにした。
『こうして、魔王とラナは幸せになりました。めでたし、めでたし』
自分で作った物語は宝物のようだった。あの物語では嘆いていた彼を救ったような気に浸った。
そんな宝物が人目に晒されることになる。愛菜にとっては傷つく出来事だった。
図書室で、こっそり物語を書いていたのをクラスメイトに見つかり、からかわれたのだ。
『ラナだって、これお前か?』
『げっ。気持ち悪りぃ』
『返して!』
クラスメイトには気持ち悪くても、愛菜にとっては宝物のような存在だった。
返してと手を伸ばしたノートを引っ張っていくうちに、紙が嫌な音を立てた。
ビリビリ。
引き裂かれる物語に愛菜は唖然とした。愕然とする愛菜にさすがに悪いと思ったのか、クラスメイトは愛菜の顔を覗き込んだ。
『っ!』
その時、クラスメイトは隠れていた傷を見てしまった。あからさまにひきつる顔を見て、愛菜はノートを抱えてその場から逃げ出した。
部屋に戻って泣いた。泣きわめいた。
破けてしまったページを元に戻そうとするのに、手が震えてうまくセロハンテープが張れない。ぐしゃぐしゃにシワでよれたハッピーエンドの文字。それが悲しくて悲しくて、愛菜は泣き続けた。
それから、愛菜は引きこもるようになる。
不登校になり、部屋でじっとうずくまる事が多くなった。担任やクラスメイトが義務的に訪れたりしたが、愛菜は心を開くことはなかった。
どうして? なんで? 何が悪かったの?
自分が悪いという気持ちは反転し、やがて、憎しみになる。
あいつらが悪いから。みんなが悪いから。
思春期を出てない幼い愛菜は憎むことでしか平静を保てなかった。
心が弱いといえばそれまでだろう。
しかし、一つは小さくとも数々の悪意の積み重ねに愛菜の心は耐えきれなかったのだ。
ノートに恨みつらみを書く日々。
ふと、ハッピーエンドの物語を書いてきたノートたちが目に入った。
目を見開き、乱暴に取り出し、黒いサインペンを振り上げると、物語の文字を塗りつぶしていった。ぐちゃぐちゃに。もう読めなくなるまで跡形もなく。
『こんなうまくいかない! 全部、全部、全部、おとぎ話なんだ!!』
叫びながら、愛菜は何冊も書いたハッピーエンドの物語を黒で塗りつぶした。自らの悪意で壊してしまったのだった。
息を切らし、無くなった物語たちに愛菜は絶望した。希望もなにもかも打ち砕いてしまい、絶叫した。そして、そのまま衝動的にカッターナイフで手首を切った。
それからの記憶はない。
――――……
私は愛菜を見つめた。
そして、そうかと妙に納得した。
私は”彼女”が書いたもう一人のラナだったのね。
そして、ここは愛菜が書いて壊した物語の世界なのね。
作られたキャラクターたち。
その言葉の意味をようやく理解した。
憤りはなかった。
ただ、静かにそれを受け止めていた。
壊してしまったかもしれないけど、愛菜の最初の願いは幸せだった。それは変わらないと思うから。
だから、どうして幸せになれるんだと、目の前の幸せを否定したがるわたしを抱きしめた。
悲しみを包み込むように。
ひとつづきとなるように。
私はわたしを抱きしめた。
わたしは、私を抱き返した。
私とわたしは願いを、思いをひとつにする。
認めて。
認めて。
――わたしは、ここに居るよ? 透明な人なんかじゃないよ?
拒まないで。
拒まないで。
――少し変わっていても、同じ人間だよ? あなたと同じで息を吸って、吐いているよ。
手を繋いで。
手を繋いで。
――だって、一人じゃ歩いていけない。
誰かが手を繋いでくれるから、歩けるんだよ。
嘲りの声しかなくても。
晴れ間がない曇天の下でも。
先が見えない道でも。
手を繋いでくれれば、歩いていける。
繋いだ手の中に希望が見えるから。
顔を上げて、前を向けるんだよ。
咽び泣くわたしの両方の手を取る。しっかりと握りしめる。そして、笑顔で言うんだ。
「そろそろ認めて。私はバカみたいに幸せよ。それは分かっているはずでしょ?」
私はバカみたいに幸せになってやった。
わたしが作った世界でハッピーエンド。めでたし、めでたしを迎えようとしている。
わたしはグズグズに泣きながら頷いてくれた。それに目を細めて、コツンと、おでこに向かって頭突きをする。そして、わたしに向かって微笑んだ。
「これからは私が愛菜と手を繋ぐ」
「だって、あなたは私だもん! ずっと手を繋いでいられるわよ!」
どこまでも明るく言った。
泣いてハッピーエンドはちょっと悲しい。
笑って、笑って、笑って。
そして、ハッピーエンドを私は迎えたい。
「ミャーミャにお別れをしたら、一緒に帰ろう。愛菜も、目を覚まそう」
愛菜はまた泣いて、何度も頷いていた。
私はミャーミャとお別れをした。
ミャーミャが幸せだと言ってくれたのは嬉しかった。
ミャーミャにこの世界は任そう。
私は愛菜と一緒にリアルの世界へ。
私たちはしっかりと手を繋いで、世界に溶けていった。
――――……
目が覚めたとき、母と泣き顔が目に入った。母の背後に病院の天井らしきものが見える。長い時を眠っていたらしい。
わたしの体はすっかり大人になっていた。
強いショック状態から眠りから覚めなかったわたしは何年も何年も病院にいたらしい。
その間、ひどく優しい夢を見た。
ひどく優しい人たちに囲まれた夢を見た。
醜くなってしまった自分の姿。
それに抗い懸命に向かう人たち。
自分で作り上げたキャラクターなのに、彼らは意思を持ち、わたしの世界を生き抜いていた。
『……どうやら、作者の意図を越えてキャラクターが育ったんだね』
『作者は時に都合のよいように物語やキャストを配置する。だけど、描かれるキャラクターはいつも作者の想像を越えるんだよ』
『どうやら、この世界のキャラクターは自我を持ちすぎたようだ』
キールというキャラクターが言っていた言葉だ。全くその通りだと思う。
加えるならわたしはもう一つを付け加えたい。
――わたしはキャラクターたちに救われた。彼らの生きる姿が、わたしに生きようと思わせてくれた……と。
この世界は物語みたいに都合よくはいかないし、悪意も減らない。わたしは、その現実にこれからも打ちのめされるだろう。
だけど……わたしは一歩を踏み出してみたい。
手のひらを見つめる。
そこには誰の手の感触もなかった。
でも、わたしはこの手で作ったキャラクターたちが絶望に何度も立ち向かったことを覚えていた。
希望はこの手のひらの中で作られた。
だから、うつむかないで前を見ようと思う。
長いリハビリを経て、自宅に一時帰宅が許されたわたしは久しぶりに自分の部屋に戻った。そこはきれいになっていて、何も変わらなかった。母や父がそのままにしてくれたのだった。
自室に行くことを不安がっていたが、わたしは扉を開いたままにしておくことで了承を得た。
わたしは壊してしまった物語が書いてあるノートを広げた。ドキドキした。もしかしたら、彼らの物語が書かれていないだろうかと、淡い期待をしたから。
しかし、物語は塗りつぶされたままだった。そんなことは起こらないか……と、ふっと目を細める。
ペラペラ。
ページをめくって、最後のページに目を見張る。恐る恐る、書かれた文字を手でなぞった。愛しい気持ちでその文字を見つめていると、目の奥がツンとした。
「そっか……これだけは消えなかったのね……」
最後に書かれた文字を見つ続けた。そこにはこう書かれていた。
そして、魔王とラナは幸せになりました。
めでたし。めでたし。
書き残したものはないです!とコメントでは言い切っておりましたが、いくつか心残りがありました。魔王とハエの王様を会わせること。ラナと愛菜の話。そして、愛菜の話です。
魔王とハエの王様は夢の話ですが、同じ悪役を背負い鏡のように表と裏でいた二人を会わせてあげたいな。それができたら、一つの節目だろうと思っていました。
ラナと愛菜の話は、この物語を裏から見た話なので見る人によってはあまり気分がよい話ではないかもしれないと思っています。ラナたちを彼女の犠牲にしたのかと思われても仕方がないかな……と。そんな思いもあり、愛菜の話は深堀できずにいました。
なのつく魔物様に絵を頂き、物語から離れた今だから書けた話でもあります。捉え方は様々だとは思いますが、私は公開してよかったなと思っています。
機会を与えてくださったなのつく魔物様に感謝を。そして、ここまで読んでくださった皆様へありがとうございますを。心より伝えたいです。
りすこ




