頂き物「結婚式の絵」+ 尊い夢の話
なのつく魔物様より、結婚式の絵を頂きました。それを見ながら書いた私の中で心残りだった話です。
「ラナ、結婚式をしようか」
そう旦那様に言われたのは、ふぅと一息付いた午後の昼下がりだった。ちなみに私は畑仕事を終えて、泥だらけになってしまったので、ひとっぷろ浴びて、ほこほこの状態だ。ついでに、冷たいレモン水でも飲もうかなと、いそいそとキッチンにある冷蔵庫の扉を開きかけた時である。
何が言いたいのかというと、私は完全に無防備だったのだ。
旦那様はというと、立ち上がってキッチン越しに、私に向かって愛しげな表情で見つめている。畑仕事をしていたので、服は作業着だ。ちょっと泥がついている。
俺にもレモン水を一杯と、言われた方がしっくりくる見た目であった。
状況と台詞が全く合っていなくて私はもれなくフリーズした。
無表情で固まっていると、旦那様の形のよい眉がつり上がる。
「ラナ、どうした?」
いや、どうしたもこうしたもじゃない!
その一言に私はようやく我に返り、心の中で叫び倒す。
お、落ち着け!
とにかく、落ち着け!
えっと、目の前のこの人はなんと言った?
確か……結婚式をしようだったような……
――は?
なぜ、結婚式……???
疑問しか出てこなくて私はやはりフリーズした。
冷蔵庫の扉を持ったまま固まり続ける私に旦那様は不思議そうな顔をして、近づいてくる。あ、冷蔵庫の扉を閉められた。電気がもったいないものね。
そして、両肩を抱かれ、旦那様と向い合わせになるようにされる。長い爪が伸びた青い手のひらが私の前髪を上げて、おでこに触れる。そして、小首を傾げられた。
「具合が悪いのか?」
心配そうな顔をされたが、じとーっと見てしまう。何もわかっていない顔に、そういうことではない!と、言いたい。
無表情に固まった私の目を見て、旦那様はますます不思議そうな顔をした。そして、私の気持ちを代弁するように呑気な声が聞こえていた。
「はぁ……旦那様って、女心が全くわかっていませんよねぇ~」
リビングの椅子に座っていたスケルが大げさに両手を広げてため息をつく。
「ふふっ。でも、魔王様らしいですわ。初々しくていいじゃありませんか」
ミャーミャも声をだす。ミャーミャは、スケルの横に座って、何か縫い物をしている。あれは、白い服? 服にしてはやや大きい。
「えー、でも。結婚式をしようなんて、もっとロマン溢れるところでしてほしいですけどね。あれ、絶対、タイミング間違えてますよ?」
スケルの意見に同意する。
「しょうがありません。魔王様、いつ言おうかなと、朝からずっとソワソワしていましたからね。勢いあまって言ってしまったのでしょう」
そうか。だから、このタイミング。そわそわする旦那様、可愛い。
私のおでこから手を離して、旦那様は嫌そうに二人を見つめた。
「お前ら……」
言われ放題の旦那様のお怒りは深そうで、眉間にシワが寄りまくっている。私はなんだかおかしくなってしまって、クスッと笑って、旦那様に声をかけた。
「旦那様、結婚式を考えてくれていたのですか?」
そう言うと、旦那様は肩を上下に動かして息を吐き出す。
「夫婦になったとはいえ、結婚式はしていなかったからな。それに……」
ふっと空気が和らぐ。旦那様は柔らかな笑みを浮かべて、しっかりと私を見つめた。
「最愛の花嫁に感謝の気持ちを伝えたかったから」
「え……?」
ゆっくりと両手を握られる。青い手はあったかかった。
「結婚式は俺たちからラナへの感謝の気持ちだ。ラナが来てくれたから俺たちは幸せになれた。だから、俺の花嫁に感謝と誓いをしたい。皆が祝福してくれる中で」
その言葉は優しく深い愛情に満ちていた。旦那様から視線を外し、スケルとミャーミャを見つめる。二人とも微笑んでいた。家族が私の為に結婚式をしてくれる。そんなの嬉しいに決まっている。
ここに来たとき、花嫁のドレスは着たけど、私たちはまだ本物の家族ではなかった。今度は本物の家族となって花嫁衣装を着れるんだ。
嬉しい……
どうしよう。
泣きそうだ。
じわっと目尻に涙が溜まった。両手を掴まれてしまったから、拭えやしない。鼻をすすったら、ポロっとこぼれてしまった涙。慌てて止めようと思ったのに、次から次へとあふれてしまった。
「旦那様、ありがとうございます……スケルもミャーミャもありがとう……」
うるうるの声で言うと、みんな笑顔で頷いてくれた。
ぐすんぐすん鼻を鳴らしながら、私は結婚式の話を聞いた。聞いたらびっくりしすぎて涙が引っ込んだ。
「お、王宮でですか?」
ついどもってしまう。それはそうだ。だって、結婚披露宴の会場は王宮内の大広間で行われるというのだから。びっくりするしかない。
「国王陛下がぜひにって言ってくださったんですよ。準備は滞りなく進んでいますからね」
ミャーミャが縫い物をしながら朗らかな口調で言う。よくよく見るとミャーミャの縫ってあるものって……ドレス?
え? 手縫い!?
「ミャーミャ……それ……」
ぎこちなく指差すと、ミャーミャは弾んだ声で話してくれる。
「ラナ様がお召しになる花嫁衣装ですよ」
やっぱり! でも……え? えぇっ!?
「ふふっ。チア様と相談しましてね。チア様はベールを私はドレスを作ることにしたんですよ」
幸せそうな声にひっこんだ涙がまた出そうになる。
「そんな……そこまでしなくても……」
遠慮してしまうと、すっとミャーミャの目が細くなる。あれ? なんか、糸が今、ブツンって猫の爪で切られたような……あれれ?
「何をおっしゃいますか。一針一針、思いを込めて縫わせて頂きますわ。幸せになりますようにと」
とってもありがたい言葉なのだけど……なんか、空気が重い。
「ミャーミャさん。そのブラックな目で縫ってると、願いというより、呪いっぽいです」
スケルが飄々とツッコむ。私は同意する。
「あら、そんなことありませんわ。夜なべして花嫁衣装を作るなんて……幸せです」
また猫の爪でブツン。糸が切られた。なんとも言えない空気が漂いだす。
ミャーミャ……普段は穏やかなんだけど、時折、ブラックな顔をする。その顔は怖い。……愛が重い。
ご機嫌で縫い物をするミャーミャにそれ以上、なにも言えずに私は気を取り直して、レモン水を口にすることにした。
その日の夜。旦那様の部屋でのんびりしていた私は途中で終わってしまった結婚式の話をさらに詳しく聞いた。
結婚式、といっても神に誓うわけではなく招いた全員に夫婦であることを誓うというものだった。魔王が神に誓うというのがヘンテコだし、私もみんなに誓う方が嬉しい。だから、わかりましたと伝えた。
招く人は私たちが出会った人全員だ。
私たち家族はもちろん、お父さん、お母さん、それに王様と王妃様。アッシャーさんに、キールさん、グランさんまで来てくれるらしい。
みんなが揃うなんて! 私は嬉しくて足をパタパタさせた。
「旦那様、ありがとうございます。とっても嬉しいです」
そう言うと旦那様も幸せそうに目を細めてれる。寄り添うように伸ばされた手に身を委ねようとした時、私はあることを思いついた。すいっと、旦那様の手が空振る。
「そうだ! 旦那様! クッキーを焼きましょう!」
片眉を吊り上げていた旦那様に笑顔で言う。
「来てくれる人全員に何かプレゼントをしたいです。二人で焼いたクッキーを手渡ししましょう!」
我ながらナイスアイディアだ。私への感謝と言ってくれたが、私だって皆に感謝したい。そのお礼になればと、クッキー作りを提案した。
「一緒に作ったものを皆さんに配りましょう! クッキーは幸せな家族のあかしですからね」
私たちにとってクッキー作りは特別なものだ。作るのは楽しくて、食べたら美味しい。色んな形のクッキーたちは見ているだけで、ほっこりしてしまう。何度も何度も家族と作ったクッキー。それを皆に振る舞えたら。想像するだけで顔がにやけてしまう。
「クッキーを一緒に作りましょうね」
そう言うと旦那様の眉が下がり、目が優しくなる。
「そうだな。俺たちを一つにしてくれたものだしな」
思いが通じて嬉しくなってしまう。ニコニコと笑っていると、旦那様が私の頭を引き寄せて、自分の肩にこてんとのせた。
「クッキーはいいとして、もう一つ大事なものもあるぞ」
「何ですか?」
この時の私は来る結婚式に夢が広がって
、ふわふわした心地よさの中にいた。たぶん、いつもなら察するはずの旦那様の嬉々とした声色にも気づかないほど。
ゆるり見上げた旦那様の表情は胡散臭いほど爽やかだった。
「誓いのキスの練習をしとかないとな?」
・・・・・・。
はい?
目をパチクリとしばたたかせる私の頬に青い手を添えて、ちょっぴり意地悪な顔で旦那様はのたまう。
「ラナはキスする時、いつも変な声を出すだろ? 誓いのキスをする時にそれだと格好がつかない。だろ?」
ジリジリ迫る旦那様に冷や汗が垂れてくる。
いや、ちょっと、え?
待って!?
「むふっ!」
口が塞がれると同時に変な声が出る。すぐ離れた旦那様は楽しげに笑っていた。
「ラナ?」
「は、はい?」
「もう一回」
「まっ! ――――むふぅ!」
様々な変な声を出しながら、旦那様による誓いのキスの特訓は続くのだった。
そして、結婚式当日。
特訓を経て、クッキーも作り、メッセージカードを添えてラッピングもした。準備も整った。後は行くだけだ。
私は捕獲用の網を手に持った。
キリッとした表情で捕縛する相手を見据える。相手は声を詰まらせ、私を睨みつけている。
ジリ……ジリ……
距離を詰めていく。妙な緊張感が漂う中、耐えきれずに相手が飛ぶ。
――今だ!!
すかさず網を投げる。忘れているかもしれないがこれは投網用の網だ。見事、網にかかった相手はジタバタともがいていた。
「離せやいっ!」
相手――コモツンを捕まえて、私は額の汗をぬぐい、息を深く吐いた。そして、捕縛した相手に淡々と言う。
「コモツン。王宮に行くよ。いい子だから、大人しくしなさい」
「べぇーだ!」
「美味しいものたくさん食べられるから行こうね」
「フンだ!」
私は服を着ていないすっぽんぽんコウモリに紫色のベストと、童話の中で王子様が身に付けているような白いかぼちゃパンツを履かせて、網に捕縛したまま馬車に乗り込んだ。
王宮に着くと、ハエの王様が出迎えてくれていた。王様の横には美しい蝶がヒラヒラ舞っている。王妃様だろうか。二人はちっちゃな目をにこりとさせていた。
「魔王様、ラナ様。王宮へようこそ」
王様がお辞儀をするように羽音を立てる。蝶も小さな頭を下げるように舞っている。旦那様は微笑を浮かべていた。
「国王。こちらこそ、俺たちの無理を聞いてくれて感謝する」
「いえ、とんでもありません。光栄なことです」
そう言うと王様は羽音を弱めて静かになってしまった。表情は分からないが、旦那様をじっと見ていた。そして、ふっと、静かな口調で話し出す。
「……あなた様に会えたら、お話したいことがたくさんあったんです。でも……言葉になりません」
たくさんの思いを一つに集めたような声だった。
「俺もな。お前に会えたら語りたいことはあった。……礼を尽くしたいと思っていた」
旦那様も同じような声で言う。私にですか?と不思議そうにする王様に旦那様は手を差し伸べた。
「俺たちを守り、盾となってくれたことを感謝する」
それに王様は呆気にとられたようだった。少しの沈黙。その後に、ブウウンと嬉しそうに羽音を鳴らした。
「そんな……私は役割をしただけです。あなた様と同じく……」
王様が小さな手が旦那様の青い手に触れる。二人は握手を交わした。
「魔王様、ありがとうございます。あなた様のおかげで、この国は平和です」
「それは……お前が民に立ち上がる力を持たせたからじゃないのか?」
二人の手が離れる。王様はケラケラと笑った。
「私の周りが優秀なのですよ。それに、民が私の想像より、強かったというだけです。なんせ私は、この国で最も仕事をしない人でしたから」
その明るい声はこの王様の器の大きさを表しているようだった。その声に旦那様はそうかと目を伏せて笑みを浮かべていた。
不思議な、不思議な光景だった。
二人は初めて出会ったはずなのに、何もかもを知っているような顔をしている。目に見えないもので二人は結ばれているような気がした。
表と裏で。まるで鏡のように一つとなって、二人はこの国の平和を維持にしてきたのかもしれない。
立場を越えて、線を飛び越えて、二人が出会ったことが何より嬉しかった。
あぁ、ひとつづきとなったんだな……
そう思えてならなかった。
この日の為と用意された大広間に入る前にわたしはミャーミャお手製の花嫁衣装を着るために控え室に入った。
そこにはお母さんが待っていた。
「ラナちゃん!!」
ぴょんっと一度跳ねて、私を抱きしめるお母さん。そして、いつものマシンガントークが始まった。
「ラナちゃんの結婚式に出れるなんて夢みたい! もう、どうしよう! 夢じゃないわよね?って毎日、フォルトに聞いちゃった! お母さんね。今日の日が楽しみで、楽しみで! 毎日カンレンダーにバッテンつけて、まだなかなー? まだかなー? って思っていたのよ! ふふっ。……あ! あのね、あのね! ラナちゃん! 私、ラナちゃんのベールを作ったのよ。ラナちゃんが幸せになりますようにって、お花をつけて、冠にしたの! 付けてみてね!」
キャッキャッと弾む声を聞いているだけで心はあったかくなる。私は表情を緩めてお母さんにありがとうと微笑んだ。
ミャーミャが作ってくれた花嫁衣装は、白一色のシンプルなドレスだった。肩は開いており、胸から腰までタイトなもので、腰から下も流れるようなレースのスカートとなっていた。
「イメージは聖女様の服装ですよ」
と、ミャーミャは子供みたいに無邪気に笑っていた。
「朝、3時に起きて今日、作ったのよ!」
と、お母さんが言っていたベールはシロツメ草でできた花のティアラ付きだった。花の冠に肩まである薄いレースが付けられていた。
「四つ葉のクローバーをね、2つ、見つけたのよ! ふふっ。よかったわぁ。ラナちゃんと、魔王ちゃんの分が見つかって!」
ミャーミャとお母さんの気持ちだけで胸がいっぱいになってしまった。目の奥がツンとする。潤んだ目のまま、花嫁衣装に着替えて、お母さんのふわふわな大きな猫の手が私の頭の上にベールを置いてくれる。仄かに香る花からは故郷の香りがした。
「ありがとう、お母さん」
「素敵!素敵よ、ラナちゃん! 魔王ちゃんも惚れ直すわ!」
ふふっと、互いに顔を見合わせていると、控えていたミャーミャの姿が目に入る。ミャーミャは口元をハンカチで押さえ、三つの目を潤ませてた。
「ラナ様……本当にお綺麗です。本当に……」
その言葉はこの瞬間が見たかったのだと、言われているようだった。
ミャーミャは私たちの幸せを願って、願って、願っていた。黒い狂気に飲み込まれてしまうほど。その思いが痛いほど分かっているから、私は口元に笑みを浮かべてみせる。
「ミャーミャ、ありがとう。ミャーミャの作ってくれたドレスを着れるなんて幸せよ」
鼻をすすってそう言うと、ミャーミャと三つの目をにこりとした。猫特有の愛らしい笑顔に、私は頬を染めて笑った。
二人に連れられて式が行われる大広間に向かう。赤い絨毯が敷かれた廊下を歩いて向かっていると、大広間の扉の前で正装したお父さんが立っていた。
ふゆふわの茶色い耳が私を見て、ぴくぴくって揺れる。大きな茶色い猫の目は優しく細められていた。
「ラナ……綺麗だ。とっても、綺麗だよ」
感慨深けに言わてしまい私の目尻に熱いものを感じる。
笑おう。幸せなんだから。
私を幸せにしてくれた人の前で私は、最高の笑顔を見せたい。
「ありがとう、お父さん」
そう言うと、お父さんは心から嬉しそうに笑って、何度も頷いてくれた。
王家の紋章が金色で描かれた白い扉をお父さんと一緒に開く。
そこには愛する人と、家族と、友人たちがいた。旦那様は立って私を待っていて、来てくれた人々は長ソファーに腰かけて私を笑顔で迎えてくれた。いや、コモツンだけは口をへの字にしていたが。それに笑ってしまい、ゆっくりと、愛する人の元へ向かう。
旦那様は黒い花婿衣装を着て、格好よかった。思わず、おふっと、変な声が出そうになり、私は唇に力を込める。ガチガチになった私を見て、お父さんは小首を傾げていたが、旦那様はなぜか笑いを噛み殺していた。
お父さんのエスコートで旦那様の元にたどり着き、手を離す。今度は手を差し伸べてきた旦那様の青い手をとった。いつも繋いでいたから、この手の感触は心地よいものだ。ドキドキしていた心が次第に落ち着く。
「綺麗だ、ラナ……」
愛情のこもった目で見られ、恥ずかしくなる。私は恥ずかしさを誤魔化すように固く握りこぶしを作って上げた。
「旦那様も格好いいです!」
ずいぶん雄々しい言い方になってしまったが、気持ちは伝わったと思う。私たちは手をしっかり握って正面を向いた。
スケル、コモツン、アッシャーさん、キールさん、グランさん。王様。王妃様。
ここにいる人、誰一人欠けても、私は旦那様と幸せになることは叶わなかっただろう。だから、私たちはこの人たちに誓うんだ。幸せになった。幸せになるんだと。私たちのやり方で。
旦那様は想いをのせて口を開いた。
「アッシャー、キール、グラン。魔王の俺を受け入れ、線を飛び越えてきてくれた三人に、最大限の感謝を」
そう言うと、三人は少し驚きながらも顔を綻ばせる。
「ミューゼン、そしてカーラ。同じ痛みを伴ってくれた二人に最大限の敬意を」
王様と王妃様はやはり驚いていたけど、ブウウン、ひらひらと嬉しそうに羽を羽ばたかせた。
「俺の母と父となってくれた二人に、変わらぬ感謝を。ありがとうございます。あなた方の宝物と引き合わせてくれて」
「私も魔王ちゃんに会えて嬉しいわー!」と大声でお母さんは叫んで、お父さんはニコニコしていた。
「コモツン。俺はお前が気に入ってる。居てくれると愉快だしな」
そう言うと、コモツンはへんと顔を赤くしてそっぽを向く。
「スケル……お前は……唯一無二の友であり、最高の勇者だ」
そう言うとスケルは一瞬だけ驚いたように、口を開けた。そして、肩の力を抜いて、カラカラ笑う。
「実に倒しがいのない魔王様でしたよ」
照れ隠しのような皮肉に旦那様は目を細める。そして、ミャーミャを見つめた。
「ミャーミャ……俺は幸せだ。幸せだぞ」
ハンカチで口元を押さえていたミャーミャの三つの瞳から涙がポロポロ零れ落ちる。
「魔王様……立派ですよ。あなた様の姿を見れて、私も……幸せです」
最後の方は涙声で掠れてしまっていた。後ろの席に座っていたお母さんが背後から抱きしめる。よしよしと、優しく抱擁していた。ミャーミャの隣に座っていたスケルは被っていたシルクハットをちょんと、ミャーミャの頭にのせた。
「笑顔になるまでそれを被っててください」
そう声をかけると、ミャーミャはこくりと頷いてシルクハットで泣き顔を隠した。
しんみりする空気を元気付けるように私は旦那様と繋いだ手を高く上げる。そして、笑顔で宣誓した。
「みなさま、ありがとうございます!私たち夫婦はバカみたいに幸せです!」
歯を見せてにかっと笑うと、しんみりしていた空気が一瞬だけ、ポカンとなった。
「ラナちゃん! 魔王ちゃん! おめでとう!! お母さんもバカみたいに幸せよー!!」
私の言葉にお母さんが叫び、お父さんがおめでとうと言いながら、拍手をする。
「ラナさん、魔王さん、おめでとうございます」
「おめでとう、二人とも」
アッシャーさんも可愛い妖精笑顔で言う。キールさんは悪魔顔で笑うのでちょっと怖い。グランさんは無言だったがオークの瞳は優しげだった。奥ではブウウン、ひらひらと王様と王妃様が揃って舞っていた。
その後、私たちは一人ずつにラッピングしたクッキーを手渡した。スケルに手渡した所で、ガイコツの黒い空洞の奥に何かキランと光らせて、からかうように口を開く。
「誓いのキッスはこの後ですか?」
ピシリと固まる私。
「え? しないの!? フォルトに写真を撮ってもらおう思って、カメラ持ってきたのに!」
お母さんまで騒ぎ出している。
このままクッキーを振る舞って、よい式だったね。ちゃんちゃん。と、いきたかった私の額に汗がにじんだ。
――できれば避けたかった。だって、無理だったのだ。変な声を出さずにキスをすることが。
察してほしい。私は新婚ホヤホヤ……にしては色々ありすぎたが、初なのである。人とのかかわり合いが極端に少なかった人生だ。極度の恥ずかしがり屋になることはしかたないのである。
いくら旦那様が溺愛ビームを撒き散らそうとも、逆に恥ずかしさが増して、引いてしまう。あなた……お前……ひしっ。などとラブロマンスに至ってない。だ、旦那様……ラナ……むほっ!が現状だ。察してほしい。
しかし、お母さんに期待マックスの目で見られて、お父さんはカメラを構えられて、スケルにはニヨニヨされ、ミャーミャは微笑まれる。周囲を見渡せば、苦笑い、により、戸惑い、恥じらい。様々な目で見られているが、結局のところ、やらないのか?と言われているようなものだった。
「ラナ……」
旦那様が硬直した私の腰に手を回す。向い合わせにされ、顎を捉えられた。予定にはないしぐさに私の顔は無になる。どうしても変な声が出てしまうので、やめましょうと涙目で訴えて、了承を得ていた。だから、この行動は予期していなかった。
見上げた旦那様の顔は、うっとりと微笑んでおり、完全に嬉しそうだった。
――しないっていったじゃん!!
約束を破ったな!と憤る間もなく、私の唇に旦那様の唇が触れる。
「愛している……俺の花嫁」
触れる前、私にだけ聞こえるように囁かれた。
触れた瞬間、ふっと声が小さく漏れた。む、を言わなかった自分を誉めてあげたい気分だった。
私はキス耐性のレベルがスライム並みに低い。そのため、すぐ酸欠を起こす。やや……いや、かなり長めに塞がれた唇に私はフラフラになり、旦那様の腕の中で力を失くしていた。熱くなる頬のまま、眉を下げて旦那様に文句を言う。
「な、長すぎです……」
「そうか。嬉しくて、ついな」
反省する気がさらさらなく、愛おしそうに私を抱きしめる旦那様にそれ以上何も言えなくなる。甘いムードが漂い出した頃、そのムードを吹き飛ばすバリンという音が聞こえた。
「いやぁ、ラブいですね。相変わらず。あれ、ただキスしたいだけですよ? (もぐもぐもぐ)」
「ふふっ。そうですね。でも、仲睦まじくてよいではありませんか? (もぐもぐもぐ)」
「おいニンゲン! クッキーよこせ! クッキー! (もぐもぐもぐ)」
私たちが感謝の気持ちを込めて作ったクッキーはモンスターの腹の中におさまっている。それにポカンとしてしまった。もうちょっと味わって噛み締めなさいよ!と言いたい。酸欠なので、言えないが。
「お前ら……後で食べろよ」
あ、珍しく旦那様がつっこんだ。
「幸せのお裾分けですよね? 本人の目の前で幸せを腹に落とした方がいいでしょう」
ぺろりとクッキーをたいらげ、スケルがカラカラと骨を揺らして笑う。
「それもそうね! 頂きます!」
あぁ、お母さんまで食べだした。お父さんも。
「美味しいわぁ! ラナちゃん! 魔王ちゃん! ありがとう!」
弾む声にポカンとした気持ちはどこへやら。口の両端が自然に上がってしまう。
「じゃあ、僕も頂きます」
アッシャーさんが声を出して、ラッピングを開けた。妖精の小さなお口にクッキーが食まれる。
「うーん。美味しいです。ラナさん。魔王さん」
幸せそうにはにかむ笑顔に頬が緩んでしまう。あ、でもキールさんの悪魔顔はやはりちょっと怖い。グランさんも無表情のオークは怖い。食べているだけなのに威圧感がすごい。
王様はハエのちっちゃな手で、はぐはぐ食べている。王妃様も。可愛い……
クッキーを食べ終わった後は、豪勢な料理が振る舞われてた。私の家族たちは食欲旺盛なので、王様たちは絶句していた。私はいつものことなので、スルーした。
皆さんとお話をしながら、式は進んでいった。
誰もが笑顔だった。
笑顔で始まって、笑顔で終わる式だった。
その日の夜、私は改めて旦那様に感謝した。一緒の部屋で寝るようになってから買った大きめのベッドで旦那様にくるまれながら、私は感謝の言葉を口にする。
「旦那様。今日は楽しかったです。とっても、とっても」
旦那様が優しい瞳で私を見つめていた。
私は思いを言葉にのせる。とはいっても、言いたいことは一つだけだ。
「旦那様……ハーツ。私はあなたに出会えて幸せです。バカみたいに幸せでしたよ」
言い終わると、目の前が潤んでしまった。でも、私は口元に笑みを浮かべよう。
だって、目を開けたら、旦那様はまた、いなくなってしまうから。だから、笑顔を見せたい。
これはきっと、優しい夢だ。
今日、出会えた人たちと私はお別れをすましている。
だから、これは現実に起こりそうで起こらなかった夢だ。
尊い夢の時間。
私がそれなりに頑張ってきたから、みんながひょっこり出てきてくれたのだろう。
もうそろそろ、私自身のお別れがやってくる。
小さくすすり泣く声が聞こえるからね。
旦那様はめいいっぱい抱きしめてくれた。全てを分かってくれて、最も嬉しいことを言ってくれる。
「ラナ……よく頑張ったな……ホープを育ててくれてありがとう……辛かったな……」
そんな優しい言葉をかけられたら泣いてしまうではないか。そう思いつつ、素直に甘えた。
「ミャーミャがいてくれたから……それに、旦那様の本が心の支えでしたよ。毎日、毎日、読んでました。ホープと一緒に読んだこともありました。擦り切れちゃって、ボロボロになったから、何度も修繕して、今ではまた新品同様です」
ふふっとすり寄ると、旦那様は頭を撫でてくれた。優しいぬくもりに抱きしめてながら、私は目を伏せる。
「ラナ、愛している……幸せになってくれてありがとう……」
私が眠るまで、ずっと、旦那様は愛していると繰り返してくれた。




