俺(あなた)の名前は side魔王&主人公
希望が産まれた。
ラナは難産で、二十時間以上も苦しみ抜いた。途中で、肩を思いっきり噛まれたが、俺は何も言わなかった。あまりにもラナが苦しそうだったから、それだけが心配だった。
出産とは不思議な光景だった。
命を産み出すのが、こんなに感動的なことだと思わなかった。
「ふぎゃあ! あぎゃあ!」
出てきてすぐに元気な声を上げたホープに我に返る。ミャーミャが丁寧に抱き上げ、真新しい白いタオルにまく。
「おめでとうっ……ござっ……男の子ですよっ……」
感極まった声がした。
ポロポロと涙を流してミャーミャがホープを俺の手に抱かせる。
正直、震えた。
落とさないか心配だった。
――何やってんですか? ほら、頭を支えて、だらしないパパですね。
不意にスケルの声がしたような気がした。分かっている。お前と散々、練習したんだ。体が抱きかたを覚えている。
右手で頭を支えて、左手と腕で体を支える。
ホープは小さかった。
それなのに、重い。
これが、命の重さなんだな……
込み上げてくるものがあった。
喜びで目の奥が痛い。
一瞬だけ、視界が歪み、すぐクリアになった。頬に熱いものを流しながらホープを見つめる。
「パパだぞ……ホープ……」
そう声をかけると、ホープは元気な声を出した。
ホープを抱きかかえながら、ラナに近づく。ラナは汗だくで、りきんだときに叫んだせいか声も出せないほど、衰弱していた。その頑張った姿にまた、頬に涙の道ができる。
「ラナ……」
この愛しさを、喜びをどうしたら伝えられるだろう。でも、声がつまる。伝えたいのに、涙が俺を邪魔する。
「っ……男の子だぞ。よく……頑張ったな……」
やっと出たのはそんなありきたりな言葉だった。それ以上の感情があふれているのに、言葉にならない。
だけど、ラナは微笑んでいた。
言葉にせずとも伝わっている気がした。
「ホープ様にお召し物をつけますね……」
震える俺の手からミャーミャがホープを抱き上げる。すぐそばにあった専用の台で、ミャーミャは泣きながらも、幸せそうにホープに赤ん坊の服を着せていった。
俺はラナと向き合った。
何か言いたそうに口が動いている。
言いたいことはわかった。
だが、まだ大丈夫だ。
俺はラナの頭を右手で撫でた。
「少し休め」
大丈夫だと言い聞かせるように撫でると、ラナはそっと目を閉じた。
それに目を細める。
部屋の窓の外を見ると太陽が昇り始めていた。ホープが生まれたのを歓迎しているようだと感じた。
俺は一息ついて、ラナが寝ているベッドのそばに置いてあった椅子に座った。
「お母様たちに見せて参りますね」
涙目になったミャーミャに、頼むと伝えた。部屋を出ると歓喜の声が聞こえた。
それに目を細めて、また一つを息を吐き出した。
"――――――――"
その時、不意に奇妙な音を聞いた。
違和感を覚えて、右手を見つめる。
そして、唐突に理解した。
――俺は、死ぬのか?
ぐにゃりと視界が歪む。
不協和音が頭に響きだし、嗤い声が聞こえた。
“――アハッ♪ あなたって、本当にバ・カ”
この声は聞き覚えがあった。
随分、口調が違うが、忘れるはずがなかった。
“――家族ごっこは楽しめた? どうせ、死んじゃうのに、愛し合うなんて、滑稽すぎるわ! アハハハハ!”
これが”彼女”か?
悲劇が作られないから、強制にそのエンディングに持っていこうとでもいうのか。
“――あなたは死ぬの。300年間の無意味な生がやっと終わるわね。おめでとう! パチパチパチ! 最高の死にかたね。愛する人の前で砂になるなんて! アハハハハ! ハハハハッ!”
狂ったような嗤い声が耳に響く。
頭痛が酷い。
俺ははっと、熱い息を吐き出すと、にやりと笑う。
「悪いな……その声で何を言われても、愛しさしか感じない」
そう言うと、キィィ!と金切り声が聞こえた。
“――何よ! 絶望しなさいよ! なんで、笑ってんのよ! アンタはこれから砂になるのよ! 跡形もなく消えちゃうの! 家族にお別れも言えずに独りで逝くのよ!!”
まるでだだっ子だ。
こんなこと絶対に言わないだろうから、逆に新鮮だな。
だが、少々、言い聞かせないとな。
まだ、わからないのか?と。
「俺は絶望しない」
目の前のラナに誓ったんだ。
俺はあの深淵に二度と行かない。
「最期の一秒まで、前を向くと誓ったからな」
だから、笑ってやる。
バカみたいに幸せだと見せつけてやる。
額に汗が滲んだ。
それでも、俺は笑い続けた。
“――ばっかみたい! 後悔して死んじゃえ!”
吐き捨てるように言われて、声は消えていった。
息を吐き出すと、ラナの寝顔が見えた。
それに安堵する。
右手に違和感がした。サラサラと砂になっている。溶け出す指を見つめていると、ドアが開いた。
「ま、おう……さま?」
ミャーミャが驚いた声で呟き、駆け寄ってくる。
「そんな! 早すぎます!!」
ミャーミャが俺の肩を掴むと、ボロッと右腕がとれた。まるで砂でできた体が崩れるように。それに、ミャーミャの顔が青ざめ、さっと離れる。
「ミャーミャ……ラナを起こしてくれ……」
肩を押さえていうと、我に返ったミャーミャがラナを揺り起こす。
意識を途絶えさせないようにラナを見つめた。
ラナは、すぐに起きて状況を察した顔をした。
強い大好きな眼差しが俺を捕らえる。
「ラナ……俺に名前をくれ……」
ラナの手で、俺を生まれ変わらせてくれ。
もう、二度と、魔王と呼ばれないために。
ラナの手で魔王を殺してくれ。
そして、俺を……
ただ、ラナを……
家族を愛する男に……
して……くれ……
――――……
目を覚ますと、ミャーミャが泣いていた。どうしたの?と声をかける前に、ミャーミャが泣き叫んでいた。
「ラナ様! 起きてください!! 魔王様が!! 魔王様が! ああっ!」
その声に意識は急浮上した。体を無理やり起こす。鈍い痛みを感じたが関係なかった。
目の前には右腕を無くして、苦しそうに笑う旦那様がいた。それに一瞬だけ胸が詰まる。でも、泣くのは後だ。
私は諦めない。
旦那様に誓ったから。
私は最後まで前を向く!!
手の伸ばして、ありたっけの声で叫んだ。
「――――ハーツ!!」
この名前しかありえない。
だって、あなたは私に心臓をくれたから。
誰かを愛することも。
愛する苦しさも。
喜びも。
悲しみも。
家族も。
あなたは全てを私にくれたから。
だから、私はあなたに心臓をあげたい。
そして、私はあなたと笑いたい。
幸せだぞー!って、バカみたいに大声で。
手から物凄い勢いで何かが流れ出た。
それに意識を持っていかれる。
でも、歯を食いしばった。
血の味を感じながら、私の意識は遠のく。
途切れる意識の中で、優しい声が聞こえたような気がした。
「ありがとう、俺の花嫁」




