いつかの話
おなかに命があるというのは不思議な感覚だった。体は絶好調だし、目には見えないから、何かに集中していると、つい忘れちゃうんだけど、だけど確かに私の中にはいるわけで……一人なのに二人でいるような……ずっと手を握っているようなあたたかい気持ちになる。
不思議だなぁ。
そんな妊婦生活だけど、旦那様を初め、みんな気をつかってくれている。
旦那様なんか、赤ちゃんの抱きかたを練習すると言って、スケルやミャーミャに教えてもらっていた。私も分からないので参加した。
「スケルが赤ちゃんの抱っこがうまいなんて意外」
そう言うと、真っ黒な空洞の瞳が優しくなったような気がした。
「意外な特技でしょ? 私、ただの骨じゃないんですよ」
スケルはカラカラ笑っていた。
「スケルをただの骨なんて思ったことないよ。頭突き同盟の同志だし、なにより私の大事な家族でしょ?」
そう言うと、空洞の瞳がよりいっそう優しくなった気がした。
抱っこの講習が終わると、スケルにある場所へと案内された。内緒と言っていたものだ。それは子供の遊び場だった。完成しましたと御披露目された時は正直、感動した。
「いかがですか? わりといい出来だと思うんですけど」
いい出来どころじゃない。言葉に表せられないほどの感動が込み上げた。
コモツンと一緒にケーキを食べたあのオレンジ色の花畑の前が整備されて、広場になっていた。そこには木と縄でできた一人用のブランコがあった。そして、タイヤに縄をくくりつけて、ブランコのように太い丸太に吊るしたものもある。タイヤにのってしがみついたら、ブランコのように揺れて楽しそう。
でも、一番驚いたのは滑り台。木でできた滑り台は、三つの登り方ができる。
一つは階段。もう一つは、板に所々、ランダムに石があって崖登りのように登れる。もう一つは丸太を組んで、縄が一本ある。縄を持って登っていくのかな。どの登り方も楽しそうだ。
「すごいっ……すごいよ、スケル!」
私は興奮してバカみたいにその言葉を繰り返した。
どうしよう! すごい、嬉しい!
どうしよう!! 嬉しすぎる!!
スケルは満足そうにカラカラと笑った。
「それはよかったです。作ったかいがありました。そうだ。ラナ様にひとつお願いが」
スケルはオレンジ色の花畑に前にある木の立て札を指差す。何も書かれていない立て札だ。
「あそこに公園名を書きたいんですけどね。なんて書こうか、迷っているんですよ」
公園の名前……
スケルを見上げると、優しい声が聞こえてきた。
「コモツンとか、ホールケーキでもいいかな? と思うんですけどね。どう思います?」
その言葉にコモツンのはにかんだ笑顔が過る。それに一度、目を伏せて、まっすぐ花畑を見つめた。
「コモンかな……」
「コモンですか?」
ふふっと笑いながら、今度はキーキー怒るコモツンを思い出す。
「大事な友達にコモンって呼ばれていたんだって。それに、コモツンは、コモツンって呼び方は嫌っていたから、公園の名前までそれにしたら、また怒りそう」
「ははっ。それは、ありえますね」
カラカラと笑うスケルに、私も笑う。
こうして、小さなコモン公園が森にできた。
◇◇◇
スケルはその後、お母さん達が暮らすおうちを作り始めた。今は切った森の木を運ぼうとしているところだ。
「従者から大工にジョブチェンジですね。ラナ様がくるずっと前から転職したいと思っていたので、よかったですよ」
なんて言いながらカラカラ笑っていた。
それに首を傾げて尋ねる。
「転職したかったの?」
すると、スケルはやっぱり笑って言う。
「前の魔王様は死にたがりのクソ野郎でしたからね。そんな主の従者なんて嫌だったんですよ」
皮肉たっぷりの言葉だったけど、どことなく声はあたたかい。
「まぁ、今はただの嫁バカなので、ちっとはマシになりました」
それにクスクス笑う。今度はスケルが首を傾げた。
「スケルって、なんだかんだ言っても、旦那様が好きだよね」
言葉とは裏腹に声が優しいもの。旦那様にだけツンツンしているスケルが可愛く思えてしまう。
そう言うと、スケルはポリポリ頬をかきながら、やっぱり笑う。
「そうですね。好きですよ。……じゃあ、今から思いっきり愛を叫んできますね」
そう言って、農作業をしていた旦那様を後ろから抱きしめ出す。抱きしめるというか、首、絞まってる?
「おいっ、なんだ!? 離せ!」
「魔王さまぁ! だいすきですよぉ!」
「やめろ! 気持ち悪い! おまっ……本気で首絞めて……っ」
旦那様の息が詰まったところで、パッと手を離した。旦那様は思いっきりむせている。
「すいません。好きすぎて自制心が」
飄々と言ったスケルに、旦那様が魔王の如く怒りだす。
「お前な……」
「おや? やりますか? また組倒されたいドM思考ならいつでもどうぞ」
カモーンと手をくいくいっと曲げてスケルが挑発する。旦那様の堪忍袋が切れた音が聞こえたような気がした。バチバチと火花が散りそうな二人のにらみ合いを見ながらクスクス笑う。
「ほんと、二人とも仲良しだよね」
二人ともこっちを見て同時に口を開く。
「「どこがだ(ですか)?」」
うん。そういう所が仲良しだと思う。
◇◇◇
畑や家のことはお母さん達が来たことにより、私の出番がますますなくなった。暇すぎて今はスケルの手伝いをしている。
その時にある光景を目にした。
「が、がいこつ!?」
「モンスターがいるぞ! 森の側なのに!?」
そう、モンスターを送り届けている保護官の人が腰を抜かしたのだ。まぁ、ガイコツがせっせと家を作るというのは、なかなかシュールな光景である。絶句するのも無理はない。スケルはそんな人々に近づいて丁寧に挨拶する。
「初めまして。スケルと申します。元武器職人で、今はへっぽこ魔王様の従者兼、大工職人です」
雑な自己紹介に保護官の人はやっぱり絶句していた。保護官の人はどうもと苦笑いするとそそくさと帰っていく。その背中を見つめながら、スケルは特に何にも感じてないのかまたおうちを作り出す。その横顔はやっぱり表情がよく分からない。
「スケル、大丈夫?」
「何がですか?」
「……怖がられているのって、いい気分じゃないし……」
そう言うと、スケルはカラカラ笑う。
「今さらですね。むしろ、新鮮ですよ。私ってお人好しだったんで、好意的に見られる方が多かったので」
カラカラ笑うスケルに複雑な気分になる。人から好意に見られていたのなら、怯えられるのは切ないと思う。だって、こうなったのは理不尽な理由があるから。
でも、スケルが笑うから、私は笑ってみようと思う。
「私、スケルのこと、好きよ」
笑顔で言うとスケルは動きを止めて、こっちを見た。真っ黒な空洞の瞳からは感情がよく分からない。でも、どことなく照れているような気がした。
「スケルはいつも見守ってくれたし、たくさん背中を押してもらったよね。私が相談するときは、いつもスケルだったし」
旦那様がひねくれて死にたがりの時も、魔王を消したいと言った時も、恋する気持ちに戸惑った時も、そばにはスケルがいた。そして、ぽーんと背中を押してくれたのだ。
「いっつも、いっつもスケルが背中を押してくれたから、私は走ってこれたよ。ありがとう」
そう言うと、スケルがぼそりと言う。小さな呟きは私の耳には届かない。
「全く……夫婦そろって、泣かせにきているんですかね……こんな時に……」
届かない声に首を傾げていると、スケルがこっちを見てにたぁと笑う。なんだ、その不気味な笑顔は……
「そんなこと言っちゃって、いいんですか? 魔王様に自慢しますよ? ラナ様に大好きって言われましたって」
いや、そこまでは言ってない。
大好きは大好きだけど。
なんか、意味が違う気がする。
「あの方、度量がミジンコですからね。どーなることやら」
冷や汗が垂れる。最近、落ち着いたベタベタが復活する!
「いや、あのっ……」
動揺する私にどこまでも楽しそうにガイコツの顔は笑う。
「ほら、嫉妬って、恋のスパイスですからね。振り撒かないと」
いや、そのスパイス、激辛だから!!
……いや、激甘か?
ともかく、やめて!!
止める暇もなくバビュンと走り去るスケルに私は言葉を無くした。
スパイスは有効活用されてしまった。何を言ったんだ!? と文句を言いたくなるほど。
夜、旦那様の部屋に呼ばれ、膝抱っこで「大好き」を100回言うように強要された。瞬きをするのを許されずに、ガン見で、だ。目が乾いて、涙目になってしまった。その涙を掬い上げて、旦那様は幸せそうに今度は、「大好き」を100回以上、言われた。耳に直接、声を流し込むような囁きボイスで、だ。
手を塞ぐことは許されず、気絶もできない。意識が遠のくと、キスで揺り起こされる。こんちくしょう。
そんなハズカシメから解放されて、ぐったりしていると、旦那様はどこまでも嬉しそうに後ろから抱きしめてきた。もはや、振りほどく体力は残ってない。
すると、先程までの意地悪な態度がなりをひそめて、柔らかい声で話しかけてきた。
「ラナ、考えていたんだが……子供が生まれたら、いつか森を出ようか」
え? 森を出る??
「出ると行っても、森のすぐ側に家を構える。お母さんの達の家の隣に。ミャーミャは森を出ないだろうし、スケルも出ないだろう。だから、すぐではないが、いつか……できれば、太陽の下でホープは生きてほしいからな」
それは自分がそうではなかったから、という願いが込められているようで、ちょっぴり切なくなった。
「そうですね。太陽の下で暮らした方が、健康的ですしね!」
拳を握りしめて言うと、ぎゅっと抱きしめられた。
いつか森を出るか……
そんなこと、最初に来た時は考えもしなかったな。というか色々、必死すぎてそんなこと考えもしなかったし。
相変わらず森は嗤っているし、窓の空は不気味な曇り空だ。この森は”彼女”の悪意の塊で、今も好きではないけど……なんだろう。いざ出るとなると、考えてしまうものがある。ここに居場所ができたからだろうか。
「でも、森を出るとなると、なんか変な感じですね。この森はヘンテコなのに……」
そう言うと、旦那様もふっと笑う。
「そうだな……俺自身も変な感じだ。この森は嫌いなはずなのにな……」
嫌いなはずなのに、離れがたい。それは離れがたいものができたせいだ。
「きっと、大事なものがたくさんできたからですね。それに、居心地良いように変えてきましたし、みんなで。あ、スケルの広場、見ました? すっごい楽しそうな広場でしたよ」
そう言うと、旦那様は少しムッとしながら、見たと言う。
「アイツにあんな才能があるとはな。……本当に、いつも敵わない」
悔しそうな諦めたような声。いつも敵わないって、旦那様とスケルの間にはやっぱり何かあるのかな? 男同士の友情とか? うーん。でも、友情というよりも、仲間って感じかな?
「旦那様と、スケルって仲良しですよね。喧嘩するほど仲がいいって言いますし」
そう言うとむくれられた。
「俺が一番、仲良しなのはラナだぞ?」
いや、そこは張り合わなくても……と思う。ゴロゴロと猫みたいにすり寄る旦那様に、ふぅと息を吐いて、そうですねと答えた。
◇◇◇
お母さん達の家づくりは順調だったが、やはり水回りは専門業者に頼むこととなった。これがなかなかやっかいで、魔王の森のすぐそばと言うだけで、みんなひえっと言って、断ってくる。
まだまだ魔王の森というのは、怖い存在だということなのだろう。
どうしようか……と途方に暮れていたら、ある日、業者さんがやってきた。
「このうちか? 風呂や、台所を取り付けてほしいというのは」
目の前に現れたのは、作業着を着た三匹のビーバーだった。




