魔王の独白―世界の歯車の一つ ※死の描写注意
死の描写があるのでご注意ください。
ラナがくるずっと前の話です。
1/29大幅に修正をしました。
気がついた時にはミャーミャしかいなかった。両親の顔は覚えていない。だから、ミャーミャは俺の親代わりと言ってもいいだろう。
ミャーミャは優しかった。愛情をもって接してくれたと思う。ミャーミャはいつも笑顔でその大きな肉球で俺の頭を撫でてくれた。少しだけざらいついた手はあたたかく、心地よかった。
魔王の森は騒がしく、鈍色の雲に覆われていた。他に生き物がいない二人だけの世界。しかし、そこで暮らすことに疑問はなかった。
両親の代わりに俺は魔王の仕事をミャーミャに教わった。魔王の仕事はこの森での魂の還元だ。元の姿になってしまった人間の魂を森に還す。ミャーミャの話ではそうすることで、世界が平和に成り立つらしい。
「この世界の人間は、自分が化け物であると知りません。人間のふりをして生きています。醜い自分の姿を知らないで生きているのですよ」
なぜ、そんなことをしているのか分からなかった。なぜ?と問うと、ミャーミャは大きな手で頭を撫でながら言った。
「醜い姿よりキレイな姿がより好まれるからですよ」
その答えにまた首を傾げた。美醜の感覚は分からなかった。本来の姿でいればよいものを、なぜわざわざキレイな姿を好むのか。それが人間のというものなのだろうか。同じ世界に住むはずなのに、俺は人間の感覚がよく分からなかった。
よく分からないまま、魔王として仕事をこなす。初めて、森の外に出た時、俺は初めて自分が人間から恐れられていることを知った。
モンスターを置いて走り去る人間たち。恐怖で叫ぶその背中を見ながら、俺はどうしようもなくやるせなくなった。
ミャーミャにその気持ちを伝えると、また頭を撫でられた。
「そうですか。それは辛い思いをしましたね。ですが、魔王様のやっていることは、とても良いことなのですよ。気づかれないだけで」
そう言うと、ミャーミャは俺に懐中時計を渡す。時を刻むものだと教えられた。朝、昼、晩。その時間によって空も変わるという。森の空模様は変わらないから分かりづらいが、確かに存在しているものだと教えられた。
「ここに小さな歯車がありますね。それが魔王様です」
ミャーミャが指差す先に小さな歯車がいくつもあった。これが俺?
「この歯車が一つでも動かなくなったら、時計は動かなくなり、時の存在も目には見えないでしょう。あなた様の存在は世界という時を動かす歯車の一つです」
「人は時ばかりに目を向け、歯車の存在には気づきません。むしろ時が分かることが当たり前だと思っているので、分からなくなったら、腹を立てるでしょう」
ミャーミャがどこか遠くを見つめて言う。
「この世界も同じです。平和で平穏な生活があるのを、人間は当たり前だと思っています。それを動かしている歯車の存在も知らずに。その歯車がどれほど重要か人は気づかずに一生を終えるのです」
遠くを見つめていたミャーミャが俺の頭を撫でる。
「あなた様は世界を平和に動かす大事な歯車の一つです。人間には理解されないかもしれませんが、私は魔王様が大事ですよ」
ミャーミャの話は腑に落ちなかった。ただ、俺の存在は人間の暮らしを安定させるものらしい。それだけはわかった。
人間のためにあるのに、人間は俺を嫌う。その仕組みにやるせなさは募った。
俺は人間に嫌われながらも彼らに対する興味を抑えられなかった。外の世界に対する興味も。
だから、ミャーミャに言って外の本を取り寄せてもらった。ミャーミャは渋い顔をしていた。
「外を知っても魔王様が傷つくだけですよ」
傷ついてもいいから知りたかった。外の世界を。人間がどんな暮らしをしているか、外にはどんな光景があるのか。俺は知りたかった。
ミャーミャの言うように外の世界は平和だった。そして、魔王という存在は等しく嫌われていた。特に物語の中での扱いは酷いものだった。俺は消えればよい存在とされていた。
魔王が倒され、世界が平和になる。
そのエンディングを見て黒い笑みが出た。
本当に魔王が倒されたら、世界のバランスが崩れてしまうというのに。なんともお気楽なものだ。
「ははっ…」
黒い笑みは止まらなかった。
どす黒く重く深い沼にでも嵌まったような気分だった。
そして、悟る。
俺はただの歯車だ。
感情など持たない方がいい。
懐中時計の歯車のように、ただ機械的に役目をこなそう。
いつか、古くなった歯車は用済みになる。
その日を待とう。
この体が錆び付き、動かなくなる日を楽しみにしよう。
それだけが、俺の希望だ。
日々は機械的に繰り返された。
何も変わらないと思っていた日々に変化が起きる。きっかけは、魂の還元に失敗した時だった。コウモリのモンスターがなぜかそのままの姿で森へと入っていった。その様子を呆然と見つめた。
ミャーミャに言うと、少し悲しそうに微笑みながら言った。
「あぁ、世代交代の合図ですね」
その笑顔が物語っていたのは俺は役目が終わりそうだということだけだった。
ドクンと動きを感じられなかった心臓が跳ねる。確かな歓喜に俺は笑った。
「あのモンスターはそのままでいいのか?」
「あぁ、還元されなかったものですか? 大丈夫です。森からは出られませんので。そのうち自然と還元されていくでしょう」
モンスターのままでよいというなら俺がやっていることは意味がないのでは?
そんな疑問がふと過った。だが、それを口に出さなかった。
俺は俺の願いが叶えられればどうでもよかった。
世代交代はどうやってするんだ?と問いかけてもミャーミャは悲しく微笑むだけだった。
「そのうちに…」
その言葉に俺は自然と消えてなくなるのだと思った。あのコウモリのモンスターと同じように。
このまま静かに待てば、希望通りになる。そう信じていたある日、人間が森に入ってきた。この森に入る人間など皆無だ。そのイレギュラーに俺は混乱した。
だが、ミャーミャは淡々と言った。
「…勇者が来てしまいましたか」
勇者?
その言葉だけは知っていた。魔王を倒す正義の味方というものだ。
俺を倒しにきたのか?
なら、世代交代とは物語のように勇者が俺を倒すことで成り立つのか?
その考えはすぐに打ち消された。
勇者は森に殺されていたからだ。
俺はただ唖然とそれを見下ろすことしかできなかった。
男の人間だろうか。立派な防具をつけている。紋章も入っている。彼は人間の世界では有名な人なのかもしれない。所々に傷が入り使いこんだシルバーの鎧は無惨にも溶けていく。煙を上げながら。
「っ―――! っ――!」
声も出せず男は地面に這いつくばっている。憎悪の目が俺を見つめる。血眼になった目は俺への殺意を抱いていた。俺はそれを瞬きをせずに見つめた。
俺の横にミャーミャが立つ。
やがて、見えた白骨に向かって、淡々と感情もなく言った。
「勇者なんて夢を見て、あなたはバカですか?」
もう正気のなくなった瞳にむかって語りかける。声はどことなく悔しそうだった。
「勇者という夢を抱いたまま故郷に帰り、妻を娶って子をなし、孫に囲まれながら夢見るように眠ればよいものを」
ミャーミャは悲しそうに顕になった躯を撫でた。
「これでまた一つ―――――」
呟くように言われた言葉は俺の耳には届かなかった。
「魔王様、この者に名付けをしてください」
「名付け?」
「頭部の額の所に向かって意識を集中させてください。そして、心の中に浮かんだ名前を呼ぶのです。魔王様の魔力が流れ、彼は復活するはずです」
ふっとミャーミャの表情に影が落ちる。
「あなた様の願いを彼が叶えてくれるかもしれませんよ」
それにはっとした。
ミャーミャはただ静かに、こちらを見つめる。その大きな瞳からはなんの感情も読み取れない。俺は一つ息を吐き出すと、地面に膝をつき、骸に手を置く。そして、目をつぶり、精神を集中させた。
心の中に一つの名が浮かぶ。
「―――スケル」
そう静かに呼ぶと、体の血がごっそり持っていかれるような感覚がくる。目眩と頭痛がしてどうにかなりそうだ。
やがて、それがおさまるとカタカタと骸は動き出した。黒く空洞の瞳からは激しい憎悪が見え隠れする。
まだ言葉を発せないのか、カチカチと口元が鳴っているだけだった。
骸に問いかける。
「俺を殺したいか?」
返事はない。
それに笑みが出た。
「いつでも殺せ。お前はその為に来たんだろう?」
望むところだと言わんばかりにスケルの口元が動いた。
スケルは体が自由に動くようになると、俺を狙うようになる。だが、いくらスケルが俺を殺そうとナイフや鈍器を振り上げても、俺のスレスレでスケルの手は止まってしまう。今一歩の所でスケルは俺を殺せない。
「あなたの仕業か、魔王! あなたを殺せない私を嘲笑っているんですか!」
届かない刃を持ちながら、スケルが叫んだ。なにをバカな。
「俺がお前を笑っているように見えるか」
感情を押し殺した声で言うと、スケルは黙って剣を下ろした。
「殺せないのであれば、あなたを監視します。よからぬことをしたら、叫んで周りに知らせますからね」
そう言ったスケルは俺に文字通りピッタリとくっつくようになる。俺はつきまとうスケルにうんざりした。
俺を殺せないのであれば、好きな場所に行ってほしかった。
勇者に殺されるというのは、やはりただの物語の話だったのか。
じゃあ、世代交代はいつ起きる?
ミャーミャに聞いても答えははぐらかされるばかりだった。
スケルの奇妙な監視が始まって数年が経った頃、スケルは不意に尋ねてきた。
「あなたは魔王ですよね?」
今さら何を言うと思ったが、 そうだと答えるとスケルは腑に落ちないように言う。
「魔王なのに何もしないのですね?」
「どういう意味だ」
「あなたのやることは私が聞いた話とだいぶ違います。魔王は人をモンスターに変える恐ろしい存在だと思っていました。しかし、あなたは何もしない…なぜですか?」
俺は世界の仕組みのことを話すつもりはなかった。だから「興味がないだけだ」とだけ答えた。
スケルはやはり腑に落ちなかったようで、しつこく聞いてきた。なぜですか? なぜですか?と。
あまりにしつこかったので、俺が根負けした。だから、モンスターが人間のふりをして生きているということ、俺の役割は元に戻ってしまったモンスターの還元だと言うと、驚いたように声を上げた。
「まさか、そんな…でも、なんでそんなことに」
「知らない。興味もない」
「興味もないって、あなた自身のことでしょう?」
「俺はただ役割をこなすだけだ。それだけでいい」
スケルはそれ以上、何も言わなかった。それからだ。スケルが変わったのは。
なぜか色々、ふっきれたような顔をしていた。
「この世界のことはよく分かりませんが、あなたのことは放っておけないので、側にいます」
「側にいなくてもいい」
「いいえ。側にいます。あなたは何かと危ういので」
意味がわからなかったが、スケルはそれから妙に俺に馴れ馴れしくなった。
そんな奇妙な共同生活を始めて数年経った時だ。ミャーミャの様子が変わったように感じた。
前まではどこか憂いを帯びた目で遠くを見つめていた。しかし、瞳は爛々と輝きだし、鼻歌をよく歌うようになる。端からみるとご機嫌でハイテンションに見えた。
そして、言った。
「そろそろ花嫁様を迎える準備をいたしましょう」
ミャーミャが嬉々として言ってきたのは花嫁と輿入れと子供を作ること。そして、指輪の存在だった。
「子供を作れば、世代交代はなされるのか?」
「ええ。そのために、魔王様は花嫁様に優しく接しましょうね。花嫁様は人間でデリケートな存在です。優しくすればするほど、子供も早く作られるでしょう」
ミャーミャは唄うように語る。
「歴代の魔王様は皆、子供ができたら役目を終え、砂となって消えました。あなた様もきっと…」
なぜ今まで黙っていたとか怒る気にもなれず、俺は目の前にぶら下がった甘美な餌に食らいついた。
ミャーミャの言うとおりにすべての準備を整える。
スケルには従者の役割が与えられ、花嫁をもてなすように言われた。そして、花嫁を出迎えるための馬車も用意される。馬車を操るのはスケルだ。
スケルは乗馬の経験はなかったが、元々の運動能力が高かったのか、飲み込みが早くあっさりと馬車を乗りこなした。
「花嫁様ってここでやっていけるんですかね?」
花嫁を娶ると聞いて後、スケルは呟くように言った。
「どういう意味だ」
「いやぁ、森の外の世界が私がいた頃と変わらなかったら、ここで暮らすのはしんどいと思いましてね」
スケルがぼんやりと曇天の空を見上げた。
「ここは不気味な場所です。しかも、あなた様は魔王。恐怖の対象です。いくら花嫁を出すのが義務だからって、ここで暮らしてまともでいられるとは思えませんよ」
同じように曇天を見上げる。
「花嫁は色々と覚悟してきているはずだ」
「覚悟ねぇ…なら、よいのですが。それにしても、なんで人間の花嫁なんですかね。まぁ、ピチピチの若いモンスターなんてここにはいませんが」
「知らん。興味も…」
「ないですか?」
先に言われてムッとした表情で見ると、スケルは表情が見えない黒い空洞の眼をこちらに向けていた。
「そうやって他人の敷いたレールの上を乗って走るのはさぞ楽でしょうね」
「何が言いたい」
「そのままの意味ですよ。はぁ、私のご主人が根暗な死にたがりなんて嫌になっちゃいます。転職したいです」
「ここを出ても行くところなんてないぞ」
「そうですね。確かに。だから、ちょっとは期待しちゃうんですよね」
スケルが立ち上がり、俺を見下ろす。
「花嫁様が神経図太くて、あなた様にビンタをかますくらい強い女性ならいいのにって」
スケルの黒い眼がやや細まる。
「せいぜい、つよーい花嫁様を選んでください。か弱い花嫁様では精神を病んでイカれてしまいますよ」
カタカタと手を振ってスケルは行ってしまう。その飄々とした背中を見つめて、ため息をついた。
「花嫁なんて…俺が選べるわけないだろ」
俺ができるのは、せいぜいお触れを出すのと、肖像画を送りつけることぐらいだ。
向こうが勝手に覚悟してやってくる。
俺はただ、迎え入れるだけだ。
また一つ息を吐き出して、近くにあった椅子に深く腰かける。
大して気にしなかった花嫁のことを思う。恐ろしい異形に嫁ぐというのはどういう気持ちなのだろうか。
全てを諦めてくるのだろうか。
俺と同じように。
少しばかりの同情が沸いた。
それに、舌打ちする。
「誰でもいいはずだ。子供を作れる器であるならば」
早く俺はこの役目から解放されたい。
それが唯一の願いだ。
他の奴の気持ちなんてどうでも…
どうでもいいはずなのに。
なぜか、哀しみにくれる姿は見たくないと思ってしまった。