しょうもない言い争い
ただ今、旦那様と喧嘩中である。
喧嘩中といっても、ただ単に一方的に私が怒っているだけなのだが……
そもそも事の発端はカモメの餌やりだった。
初デートの時、旦那様が海を見てダイブしようとするまで見ていたため、海路で行ける道を選んだ。船は、小型船で観光用のものだ。一応、次の町まではゆるりと行ってくれる。せっかくなので二人で甲板に出ると、風が気持ちよかった。
そして、カモメがいた。
いたなんてもんじゃない。餌クレー餌クレーと群れをなしていた。ふと、売店を見るとカモメの餌なるものが置いてあった。旦那様にことわって、その餌を買った。
そして、飢えたカモメたちに、餌を投げていく。しかし、ボスカモメと思われるやたら餌のキャッチが上手いカモメがいたのだ。投げる餌をそいつが全てキャッチしてしまう。
「……他のカモメにいきませんね」
ゲフッーと満腹そうなカモメに、他のカモメは悲しそうだ。これでは不公平だ。
「旦那様、他のカモメに餌をやれるようにしましょう」
旦那様は笑って、その案にのってくれた。そして、ボスカモメ VS 我々の餌やり対決のゴングが鳴った。旦那様は腕の長さを生かして、遠くへ餌を撒いていく。それに他のカモメが食いついていた。
しかし、私はてんでダメだったのだ。
撒いても撒いてもしつこく、ボスカモメにやられた。むしろ、私がボスを惹き付けている間に旦那様は他のカモメに悠々と餌やりをしていた。
そして、私は全ての餌をボスカモメに食われるという結果になった。
これは悔しい。空になった餌袋をぐしゃりと握りつぶしてしまった。
「まんまとアイツの術中にはまったな」
ニヤリ顔で言われてカチンときてしまった。
完敗して悔しい思いをしていると、旦那様は追い討ちをかけてくる。
「俺が勝ったから、あの指輪は買う。決定な」
「っ!」
今、ここでそれを言いますか!
「指輪は高いからやめましょうと言いましたよね?」
「俺が勝ったから、買う。なら、もう一回、勝負するか?」
にやりと笑われ、私はキレた。
「そんな態度をするなら、私は旦那様に、喧嘩を申し込みます!」
喧嘩などしたことがないため、この宣誓でいいのか分からないが、たぶん、正しいはずだ。
「ほぉー……」
旦那様は余裕の笑みで私を見ている。それにまたカチンとくる。
「喧嘩とは何をするんだ?」
うっ。何をするんでしょう……?
「と、とりあえず、口をききません」
子供か?という発想だが、喧嘩の定番は折れるまで口を聞かないというものだろう。たぶん……
「口をきかないか……それはいつまでだ?」
「え? えっと……」
「今も口はきいているが、喧嘩になっているのか?」
意地悪な笑顔をされ、うっと詰まった。
ニヤニヤする旦那様に怒りはピークに達した。
「じゃあ、本当に口を聞きません!」
吐き捨てて、脱兎の如く走った。ちょうど船が沖についたので、無我夢中で走った。
そして、今に至る。
走ったはいいが、早くも後悔した。
せっかくの旅行に何をしているのだ、私は……
「はぁ……」
大通りの近くにあったベンチに座って、盛大にため息をつく。
「ちょっと辛気くさいわね。隣でため息なんか付かないでよ」
不意に高い声で辛辣なことを言われ、隣を見ると……デビルがいた。悪魔と言わないのは、小型だからだ。黒い羽が生えて、ツンとすました表情をしている。女の子なのか、頭の触覚らしきものに、ピンクのリボンがついていた。
「全く。人がゆっくりと昼下がりを楽しんでいるのに、暗い顔をされたらたまったもんじゃないわ」
ツンとそっぽを向く姿はどこか、コモツンに似ていた。それに切ない思いを孕んで微笑む。
「ごめんなさい。声をかけてくれて、ありがとう。元気がでました」
「べ、別に! アナタを心配したわけじゃないわよ!」
フンとそっぽを向かれて微笑んでしまう。口調からして子供だろうか?
「あなたはお散歩?」
「あなたなんて気安く呼ばないで頂戴。私はメリーよ」
「メリーさんですね。 私はラナです」
「ラナ? あなたもしかして……」
じっと見られる。もしかして、魔王の花嫁とバレたか。
「……気のせいね。こんな普通の小娘じゃなかったもの」
酷い言われようだが、メリーさんはまたそっぽを向いて手に持っていたボールをいじりだした。
口調は大人っぽいが、コモツンと同じ年くらいに見える。
「メリーさんは、お散歩なんですか?」
「違うわ。人を待っているの」
キリッとした表情でメリーさんは続ける。
「パパが迷子になったの。だから、ここで待っているのよ」
え? パパが迷子? メリーさんが迷子ではなくて?
「ちゃんと待っているの、偉いですね」
「子供扱いしないで。わたしは立派なレディよ。パパが迷子になった時はじっとしているのが一番なの。むやみに動いたらダメよ」
迷子慣れしているのか、言うことに説得力がある。それに笑ってしまう。
「アナタはどうしたの? 喧嘩でもしたの?」
うっ。直球すぎて驚きだ。
「うん……旦那様と喧嘩したの」
素直に言うと、やれやれとため息を吐かれる。
「夫婦喧嘩なんて、あなた、私のこと何もわかってない! とか、そーゆうヤツでしょ? 違う?」
「そうですね……」
「全く。そんなのね、アナタの言葉が足りないのが悪いのよ」
ビシッと言われて、言い返せない。確かに私は言葉が足りなかったかも。
「ママとパパもよく喧嘩しているけど、ママは口下手だし、ネガティブだからしょうがないって、パパが言っていたわ。怒ることで自分の気持ちを伝えてるんだよって」
「アンタも、ちゃんと相手に言いたいことがあるなら、伝えなさいよ」
正論すぎて、言葉もでない。
私は緊張しすぎていた。旦那さまがハメを外してデレデレしてくるから、感情のバロメーターが壊れていた。
恥ずかしいから手加減してほしいと素直に口にすべきだったのだ。反省……
「ありがとう。伝えてみる」
「フン。そうしなさい。夫婦喧嘩なんて見てるこっちがヤキモキするんだから」
その言葉に笑ってしまった。
しばらくすると、道路を挟んで向こう側から、「メリー!」と呼ぶ声がした。
「あっ、パパだ!」
メリーさんは立ち上がり、その拍子に持っていたボールが滑り落ちる。
てんてんてんと、弾みながらボールは転がる。メリーさんはそれに気づいてボールを追いかけた。道路から飛び出す。彼女の正面には馬車が。
「っ!」
私は咄嗟に飛び出していた。メリーさんを庇うように抱きしめる。
馬車は寸でのところで止まった。
「メリー!?」
「パパぁ!」
よかった怪我がなくて。
「こらー! 危ないじゃないか!」
「すみませんっ―――」
馬車の人に謝っていたら、体が後ろに引かれた。振り向くと額に汗をかいた旦那様がいた。顔は見たことがないくらい怒っている。
「だんなっ……!」
有無を言わさず引っ張られ、足がもつれる。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
後ろでメリーさんの声が聞こえて、私は引っ張られながら、微笑んで手を振った。
そのままグイグイ引っ張られ、人気のない路地裏まで連れてこられた。旦那様が立ち止まり、私も止まる。
「あの旦那様……」
素直に謝ろうと口を開いた時に、両肩を強く掴まれた。あまりの強さによろけて、壁にぶつかる。それでも構わず壁に押し付けられた。
「何をしてるんだ! 飛び出したりして、怪我でもしたら、どうするんだ!」
本気で怒っていた。心配だったと、それをぶつけるような言い方だった。唖然とする私に舌打ちして、今度は強く抱きしめられる。
「喧嘩でも何でもしてやるから、二度と俺の前からいなくなるな! 心臓が止まるかと思った……」
最後は弱々しい声だった。苦しいほど抱きしめられ、なんだか嬉しかった。痛いくらい心配されたことがわかってしまうから。
「ごめんなさい、旦那様。私、旦那様の側を離れません」
そう言うと苦しさが増した。
しばらくして落ち着いた私は再度、喧嘩のことを謝った。
「いや、俺もからかったりして、悪かった」
そう言われ、くすぐったくなる。それと、もうひとつお願いした。
「あの、旦那様……私、旦那様と旅行に出れて嬉しいのですが……その、緊張してまして……」
口にするのは恥ずかしいが、また爆発して感情のバロメーターが壊れたら困るのでキチンと言葉にする。
「旦那様にベタベタされると、恥ずかしいのです。こう……叫びたくなるくらい。なので、自重を……って、旦那様、聞いてます?」
旦那様が肩を震わせて、口元を手で覆ってる。
またこのパターンかコノヤロー。
だから、聞きなさいって。
「聞いてる。聞いてるが、無理だ」
は?
旦那様が私の肩を抱いて、おでこをくっつけてくる。くっ……だから、ベタベタするなとっ。
「慣れろ」
はぃぃぃ? 慣れろと言いましたか、この方は!
「それこそ無理です」
「俺だって無理だ」
「なんでですか……だから、こう距離を離せば……」
グググッと体を離そうとするが、離れない。くっ。無駄に筋肉もりもりな体をして!
「や、だ」
やだとか言ったよ、この人!
ちょっと、可愛いじゃん!
「離したらまたどこかへ行く。ラナは逃げ足が早いと今回のことでよく分かった。だから、絶対に離さない」
にやっと笑った姿はさすが魔王。怖いです。
「俺を自重させるなら、その可愛らしさをなんとかしろ」
「は?」
「照れた顔をするな。抑えがきかん」
「はい?」
それは、無理ってもんですよ。恥ずかしいものは恥ずかしい!
「恥ずかしいことをしなきゃいいじゃないですか……」
「俺は恥ずかしいことはしてない。手を繋いだりしているだけだろ?」
「いいえ、目が甘いんです! デレデレなんですよ」
「……ラナを見ると顔がにやつくんだ」
「……変なもの扱いしないでください」
「違う。可愛くてだ」
「っ! ほ、ほら、またデレる!」
「デレてないだろ。ただの本心だ」
「っ……」
「ほら、また照れる」
「そりゃ、照れますよ!」
「はぁ……だから、抑えがきかないんだ」
しょうもない言い争いを続けながら、私達は歩き続けた。
今度は離れずに。
その後、折衷案として、高い指輪はやめて、お店でピアスを買った。ピアスなら耳が引きちぎられなければ取れないだろうと、私も納得した。
ピアスは片方ずつ。なんでも、揃ってペアとなる変わったものだ。だから、片方ずつ私と旦那様で付けている。
付けた途端、旦那様は子供みたいに笑うので、ま、いっかと思ってしまった。
そして指輪は丈夫なものを違う場所で制作してもらっている。
そして、私達は両親の元へ赴いた。
生まれた村に入るとき、妙に人に囲まれた。
「あら、ラナちゃんじゃない!?」
「え!? 聖女様が帰ってきたぞ!」
思わず腰を引く。だってさ……ヌトヌトのアメーバーとか、巨大な口しかないモノとかさ……村の人は見るからにおぞましい姿のモンスターしかいないのだ。
最近は人型のモンスターしか見ていなかったから油断した。これは、キツイ。モンスターにワラワラと囲まれ、青ざめ固まる私を見て旦那様がひょいと抱きあげる。
「え? その人って――」
そして、逃げた。
しばらく走って下ろされる。
「ありがとうございます」
「……いや、俺も気分が悪かった」
「え?」
「馴れ馴れしく近づいて、歪んだ顔をしていた。見ていて気持ちが悪い」
苛立ちながら言われて、手を繋いだ。
「私、村の人が苦手なんです。見た目がエグくて……」
「えぐい?」
「はい……ヌトヌト、ベタベタした人たちばかりで。久々に見てひいてしまいました」
はぁ、と一息つく。
「親もそうなのか?」
「いえ……両親は猫です。ミャーミャに似てます」
そう言うと、あぁ……と声を出された。
「ミャーミャに対して好意的だったのは、親と似ていたからか?」
「それは……あります」
大好きな両親に似ているから、ミャーミャにされたことを許せたというのは確かにある。
「でも、ミャーミャはミャーミャなので、私はやっぱりミャーミャが好きです」
そう言うと、微笑まれた。それにへへっと笑って両親の元へと足を進めた。
両親のいる家は村からだいぶ離れている。歩き続けて森の近くになり、ようやく見えてきた。
見えてきたけど、なんだ、あれは……
聖女村、反対??
そんなことが書かれた立て札がいくつもある。なんだ、これ?
ブキミに立ち並ぶ立て札の先に懐かしい顔が見えた。
「え? ええええ!? ラナちゃん!?」
驚くお母さんに微笑む。
「ただいま、お母さん」
「ちょっと、待って!? えっ! ええっ!?」
母はすでにパニックになっている。そして、旦那様を指差して、叫んだ。
「もしかして、魔王ちゃん!?」
……魔王ちゃん。その呼び名は……
これは、笑ってもいいよね?
次は魔王視点になります。
更新はあさって木曜日です。




