いざ、旅行へ
コモツンと突然、お別れがあった。その時、私は彼にしてあげたいことがあったんじゃないかと後悔した。だから、旦那様と思い出を作ってから、子供を作ろうと話した。
私は旦那様とやってみたいことがあった。それは両親に会わせることだ。私は両親が大好きだ。心配をかけていると思うから、私は幸せになっているよと、言いたい。
でも……出産もお世話になりたいから、結局、もろもろ事情を話さないといけないか……うーん。お母さん、取り乱さないかな……すごく不安だ。
やっぱり、事前に一度会った方がいいな。よし。
「そういうわけで、両親に旦那様と会ってきたいので、外出許可をください」
ある晩御飯の後、私はスケルとミャーミャに向かってお願いをした。
「いいですね。ハニームーンというやつですか? 魔王様も引きこもりに拍車がかかってますし。たまには外の空気を吸いたいでしょう」
スケルは、カラカラと笑いながら賛成してくれた。
そうなのだ。なまじ死期が迫っているとかいっちゃったもんだから、旦那様は森の外に出れていない。
保護官と名称を変えた警備兵が変わらず森へモンスターを運んでくれる。魔王の森はモンスターとなった人間を回復する場所と本来の意味が周知されていた。
しかし、死期が近い旦那様が、一度出た時に保護官に遠目にヒソヒソされた。あれが魔王か? とか、病気じゃないのか?とか。非常に気まずい空気が流れた。それ以来、ミャーミャがモンスターの引き渡しに立ち会っている。
「まぁ、美しい女性の方が引き渡す方が彼らもいーでしょうしね」
スケルはカラカラ笑ってそんなことを言っていた。まぁ、旦那様は不機嫌になっていたけど。
そんなわけで、旦那様は森の管理者も引退して、家にいる。畑を耕したり、料理をしたり、本を読んだりしている。
魔王というより、もはや農夫だ。いや、最初から魔王ぽくはなかったか?
「旅行というなら、ご両親に会うだけでなく、ゆっくり国を巡ってはいかがですか? せっかくですし」
ミャーミャは微笑んでそういうが、それはちょっと……
「そんな……お金がもったいないよ」
抜けない貧乏根性で言うと、ミャーミャが変わらない笑顔で言う。
「お金ならたんまりありますから、遠慮なさらないでください」
そう言われ、ふと疑問が沸く。お金ってどうしているんだろう。誰一人として賃金を得るような職業に就いていない。
「ねぇ、ミャーミャ」
「はい」
「お金って、どこから得ているの?」
そう言うとミャーミャの顔がブラックな笑顔になる。
「ラナ様、世の中には知らなくてもいいことがあるんですよ?」
うっ。こ、怖い。
「この私が、魔王様とラナ様に貧乏な暮らしをさせるわけないじゃないですか?」
ふふふっと笑うミャーミャにドン引く。
それ以上、お金のことは聞けなかった。
その日の夜、旦那様の部屋に行った私は旅行の計画の話をしていた。
「どこでも行っていいと言われると、悩みますね。旦那様はどこに行きたいですか? 行くとしても両親に挨拶に行った後ですけど」
国の地図を見ながら、旦那様に声をかけた。
「ラナが行きたいところなら、どこでもいい」
うわ。久しぶりに聞いた。なんでもいい発言。クッキー作り以来?
「はい。却下」
「?」
「私は夫である旦那様の好みを聞いています。旅行ですよ? 海でダイブしたり、山を修行のように登ったり、お買い物したりフリーダムですよ?」
さぁ、やりたいことを言いなさいとばかりに両手を広げる。それに旦那様は考え込むしぐさをした。いい傾向だ。クッキー作りの時はまんまと、好みを聞けなかったから。
「買い物は……したいな」
買い物! 買い物ですと! 旦那様が欲しいものがあるとは!
「何ですか?」
思わず身を乗り出して、目を輝かせる。それにくすりと笑われ、左手の指を掴まれた。そして、そのまま唇を寄せられる。
寄せら……れ、……ふぉっ!?
「な、ななにを!」
咄嗟に指を引こうとしたが、それはさせるかと、ぎゅっと握られる。
「ここに指輪をはめたい」
「え?」
「魔王の花嫁じゃなく、俺の花嫁である証をはめてほしい」
そう言った旦那様は幸せそうで無邪気な子供のようだった。いつもデレビームで焼け焦げそうになると覚悟していた私はちょっと拍子抜けした。
いや、すっごい恥ずかしいんだけどね。
「当然、旦那様の分もあるんですよね?」
顔が熱い。こんなことを言うのは照れるので、つい強めの口調になってしまう。
「旦那様は私のものだって証。身につけてくれますよね?」
そう言うと、ははっと明るい声で旦那様は笑った。
「当然、俺のも買う。お揃いだ」
お揃い。なんだか照れる。
照れすぎて、うおー!と吠えたくなるくらい。
自分の左手の薬指を見た。
まだない指輪に心トキメク。
あ、でもさ。
「旦那様」
「なんだ?」
「このオデキが邪魔で、指輪ができないんじゃ……」
魔王の花嫁の指輪は赤いオデキみたいなものが残っている。痛くもなんともないただのオデキだが、邪魔だ……
「あぁ、そうだな……オーダーメイドになるだろうな。腕のよさそうな職人に頼もう」
そう言うと、旦那様は本棚から何冊かの本を出してペラペラとページをめくりだす。
「ここなら、ラナの親たちの所へ行く前に立ち寄れる」
ページを覗きこむ。女性の職人さんがうつってる。綺麗な人だ。それに目を奪われていると、手掛けた指輪の値段に腰を抜かした。
「どうした?」
「いやっ……旦那様? その指輪はさすがに贅沢すぎます」
二つ作ったら私が報償金でもらったお金とほぼ同額だ。
「やめましょう。いくら、お金が溢れんばかりにあるとはいえ、身の丈にあったものにしましょう」
冷や汗をたらしながら懇願したが、旦那様はムッとした顔をする。
「却下、だ」
「は?」
「可愛い妻を飾るものに金をかけて何が悪い」
えええっ……その金、あなたが稼いだわけじゃないでしょうに……このボンボンめ。
「そうは言いますが、私をよく見てください。どこからどう見ても、田舎娘ですよ?」
「どこからどう見ても、俺の可愛い妻だ」
「いや……だからですね」
「却下、だ」
ムッ。変に頑固だな。どうしたものか……
「そんな高い指輪。緊張していつもはめられませんよ……できれば、ずっとしてたいのに」
しゅんとする。
傷ついたり、無くしたりしたらショックすぎる。血眼になって探す。それでも見つからなかったら……再起不能になってしまう。
「私は畑仕事も、家の仕事もしたいんです。できれば、丈夫でシンプルなものが……って、旦那様、聞いてます?」
旦那様は肩を震わせて口元を覆ってる。
聞きなさいよ、コノヤロー。
「っ……わかった。二つ買おう」
は?
「ひとつはこれで、もうひとつはラナがいつでも着けられる用だ」
はぃぃぃ?
事態が悪化した。
「いや、だからっ」
「いつでも着けられないなら、ひとつはネックレスにして首からかけておけばいい。それなら、問題ないだろ」
問題だらけだ。そのネックレスのチェーンを極太にしなければ不安しかない。いっそ首輪にしてくれと思う。
「だからですね」
「却下、だ」
この夜、幾度も指輪についての話し合いをしたが、話は平行線にとどまった。妥協案として、首輪にしてくれと頼んだが、旦那様に「エロいからダメだ」と言われてしまった。わけがわからない。どこがエロいのだ。首輪なら落とす心配もしなくてよいのに……はぁ、まいった。
◇◇◇
「いやぁ、首輪はエロいですよ?」
「え~、そう?」
翌日、スケルと共に畑に出てきた私は昨日の話をグチっていた。それなのに、スケルもエロいという。
「指輪を落とす心配が一番ないと思うんだけど……だって、チェーンじゃね……切れたら嫌じゃない?」
「それは分かりますけどね。問題は指輪を落とす落とさないではなく、首輪という形状の問題ですよ」
形状?
「首輪なんて、古来より主従関係の証なんですよ? していたら、あらあら、魔王様って独占欲バリバリなんですね。(遠い目)って見られますよ? まぁ、今も独占欲の塊なんで良いっちゃ良いんですけどね。でも、ラナ様が魔王様に絶対服従みたいに見られるのも……あぁ、夫婦でそういう趣向を楽しみ――」
どかっ。
あ、旦那様が後ろからスケルを蹴った。
「お前はさっきから、何を話しているんだ」
その顔はかなりムスッとしている。
「スケル、大丈夫?」
蹴られて前のめりになっているスケルに声をかけた。おや? 旦那様から出る空気が冷ややかなような……
「大丈夫ですよ、ラナ様。無職のひきこもり野郎の蹴りなど、痛くもなんともないですから」
スケルはゲラゲラと笑うが、後ろでは旦那様が絶対零度の視線を送っている。久しぶりの魔王睨み。やはり、怖い。
「まぁ、首輪はともかく、ご両親に会うなら、先に手紙でも書いたらどうですか?」
「手紙?」
「いきなり、"どうも魔王です"とか言って行くのはいかがかと」
あー、確かに。電話だとお母さんが興奮して本題に入る前に、何時間もかかりそうだ。
「うん、そうだね。手紙を書くことにする」
「では、畑は私とそこの独占欲塊野郎とでやっておきますので」
「おいっ……」
「うん。お願い。旦那様もお願いしますね」
ムスッとしている旦那様に声をかけると、ため息をつかれ、わかったと言われた。
◇◇◇
手紙か、何を書こうか。魔王の旦那様と遊びに行きますでいいかな? 色々、書きたいことはあるけど、書いたら止まらなくなりそう。本か? と思われる量を書き綴ってしまいそうだ。
そのぐらい、色々なことがあった。
便箋を用意して食堂で手紙を書いているとミャーミャに声をかけられた。
「あら、お手紙ですか?」
「うん。両親に。遊びに行きますよって」
そう言うとミャーミャは切ない表情をした。
「そうですか……宜しくとお伝えください」
ミャーミャは私の両親に嫉妬して私を花嫁にしたと言っていた。だから、思うことがあるのかもしれない。
「伝えておく。両親にそっくりな優しい人が私の家族になったんだよって」
微笑みながら言うと、ミャーミャはちょっと驚いて、可愛らしく微笑んだ。
「ふふっ。ラナ様ったら……」
それにまた笑って、私は手紙を綴った。なるべくシンプルに。
そして、あれやこれやと準備を一通り整え、出発の日を迎えた。
「では、行ってきます」
「行ってくる」
そう伝えると、スケルもミャーミャも返事がない。おやおや?
「あのー……ラナ様?」
「なに?」
「本当にそんな姿で行くのですか?」
スケルに指差されて自分の格好を見る。
日差し防止のサングラス着用。それに身バレ防止のためのローブを頭から被っている。
「え? ダメ?」
「いやぁ……新婚旅行っていう服じゃないなと思いまして……魔王様も。どこの暗殺者だってカンジですよ?」
確かに。だが、必要なことだ。
「あんまり目立たない方がいいかなと思ったんだけど……」
「いや、逆に目立ちますよ?」
ガーン。なんと……
「カツラでも被った方がいいんじゃないかと」
「……そうかも」
むむむっ。なんたる失態。これでは旅行どころではない。
「俺がローブを頭から被らなければいいだろう。時間が惜しい。行くぞ、ラナ」
え? あっ。ちょっと。
そのまま怪しげな格好で旅立つこととなった。
「いってらっしゃいませー」
後ろで手を振る二人に同じように手を振って旦那様の後を追いかけた。
「待ってくださいよ」
隣まで歩くと、旦那様の歩調がゆっくりになる。
「怒ってますか?」
サングラスをかけているせいで表情が分からないが、なんとなく空気がピリピリしている。
「これ以上、時間を無駄にしたくなかっただけだ」
ふいっと横を向かれた。
「俺はこの日を楽しみにしていたんだからな――ラナと二人っきりになる時を」
……いきなりの甘々発言。しかし、目線がサングラスで見えないので、威力は半減だ。よかった。
「私も楽しみでしたよ?」
そう言うと、こっちを向いてくれる。
「この日を指折り数えて、楽しみにしてました」
へへっと笑うと、旦那様が立ち止まる。なんだろうと、私も足を止めた。すっと、旦那様の手が伸び、サングラスを取られる。うわっ。眩しい。目を瞑ると、口に柔らかい感触。
驚いて目を開けると、同じくサングラスをとった旦那様の不敵な笑顔があった。
「可愛いことを言う、お前が悪い」
ぐはっ。むむむっ。不意打ちは卑怯だ。
「サングラスはしなくてもいいな。ラナの顔がよく見えない」
そう言われサングラスは没収されてしまう。あああっ……
「……あまり、照れることしないでください。腰が抜けます」
「それなら、抱きかかえてやる」
「荷物もあるのに?」
「ラナくらい。簡単に、抱えられる」
「それって肩に背負うやつですよね?」
「まさか……横抱きにしてやる」
うわっ。自力で歩かないと色々ダメすぎる。
「頑張って歩きます」
そう言うと笑われ、さりげなく手を繋がれた。それが、指と指を絡ませる繋ぎ方だったので、また心臓がドキリと跳ねた。
旅行の間に、私は息の根を止められるかもしれない。
色々、不安な旅立ちだった。
こんなほのぼのとした雰囲気で五章は続きます。
次はあさって火曜日更新です。




