国王―愛する者に信じてもらえた人
王様視点の話です。
王を辞した後、私は王宮を去ることはしなかった。それは、兄を埋葬しているあの木の場所があったからだ。
そして、混乱している国や人々を見守りたいという気持ちもあった。
キールさんが出版した本の影響か、はたまたグランが余計なことをしたせいか、私に対しての当たりは辛くはなかった。むしろ同情された。
「王様は真の意味で国を守っていたのですね! 私は感動しました! すみません、前に王様は本当に仕事してるの? なんて生意気なことを言って!」
と、メイドのマリンに言われたり……
「陛下! いや、ミューゼン様! グラン殿に言われて目が覚めました! あなたは真に国を導いていたのですね!」
と、言われたり……
歩く度に人に囲まれた。
おかしい……私は悪役になったはずだが……グランめ、余計なことをしてくれたものだ。
静かに妻と余生を過ごしたかった私の周りは騒がしかった。また、グランも毎日のように私を訪ねてきては、国政の細やかなことを聞いた。私は退いた身だから、宰相と話してくれと言っているのだが……
「一人だけ悠々自適になんてさせませんよ。あなたは暇なんですよね?」
シミのようになった隈を作って凄まれると何も言えなかった。しょうがない。彼と私は共犯者だ。困っているときは助けようではないか。
ただ、私にいつまでもおんぶだっこでは困る。私は表舞台を去った人間だ。いつまでも中枢に関わっているわけにはいかない。それに、苦労をかけた妻との安らかな時間を確保したかった。
「グラン。それは話す相手を間違えている。君が相談すべきは、宰相だ」
そう言って追っ払うこともあった。
グランは宰相と巧くやっていると思うが、どうもグラン自身が苦手意識を持っているらしい。
「あの男は、腐れ縁のバカに似ているのです」
どうしてか尋ねると、彼は苦々しくそう言っていた。きっと、キールさんのことだろう。二人の関係は知っていたが、実際、キールさんを見て、二人の関係が私とグランに近いものであると感じた。
グランは、こういうと怒りそうだが、単純で扱いやすい。
情に厚い彼は、一度、懐に入れば全力で守ろうとする。裏表もなく、性格も実直で真面目。そういう人は扱いやすいし、信用できる。忙殺され、頬がこけた彼に心の中で謝りつつ、どうしてもいいように扱ってしまう。
グランにだけは、優しくできない。
きっと、彼の懐が深いから甘えているのだろう。
私は空いた時間は妻と過ごすようにした。執務と人間観察に追われて、夜ぐらいしか彼女と二人で過ごせていなかった。
だから、昼間にのんびりお茶をできる時間を心から嬉しく思う。
「ミュー、どうしたのですか? なんだか、ご機嫌ですね」
妻は二人きりの時に私を愛称で呼ぶ。その呼び掛けに微笑んで、素直に思いを口にする。
「君とこうして昼間から過ごせるのが嬉しいのだよ」
「まぁ」
妻は少女のように微笑む。
「あなたが一番、愛しているのはこの国でしょう? フラれたからって、私におべっかを使っているのですか?」
「ははっ。これは手厳しい」
そう言うと、彼女はまた笑う。
「ふふっ。冗談ですよ。私のミューを返して頂いたのですから、感謝しているのですよ? この状況に」
平然とそんなことを言う彼女に微笑む。
五歳年上の彼女に私は、いつも勝てない。辛い状況も彼女は笑顔を作ってくれた。それには感謝してもしきれない。
「君には敵わないな」
「まぁ、当然ですよ。私は、ミューを一番、愛しているのですからね」
ふふっと笑う彼女。それに目を細める。
その言葉には切なく苦しい思いが詰まっていることを私は知っている。
私は妻ヘレナと結婚するとき、二つの条件を提示した。無理だと思ったらこの結婚はなかったことにしていいと言って。
一つは、国を優先すること。夫婦として大事にはするが、私の意識は常に国に向けていられていることだ。
それを言うと、王なんだから当たり前だと彼女は笑った。
「ミューが愛してくれないのなら、その分、私があなたに愛を注ぎましょう。ほらね。バランスがとってもいいわ」
そう言ってくれた彼女だったが、二つ目の条件の時は言葉を失っていた。
二つ目は、子供を作りたくないというものだ。
唖然とする彼女に兄との出来事を話した。
「私は、愚かで嘘つきの王様になることを誓った。だがっ……」
言葉につまる。苦しくて、髪の毛をぐしゃりと掻く。
「自分の子供に、その責を押し付けることはできないっ……」
わかっている。そんなこと許されることではないと。血を絶やすのかと、罵られても仕方ない。だが……愚かで嘘つきという王冠は私には重すぎた。考えているよりも、ずっと、ずっと……
自分の愛する者にそれを被せることなど私にはできなかった。愚かにも。
「バカね、ミュー」
私はいつの間にか泣いていたらしい。
流れ出た涙を妻に拭われた。
「そんな話を聞いたら、あなたの妻になるしかないじゃない」
妻は泣いていた。微笑みながら。私は顔を歪めて彼女を抱きしめた。
「すまない、ヘレナ。すまないっ……」
ヘレナは声を震わせながら、同じように私を抱きしめた。
「……今、言わないと、この先あなたを傷つけてしまいそうだから言うわ」
ヘレナは吐き出すように本心を言った。
「あなたと家族を作りたかったわ……とても、とても……」
「っ……」
「きっと……あなたにっ……似て……やさしい子に……なるだろう……からっ」
「っ……すまないっ……!」
私は何度もすまないを繰り返して、彼女と共に泣き明かした。
全ては私の我が儘だ。それに彼女は寄り添ってくれた。
表向きは私が出来損ないということで、彼女を守ることに徹した。しかし、私の居ないところで彼女は辛い目に遭っていたに違いない。
しかも私は道化を演じていたから、より一層、彼女は辛かったと思う。
そんな過去の出来事を思い出し、胸がつまった。
「すまない、ヘレナ。君には余計な苦労をかけた」
唐突な謝罪。それに彼女は驚いていた。
しかし、構わず頭を下げた。
頭を下げたら、上げられなかった。
胸がどうしようもなく締め付けられていたから。
頭を垂れていると頭を優しく包まれる。
「どうしたんですか? 今日は本当に……」
「ははっ……君といるのが幸せ過ぎるから、かな?」
「まぁ、ふふっ」
頭を優しく撫でられる。それが心地よすぎて、一層、目頭が熱くなった。
「あなたは愚かで嘘つきな王様になったけど、やり遂げましたね。私は誇らしいわ」
その言葉にポロっと涙が零れる。
「……それは君が付いてきてくれたから。君が私が進む道を信じてくれたらだ。ありがとう、ヘレナ」
感謝の気持ちを言うと、ヘレナの目頭に光るものが見えた。
「ふふっ。感謝してください。たっぷりと」
私の頬を彼女の優しい手が触れる。
「これからは私を一番に愛してください。私のミュー」
出会った時から変わらない笑顔で、彼女は微笑んだ。
それに何度も頷いた。
王冠を取って私は私に戻る。
愛する者を愛していける、ただの男に。
やっと戻れる。
顔を上げると彼女の肩越しに柔らかな太陽の光が見えた。
その光に目を細め、私は泣きながら笑った。




